人事部長からの質問

2003/11/06 135

荻生徂徠について教えてください。

江戸中期の荻生徂徠の著作は重要であり、(人事部長の暖簾を張る上で)参考になりえます。熟読をお勧めしたい思想家です。「弁道」「弁名」が主要著作ですが、難しくてさっぱりわかりません。わかりやすい語り口の「南留別志(なるべし)」「政談」がいいですね。前者に「伊勢物語は、うたの心を説きたる物なり。事のあるなしは、論ずべからず」とあり、「紫式部の源語を作るには(略)、数百人、人人態を殊にし、態は情を尽くし、文は変を尽くす。水滸伝より数百年の前に在る也」とあります。ほとんど本居宣長の文章です。うたの心、態、情、変といった隻語に彼の卓越したやわらかい人間観、文芸観が見えます。その聡さが政治に向けられたのが「政談」です。これも全編、卓見の宝庫であり、座右におくべき本です。「政談」は岩波文庫から昭和62年に出ています。

文責:清水 佑三

2003/11/05 134

仕事が速い人をどうみたらよいか。

素直に、うらやましい、とみるべきでしょう。ただ、仕事が速い、はイコール生き様が速いことでもあります。一事が万事です。結局、生き急いで、早く死ぬかもしれません。忘れてはいけないのは、遅くすること、止めること、によって生まれる価値が一方にあることです。たとえば、お酒の味です。12年もの、17年もの、といったウィスキーの値段が高いのはおいしいからです。時間がおいしさをつくっているのです。そう考えると人の味も同じだとみています。歴史のない国の人はそういう意味で何かが欠けているように思います。アメリカ、シンガポールなどが思い浮かびます。こういう国は、酒でいうとあまりおいしくない、馥郁たる香りがないのですね。

文責:清水 佑三

2003/11/04 133

中国観をききたい。

おもしろい国、おもしろい国民だといつも思っています。NHKさんがアジアの古都シリーズの第1回で取り上げた北京の路地裏(胡同=フートン)での人々の生活ぶりの映像をみていてつくづくその感を深めました。フートンが生まれたのはおよそ700年前の元の時代だそうです。歴代の皇帝が愛したという「闘コオロギ」博打に興じる人々の表情には悠々たるものがあります。強いコオロギを育てるための秘伝の餌づくり書があるそうです。じつに面白いです。独特の行商の呼び声や皇帝に仕えた人の末えいが受け継ぐ宮廷料理、谷崎潤一郎が心から愛した京劇の型を残そうと頑張る父と娘の毎日の稽古ぶり、おもしろい国だなあ、と思いました。周恩来さんの書も感動します。この国には、高等とその反対、賢愚さまざまなる多様性があって、無限の興趣を感じます。

文責:清水 佑三

2003/10/31 132

フロントと現場の対立は必須か?

よいご質問ですね。ことによると必須かもしれません。今回、阪神タイガースの星野仙一退団劇を新聞等で見聞きし、つくづくとその感を深めました。野球は誰のものか、ということについての認識の違いに尽きるとみます。星野仙一にとって野球は観客のものなのですね。これは多分、グランドでボールを追ってきた選手経験者のすべてに共通する感情だと思います。星野仙一が敵将であった原辰徳のために甲子園でサヨナラ・セレモニーを演出しましたが、あれは自分に対する劇だったとみています。ファンが野球を創り育てている、野球は球団のものではない、という実感です。ところが、フロントにとってはそうではない。野球は興行主のものなのです。まったく同じ構造が、商品、顧客、会社の関係についてもいえます。会社(で営まれる仕事)は、顧客のものである、が現場の実感です。フロントはそうは思わない。株主から付託を受けた経営者のものだと思っていると考えます。対立しますよね。

文責:清水 佑三

2003/10/30 131

年俸制の功罪を。

ノンプロ(社会人野球)とプロ野球を考えると、月給制と年俸制の違いが明瞭になります。ノンプロの場合、都市対抗野球大会に優勝しても、選手の俸給は基本的にかわりません。監督、コーチ、選手の生きがいはお金以外のところにある、とみるべきです。しからばそれは何か、会社の名を高めた野球団の名誉であり、優勝の達成感であり、苦労を共にした同志との連帯感などでしょう。一方、南海ホークスの山本(鶴岡)一人監督がいみじくも「グランドに銭が落ちてる」と言ったようにプロ選手にとっては銭金(ぜにかね)がすべてです。自分の年俸を上げるパッションがよいプレーを引き出すのです。そこにはあがってナンボの世界があります。銭金の効用についてはよく知っているつもりですが、かつてのノンプロの隆盛を支えていた家族主義的な帰属意識の効用も、また見捨てたものではない、とよく思います。

文責:清水 佑三