人事部長からの質問

2006/07/05 783

サッカーのルールを改訂するとしたら何をいじりますか?

おもしろいご質問ですね。質問者の方の意見は「PK戦は残酷すぎる。ボクシングの判定方式をとるとよい。」 というものでした。同点で終了した場合、ゴールキーパーが防がなかったら得点になったシュート数を対照させてそれが多いチームを勝ちにする案です。サッカーを知らない人どうしでの遊びとして私も意見を申し上げます。オフサイドだけに限定した自動ジャッジシステムの導入です。競馬の判定にカメラを使うのとまったく同じ要領です。得点が入ったと思ってもオフサイドになってしまうケースがかなり増えて、今でも少ない総得点を押し下げる働きをしてしまうかもしれませんがこれはやったほうがよいと思う。ラフプレーに関する判定ミスが多いように思うが、この「不条理」はサッカーの本質的な面白さを作っているのでいじらないほうがよいのかも。

文責:清水 佑三

2006/07/04 782

部下の自主性を重んじたいがそれも怖い気がします。

「チームを預かる立場になりました。5人のメンバーと一緒に苦楽をともにするのですが、部下の育成に主眼をおいて(やれるやれないは問わないで)やらせてみなはれ路線でゆくか、チームに与えられる目標達成を最優先させて、私からみて各人ができることしか目標を与えず、できない部分は自分がすべて引き受けてチーム目標達成させるか、逡巡しています。先生のご意見を頂戴したいです。」 とありました。先生は勘弁してください。それはともかく、私はチームを預かった以上、チーム目標達成の責任を優先させるべきだと考えます。育成という言葉は響きがいいのでみなさんよく使いますが、その意味はほんとのところよくわからない。そんな正体不明のものにはつきあわないで、目標達成に向けてもっとも確実な道筋をとってください。それが私の考えの全部です。

文責:清水 佑三

2006/07/03 781

人材がいないとトップは嘆く。人材とは何をいうのか。

「人材」という言葉を辞書で引くと「役に立つ人物」とあります。なるほどなあ、ですね。かりに「人材」が綺羅星のごとくいると仮定します。役に立つ、はイコール役割を果たす、ですからトップがいなくても会社はうまくゆくことになりますね。極論すればトップは不要になります。自分が活躍できる状況を作ってくれている部下に対して感謝こそすれ嘆く筋合いではないかもしれないです。もっといえば弘法は筆を選ばずです。どんな筆をもってこられても、筆に関係なく優れた墨蹟を残すが名筆の誉れです。いい字が書けないときに筆に文句を言ってはいけない。自らの運筆のつたなさを嘆くべきでしょう。

文責:清水 佑三

2006/06/30 780

名選手は名監督になれない、という表現は正しいでしょうか。

かりに正しいとしたら、日本企業の大半が間違ったことをしていることになります。名選手を自動的のようにして監督ポストにつけているからです。それはともかくとして、将棋にたとえるとご指摘の問題は分かりやすくなります。監督は将棋指しのようなものです。相手の出方をよく見て、手持ちの駒を持ち時間内でうまく活用しようと考えます。熟慮のあとに断行がきます。決断が将棋指しの仕事ですね。一方、それぞれの「駒」は、将棋指しの指示どおりに与えられた働きをする。かりに勝利に貢献した決定的な「駒」の動きがあったとしても、それは将棋指しのリスクテーキングの栄誉であって、「駒」の栄誉ではない。そのあたりをその「駒」が錯覚してしまう。錯覚してしまった「駒」を将棋指しに昇格させるとヤバイことになりますね。

文責:清水 佑三

2006/06/29 779

苦手を克服するコツの伝授を。

「研修でプレゼン演習をすると下手だという指摘を受ける。こうしたらよいというアクションプランも貰うがやる気にならない、どうしたらよいと思いますか?」というご質問です。おっしゃることはよくわかります。私も同じように仕事上の必要で「講義、講演」をする機会が多いのですが、質問者の方と同じ悩みで苦しんでいます。どうもうまくできないのですね。シドニーで受けたプレゼン講習で、あなたの場合は声がよくない。その声で講義、講演をやってはダメだといわれて、なるほどと思ったことがあります。声はとりかえられないので、それからは悩む度合いが減りました。あきらめる能力を身につけることでしょうか。

文責:清水 佑三