人事部長からの質問

2003/11/13 140

CHOを拝命した。人事部長との違いは?

新しい言葉が出てきたときに気が弱くなるのが人の習性です。バンドとってくれ、といったら娘が「バンドなんてもうないの、ベルトっていってよお」というような話です。だんだん娘と話ができなくなってゆくのですね。ジャンパーはブルゾンに、股引は、さて何になったのでしょうか。質問に戻りましょう。CEOから始まって、COO、CFO、CHOとCとOの間に一文字を挟む呼称が増えてきていますね。「ギョーテとは俺のことかとゲーテいい」みたいなおかしさを感じます。実のところ、私もCHOなる肩書きについては無知です。ただ、先日、シンガポールで多国籍顧客のアジア大洋州の人事部長たちの集まりに出たときに、肩書きの中にCHOが増えているのに驚きました。ひとことで言えば、CHOは明日から「人事系のコンサルタント」が勤まるが、人事部長にそれを期待するのは無理、ということでしょうか。

文責:清水 佑三

2003/11/12 139

会社での無党派層が気になる。

おっしゃりたい気持ちはよくわかります。その昔、ノンポリという言葉がありました。周囲が「安保反対」で騒いでいるのに、そういう政治や学生運動に興味、関心をしめそうとしないグループを指しました。今の無党派層は、それとはちょっと違って、政党政治の仕組みそのものに幻滅している層を指しているように思います。納税者の思いとは全く関係なく、徴収された血税が特定のグループに還流してゆく様を、何度も何度も見聞きすると、それを推進してきた党派も、看過してきた党派もともに同罪だと思えてきます。そういう幻滅感が、世論調査に出会えば、「支持政党なし」しかなくなります。同じことが会社でも起こっているとみています。普通の人にとって、会社を私物化している層、それを看過してきた層、なべて会社をダメにした層だと思えてくるのです。この層が「会社内無党派層」を形成しています。この層が過半数に達した場合、会社は自然に「勢い」を失います。どういう施策をとっても好転しない時代に突入します。

文責:清水 佑三

2003/11/11 138

前後左右が「成果主義人事制度」だが。

ご指摘のとおりだと思います。成果主義にあらずんば人にあらずの風潮があります。日本人の特徴の一つが「付和雷同」好きです。江戸時代に、有力大名たちが競ってシャムの虎の皮を敷物にしたために、シャムで虎の絶滅が心配されたという話をきいたことがあります。こういう右に倣え好きは、われわれの遺伝子にセットされた性癖なのですね。中国がいいといえばみんなが中国に目を向けます。ご指摘の「成果主義人事制度」もそうです。成果とは何かについての透徹した思考を欠いたまま、どこどこ会社の成果主義人事制度がよいようだ、となるとぱっとそちらに走る。そこに(走狗のような)コンサルタント会社が介在します。われわれの社会の安寧をつくってきた「非成果主義人事制度」への理解と共感を捨てて、根無し草のようなこうした「流行」に走る「考え方」に先はない、と私は思っています。

文責:清水 佑三

2003/11/10 137

人事部長は中間管理職か?

違います。(喩えを使っていえば)大統領補佐官です。中間管理職と大統領補佐官は本質が違います。中間管理職の本質は、トランスミッション(伝導装置)です。役割は「力の伝導」にあってオリジナルな歴史観、世界観をもってはいけないのです。日本陸軍でいえば、兵団長、師団長、旅団長、連隊長、大隊長、中隊長、小隊長、分隊長がその役割をもっていました。これらの日本語名称は20世紀はじめのドイツ陸軍が範となっています。『ドイツ参謀本部興亡史・下巻(ヴァルター・ゲルリッツ)』。 一方、人事部長は直接、トップに(人事案件を)建策、献策する責任と義務をもっています。(人事部長としての)認知・判断・行動は他のいかなるパワーからも独立して存在すべきです。こうした役割を参謀といいます。1941年に始まった太平洋戦争は、陸士、陸大を優秀な成績で卒業した、少壮参謀たちの独自の歴史観、世界観によって構想されました。組織の生殺与奪の権をもつのは中間管理職ではなく参謀です。

文責:清水 佑三

2003/11/07 136

森祇晶と星野仙一の違いは?

デジタルとアナログの違いだとみます。森祇晶は師匠の川上哲治の「負けない野球」をひたすら継承したフシがあります。「負けない」ことに思考のすべてを集中させるのです。結果的に、データベース野球になります。一度大きな失敗をした選手は「怖くて使えない」のです。したがって復活の感動ドラマが生まれにくい。一方で、星野仙一の師匠は故島岡吉郎です。島岡は応援団長から野球部の監督になった稀有の「人間力」の人です。体罰をもって愛を表現しました。ちなみに、星野の鉄拳制裁は島岡直伝のものです。過去、島岡が手を出さなかった選手といえば、昭和43年に浪商から明治を経て巨人に入り、その年の新人賞をとった高田繁だけだったそうです。「高田は俺よりも俺を知っている」と御大(おんたい)は周囲に語ったそうです。星野采配の最大の特徴は「人情=感動」主義です。

文責:清水 佑三