人事部長からの質問

2006/11/28 882

頑張る人ほど辞めてゆく傾向があるが?

「今まで仕事についてゆけず辞めていってしまう人を注意してみてきました。一生懸命、頑張ってしまう人たちだと思います。頑張る人よりも辞めない人のほうが価値があるのではと思いはじめました。ご意見を。」 というご質問です。「いつも頑張る」は百害あって一利もない性質だとみます。日本人は寄ると触ると「じゃあ、頑張って」といいますが、よろしくない挨拶ですね。Take it easy!のほうがよい。マラソンランナーを例にあげて考えて見ましょう。完走する人と、途中棄権する人の違いをつくっている能力は何か、多分ペース配分能力でしょう。能力というより性格ですね。ペース配分に関心を持てないランナーにどうやってその能力を身につけさせるかが問題です。ペースメーカーを一緒に走らせるしか手がないと思います。伴走させて頑張りを機械的に封じるしかない。こういう手法を人のロボット化といいます。頑張るタイプに、頑張るなといくらいってもダメなのです。

文責:清水 佑三

2006/11/27 881

清水さんにとって優秀な部下とはどのような人ですか?

「長いビジネスマン生活をされて来られたことと思います。そこで質問。清水さんにとって優秀な部下とはどのような考えや行動をとる人ですか?」というご質問です。部下と呼ばれる人たちをお預かりして、経営や管理の仕事に従事してきた年月を合算すると36年になります。長いですよね。実にたくさんの人たちと役割上のご縁をもちました。大半の人たちから、うとまれ、嫌われてきたと実感しています。それはともかく、私からみてほんとにこの人はありがたい、と感じた人もおられました。ご質問にある優秀という意味ではなく「ありがたい」と感謝した人たちです。共通項は、会社や私に仕えるのではなく、仕事と向き合って濁らなかった人たちです。「事に仕えて濁らず」という当社の社是は、その人たちを忘れないようにするために自分用につくった標語でした。

文責:清水 佑三

2006/11/24 880

若手からみて「管理職」の値打ちがなくなった。

「ヘンな喩えだが、管理職というポストが仕事の多重債務者席になってしまっている。返済においまくられて寝るヒマもない。実入りも格別よい訳ではない。身近にそういう管理職の姿を見ているからだろう。若手社員が専門職志向に傾いてきている。候補者指名を受けても辞退する。」 と書いていらっしゃいます。よくわかる話です。応募者、候補者が枯渇したらオシマイ、はどの世界についても言えることです。この質問は表現こそ違いますが、頻度としてとても多い気がします。確実に「会社的なるもの」が全盛期を終え、ゆっくりと終焉に向かっている、その予兆のような事柄だと思います。じゃあ、どうすればよいか。ポストの需給バランスを回復させる「破格な処遇」を(管理職に)用意するだけです。年収を倍にすれば、なり手が出てくるかもしれません。それでダメなら3倍にすべきです。それ以外の案は思いつきません。

文責:清水 佑三

2006/11/22 879

成果主義を厳密に運用すると年功序列はなくなる?

「成果主義的処遇制度に切り替えたが、当社の場合、成果が経験に比例してしまうようで、従来の年功的処遇制度とあまり大きな差異がでてこない。他社さんではどうなのでしょうか。」 というご質問です。経験が成果とおおまかな正比例関係を描く仕事を「職人仕事」といいます。典型的な例は、相撲の呼び出しです。声がでるまで15年、お客のざわめきを鎮めるまでにさらに15年、といいます。こういう仕事で成果主義的処遇をとったとしましょう。多分、従来方式と何も変わらないです。一方、その反対はベンチャー企業のトップです。年齢が成功を保証しないですよね。成果主義と年功主義を、仕事によってハイブリッド運用すればよい、というのが私の意見です。

文責:清水 佑三

2006/11/21 878

子供のもつ第六感は、なぜ大人になると衰えるのでしょうか。

「昨日、食事中に、娘が架空の友人“タイチ君”の存在をしきりに訴えていました。“ここにいる、ここにいる”とテーブルの隣の席を指さして叫ぶのです。私も小さかったときにお化けを見たのを思いだしました。お化けも最近は寄り付いてくれなくなりました。こういう子供特有の現象をどう解釈されますか。」 朋あり、遠方より来る、また愉しからずや、の思いで読ませていただきました。民俗学の柳田國男さんも子供の頃、同じような経験を何度もしています。『山の人生』という晩年の著作の中で、人さらいにあう子供のタイプについて言及していますが、質問者の娘さんのようなタイプの人だといっています。気をつけてくださいね。“お化け感受性”が大人になると衰えるのは、そういうのはナシだという大人社会の呪縛が一人ひとりの内面で強化されてゆくからではないでしょうか。会社の食堂で“タイチ君だ、来た来た”といったら笑われてしまうのです。とても寂しいですね。

文責:清水 佑三