人事部長からの質問

2006/04/14 728

清水さんは小沢一郎をどうみていますか?

263に同じ質問がありました。今も全く同じ気持ちなのでそのときの回答を再録します。

(何かで読んだうろ覚えですが、)小沢一郎さんは小鳥が好きで、飼っている小鳥の世話はどんなに多忙でも欠かさないそうです。また、こよなく奥さんを大切にされていて、奥さんがつくるお弁当をお昼になるとおいしそうに食べているそうです。そういうところに彼の何かがよく出ていると思います。この時代に、「代表なんちぅのはね」と記者会見で切り出す土臭い政治家は皆無でしょう。天然記念物みたいなものです。ゴルバチョフ全盛の時に、モスクワを訪問し、ゴルビーに向かって「あなたのように有名な人と会えて嬉しい」と語ったというのもおもしろい。自分が先に誰かのファンになってしまうという意味で長嶋茂雄さんと共通するものがあります。毀誉褒貶の激しい人ですが、竹下派七奉行の中で今なお奉行であり続けているのは(渡部恒三と)彼だけです。端倪すべからざるものをもっている人だとみます。

文責:清水 佑三

2006/04/13 727

トップから「共感性」を採用→教育の基軸に置け、といわれた。何だそれ?という感じ。

私はオリビエ・メシアンの宗教曲がとても好きでLPレコードを深夜、書斎でよく聞くのですが、聞いていると涙がとまらなくなるのです。みっともないですよね。大の男が。これって何だろうか、とよく考えます。メシアンの祈りが私の中に乗り移ってきて、私の祈りと化す、そんな言葉しか思い浮かばない。脳と脳の共鳴現象が起きるのだと勝手に思っています。時代を隔てた異国の人の脳と、“I am Sam” の私の脳とが共鳴するって不思議ですね。こういう脳と脳の共鳴現象が共感性ではないでしょうか。とても大事なことだと思うのです。ご質問にある御社のトップが社員に「共感性」を訴えられたのがどういう理由かわかりませんが、天の声だと思って一から真面目に考え、しっかり取り組むべきだと思います。

文責:清水 佑三

2006/04/12 726

御社のホームページから「売る気」が伝わって来ない。意図があるのか?

今年の4月に入社した9人の新人たちに「自分研究」の課題として、当社のホームページについての(改善、改良の)提言を求めました。つい最近のことです。「これはこれ、こういう趣のもの、海鼠かな。」 に通じる肯定的な指摘は皆無だったですね。ご質問と共通する着眼、指摘、批判が多かったように思いました。なかに1人だけ「人事部長からの質問」「人事改革各社の事例」「成長のシナリオ」「採用」欄のスタンスは他社にない強みで、この強みを殺してしまうような「改革」はしないほうがよい、と提言している人がいて、コヤツ、世間の怖さを知っているな、と思いました。意図があるのかといわれれば、当社がやっているような人様を裁きかねない(神を恐れぬ)ナリワイをする者にとって、生活最寄り品をネットで売るような「わかりやすさ」はタブーであり、お家のご法度だと愚直に思い続けていることでしょうか。当社と(長く)真剣につきあってくれている社員、顧客、取引先、株主各位のためにこのホームページを用意している、が率直な回答です。

文責:清水 佑三

2006/04/11 725

机の上が綺麗になっていることとパフォーマンスに関係はありますか。

面白いお尋ねだと思って取り上げました。「私が敬愛する上司の机の上とか引き出しの中とかはどうしようもなく散らかっていて汚いと思うのですが、とても仕事ができるのです。」と添えられています。ちょっとした観察からよい問題意識を育てておられますね。世の中の仕事はつきつめると「整理整頓」しないと前に進まないタイプのものと、逆に「乱雑」がパワーとなるタイプのものに二分されます。前者はオペレーション(手続き、手順)系といわれる仕事であり、後者はR&D(探索・創案)系といわれる仕事です。ご質問に戻れば、机の上が綺麗になっていることは、オペレーション系の仕事に従事されている場合は、よいパフォーマンスを示唆します。

文責:清水 佑三

2006/04/10 724

想像しやすいシーンが豊富に提供されるeラーニングによって人は本当に鍛えられるものでしょうか。

「今の新入社員は大変だと思います。 自分が新入社員だったころ、雑務と呼ばれる周辺業務から仕事を学ぶことが多かったと思います。ITを含め技術は限りなく進歩しているが、働く側の人間がそれにともなって進歩しているか。むしろ技術の発達につれて苦痛や不安は変わらないか(または増えている)と思います。 いかがでしょうか。」 が質問に添えられていた文章です。おっしゃるとおりだと思います。eラーニングについて申し上げれば、それが有効なのは「センス測定」の分野だけです。球技でいえば、動体視力の個人差測定には有効であるが、(動体視力が)弱い人には(eラーニングは)なすすべがありません。むしろ、人を本当に鍛えるのは試合そのものです。試合で自分の身体が(自分の期待どおりに)動いてくれない現実にぶつかり愕然とする。それを超えてゆくためには死に物狂いの練習をするしかない。その練習を通して突然「開眼」がなされ、その「開眼」を確かなものにする執拗な肉体化のプロセスが続きます。人が鍛えられてゆくプロセスはそれしかないです。

文責:清水 佑三