人事部長からの質問

2003/11/28 150

福沢諭吉のどこが偉いか?

内緒の話ですが、今から8年前に出した拙著『なぜこの男のまわりに女が集まるのか』(PHP研究所)の種本は福沢諭吉が明治29年から30年にかけて時事新報に連載した『福翁百話』です。まったく似ても似つかない内容になっていますが、福沢が書いた一話一話にそってインスピレーションを働かせて書きました。彼の本質は『福翁百話』に題した(自作の)七言絶句に尽きています。「一面は真相、一面は空/人間万事、漠として窮まりなし/多言、話去るも、君、笑うをやめよ/また是先生、百戯のうち」。つまりどこまでが冗談でどこまで本当か、彼自身において定かでなかったのです。そこが最高であります。

文責:清水 佑三

2003/11/27 149

社員満足と顧客満足の関係は?

複雑なサービスを法人に提供する仕事はひとまずおいて、接客的なサービスを例にして考えてみましょう。社員が自分の仕事が好きで、愉しそうに仕事をしているとします。当然、お店に入ったお客さんは、機嫌のよい社員による接遇の恩恵を受けます。愉快な気分は伝染します。顧客満足度は当然高くなります。一方で、社員が自分の仕事が嫌いで、毎日毎日が地獄だと思って仕事をしているとします。お店に入ってきたお客さんが、どうしてそんなにつっけんどんに応対するの?といぶかるような態度をとるかもしれません。不機嫌もまた伝播、伝染します。顧客満足は最悪になるでしょう。以上が、社員満足と顧客満足の関係の類型化です。どちらが先にあるかといえば、明らかに社員満足だと思います。

文責:清水 佑三

2003/11/26 148

客観的面接なんてあるのか?

公平な人事ってあるのか、という質問と同じタイプの質問です。公平な人事、その反対の人事というニ値的な価値観をイメージした上で回答すれば、公平な人事も客観的面接もありえません。しかし、公平でない人事の割合を減らしてゆこうとする努力、主観的面接の度合いを少なくしてゆこうとする努力はけっして無価値ではないと思います。このように、目標として存在することにのみ価値がある概念は「自由」「平等」「博愛」をはじめたくさんあります。客観的面接もそういう種類の目標的概念だと思えばよいでしょう。ちなみに、エス・エイチ・エルでは客観的面接とはいわずに、ストラクチャード・インタビュー(構成的面接)という言葉を使っています。ある仮説を検証するために目的的に準備された質問をツリー状(こういう回答の場合は、さらにこれを尋ねる)に展開して、最終的な判断を構成的目的的に導く面接です。客観的ではないかもしれませんが、仮説と検証というプロセスは保障できます。

文責:清水 佑三

2003/11/25 147

部下のいない管理職の労組加入は?

日本IBM訴訟のことを言われているのだと思います。ご承知のとおり、この事案は日本IBMの部下を持たない管理職3人の労働組合加入を認めない会社の判断が不当労働行為にあたるかどうか、が争われました。東京都地方労働委員会は不当労働行為と認めませんでしたが、つい先ごろ、東京地裁は労組側の命令取り消しの訴えを認めて、東京都地方労働委員会の命令を取り消しました。東京地裁が下した判決の趣旨は「管理職なので組合員の資格はない」「ストに参加すれば処分対象となりうる」という会社側の主張を認めず、3人の職務内容や職務権限を詳しく検討した結果として「会社の利益代表者には該当しない」と指摘し、労働組合員の範囲は、(会社が規定するものではなく)労組の自主判断に委ねるべきもの、としました。日本の大企業において部下のいない非組合員管理職は多数にのぼります。非組合員のリストラに関係するこの判決の影響は注意深く見守る必要があります。

文責:清水 佑三

2003/11/21 146

役員評価制度のありかたを。

従業員兼務役員とそうでない(社長、専務、常務等の)表見役員とは分けて考えるべきです。前者については、従業員に対する評価制度との同質性、連続性をもたせないといけません。身分として従業員の立場をもっているからです。後者はまったく逆で、(従業員の評価制度と)同質性、連続性を断ち切る必要があります。先般、りそなグループが報道発表した役員評価制度の項目に「新しいりそな像を創り出す力」というのがありました。まさに役員諸氏には大きな群れを率いるリーダーシップを求めるという宣言です。もう一項、「深く多面的に問題を見極める力」というのもありました。一部門だけの視点から出てくるアイデアは世間に出したときに思わぬ抵抗や波紋に出会うものです。こうした世間の反応を深くかつ多面的に読める能力は役員がもつべき能力です。この二つがあれば船の舵取りは大丈夫でしょう。りそなグループの役員評価制度の改革を参考にすべきです。

文責:清水 佑三