人事部長からの質問

2007/04/10 970

立派な上司が悪によって葬られた。怒りで眠れない。

「葬られた上司の送別会も催されない異常さです。誰の目から見ても明らかに公正さを欠く人事です。平社員の私が物申しても何が変わるわけではありませんがせめて辞めた上司の名誉だけでも回復したいです。何かコメントを頂ければと思います。」とお書きになっておられます。理解できない降格人事を心底から怒る部下が存在する事実がイコール悲運の上司の「名誉」なのだと思います。もっと言えば、殉死(退職)してください。上司についてゆくという意味ではなく、抗議の殉死です。こうした事実を積み重ねてゆくことが上司の方の「名誉の回復」になると信じます。

文責:清水 佑三

2007/04/09 969

右脳に秀でた上司との付き合い方を。

「わが上司ですが、事細かに確認をしようとすると不機嫌になってしまいます。さてどうしたものか悩んでいます。こういう直覚直観派の上司とうまくやっていくにはどうすべきでしょうか。」ほんとうに難しいお尋ねですね。というのは私がまさにご指摘の上司タイプなので、部下にあたる方たちのとまどい、苦労、悲しさが痛いほどわかるのです。特に左脳に秀でたタイプの人との意思疎通は悩みの種です。現実的かどうかわからないですが、俳句づくりを真剣にやったらどうでしょう。五、七、五に訴えを要約することに勤めると、上司の機嫌が少しはよくなるのかも。やれ打つな、蝿が手を擦る、足を擦る、といって説明を開始するのです。

文責:清水 佑三

2007/04/06 968

春に襲う身を切られるような寂寞感の正体は?

「いつだったか、清水さんは秋のさびしさについてこたえておられました。春に感じるさびしさの正体はなんだと思われますか。秋よりも痛切です。」というお尋ねを戴きました。名作『檸檬』を書いた梶井基次郎という短命の作家をご存知でしょうか。彼の『桜の樹の下には』という作品に、桜の樹の下には死体が埋まっている、という表現があります。西行さんは「ねがはくは花の下にて春死なんその如月の望月のころ」という名歌を残しました。いずれも満開の桜に「死」を連想しています。私の家にも数本の桜があり一本のしだれ桜は今日が満開です。拙作を披露して回答にかえさせていただきます。…「きのうけふちりてかへらぬはなのありきみのかほりをわれわすれめや」

文責:清水 佑三

2007/04/05 967

病腎移植の万波医師について清水さんの見方を。

私は現代の(世界の)医学全体に対して強い不信感をもっています。極端な言い方をすれば、中世のキリスト教会がもっていた(宗教的)ドグマ性に医学界は支配されているとみています。政治、行政、大学、病院、医薬事業者などが自己の利益のために教会を利用しています。医師は教会に抵抗できない聖職者たちです。医学の名のもとに医師が合法的に人を殺している例がたくさんあると感じています。そういうドグマからフリーである稀な人の例として万波医師をあげたい。彼は、移植しか手がない患者が目の前にいて、病腎しか手に入らない現実を踏まえた上で、打算ゼロで医療行為に踏み込んでいる人です。アメリカの移植学会は万波医師の考え方を一つの現実的なオプションとみて許容しているという話もあります。医学界のドグマからの脱却があるとすればアメリカからかもしれません。万波医師が偉いことは、彼によって命を与えられた患者たちが一番よく知っています。

文責:清水 佑三

2007/04/04 966

即効性のある管理職研修を企画しろといわれている。

「管理職に対して研修を企画しています。人事としては長期的な視点で価値があるものをと考えているのですが、上層部の指示は“研修をやるなら即効性のあるものを”です。即効性のある研修プログラムとはどういうことをいうのですか。」だいぶお悩みのご様子です。研修をやる場合、入り口と出口で(参加者の)何が変わるのか、はっきり定義しておくことが肝腎です。知識が増える、であればオンラインシステムを使う非集合研修でよいです。特定の管理職能を強化する、であれば全員集合は無意味です。職能ごとに研修イベントを企画し、必要な人だけ招集をかけてください。そこでの研修プログラムですが、外部講師を「研修力」で格づけし、そのテーマではこの人という人に一任したほうがよいです。私なら「鈍感力」を教えられます。

文責:清水 佑三