人事部長からの質問

2003/05/22 20

将来、部長としてやれる人材かどうか入社時点でのポテンシャルで決まっていると思いますか?

質問の仕方(用語、語法)に違和感を感じます。将来、部長としてやれる人材という表現には、支配の契機が機関(職能)ではなく、部長個人(人物・識見)であるという組織観が暗黙のうちに仮定されています。私の考えは、ある部の部長職は、ひとつの職務名であって、その職務に求められる職能は、その部が置かれている戦略上の要請(=目的)や、その部がもっている経営資源等の条件(=方法)によって決まるもので、大卒の新人であってもその職能をもつ人であれば十分部長としてやれるというものです。この考え方は、かつて一木喜徳郎や美濃部達吉が唱えた天皇機関説の企業版のようなものであります。ご承知のように、彼らは統治権を(天皇)個人に認めず、国家の最高統治機関名を天皇職と名づけただけに過ぎないと主張しました。こちらの考え方のほうが私は好きであり、組織における人的資源の配置問題において説明能力が高くなるとみています。

文責:清水 佑三

2003/05/21 19

役員だった人を課長職として採用しようとしています。不都合はありますか?

同じ役員といっても、会社の地勢(支配関係上の地位)や規模(影響力を行使できる範囲)によって裁量の幅や深さが大きく異なります。たとえば当社の例をとれば、私を筆頭に当社における役員の裁量の幅や深さ(求められる経験の質)は、世間の大企業における係長クラスと同等だとみています。それゆえ、会社間異動にあたっては、前の会社で獲得した役職名は無視すべきです。同じ大学といっても、ハーバードと日本のダメ大学とが雲泥の違いがあるのと同じです。大学当局、教授スタッフ、学生の質がまったく異なるからです。その人のもっている、仕事上の知能・価値観・行動のタイプとレベルをよく見極めて求めるものと比較すればよろしいでしょう。

文責:清水 佑三

2003/05/20 18

人事考課点が全般的に甘いように思います。部署間調整の具体的な方法は?

全般的に甘い(辛い)のであれば、問題はありません。そのままでよいでしょう。部署によって甘さ、辛さがあるような場合が、調整部門の出番です。イメージを掴んでいただくための例ですが、セパ両リーグでストライク、ボールの判定に違いがあり、パリーグのほうが打者に甘い(投手に辛い)傾向があるとします。パリーグの3割バッターはセリーグでそのまま通用しないことがあります。これでおわかりいただけると思いますが、部署間の甘辛の問題は、社内における人材流動化の阻害要因の一つになります。だから、調整が必要なのです。

文責:清水 佑三

2003/05/19 17

公募制度に手を挙げておいて、今の仕事を継続したいとまた言ってきました。

何がいけないのか皆目私にはわかりません。目くじらをたてる理由は何ひとつありません。公募制度に対して魅力を感じる自分もあれば、今の仕事を続けたい自分もあります。つねにいったりきたりするのが人の(気持ちの)なりたちです。公募制度に応募したら元の仕事に対して意欲をもってはいけない、などと考える人がいるとしたら、それこそ人間音痴の極みであります。人間のために制度があるのであって、制度のために人間がいるのではない、ことをよくよく銘記してください。本末転倒もいいところとなってしまいます。

文責:清水 佑三

2003/05/16 16

人事マンを育成する上でよいローテーションの方法はありますか?

現場と人事をいったりきたりさせることです。現場もまた幅広い部署を経験させるとよいでしょう。そうしないと、人事バカになってしまうからです。利益創出ゼロのくせに職掌をたてに現場に対して高圧的になる人事マンは人民の敵なのです。現場の経験をすると、そういう人事マンがよくわかるのです。中国共産党が好んで使った「反面教師」であります。専門性をより高めるという目的からいって、人事の中でのローテーションはあまり意味があるとは思えません。人事⇔現場のローテーションをメジャーリーグの(投手起用の)ようにきっちり守ることをお勧めします。

文責:清水 佑三