人事部長からの質問

2004/02/24 205

人間鑑定能力を磨くには?

二つあるように思います。一つはアナログ鑑定力を磨くことです。相手のいっていることをきかないでしている行動の姿、形を眺めて「知見」を導く修行です。体操競技の審判者はそうしていると思います。また、金魚や犬などに値段をつけるプロもそうしていると思います。そういう人たちの職業上の知恵(の獲得過程)を学ぶことです。もう一つはデジタル鑑定力を磨くことです。データベース(サンプル事例)を蓄積させ、それが一定の量を超えて自然にルールベース(判断基準)に化けるのを待つのです。お医者さんの診断はそちらのやりかたをとっているように思います。前者の知恵は、日本人においてよく発達し、後者の知恵はアングロサクソンにおいてよく発達しているとみています。両方の鑑定力が同じ判断を誘う場合、自信をもってその人に対する行動をきめてよいと考えます。

文責:清水 佑三

2004/02/23 204

公平な評価を担保するものは?

私は何もないと考えています。「公平」とはかたよらず、えこひいきのないこと、をいいます。価値観の多様性を認めた段階で、ある人にとっては「公平」と映り、ある人にとっては「えこひいき」と映る、矛盾構造が生まれるのです。絶対主義はある意味では「公平」であります。ちょうど、オーケストラの指揮棒のようなイメージです。その棒に添って演奏者全員が同期できます。同期しない人は×としても公平性が保たれたと演奏メンバーは感じます。ところが、長期利益への貢献をよしとする政権から短期的な利益をよしとする政権へ移行した瞬間に、今までの評価が逆転してしまいます。いずれが公平であるか、は意味のない議論だと私は考えます。主観的、客観的という評価法の問題は、どんぐりの背比べでどっちもどっちの問題であり、価値観の多様性の問題に比べれば無視できます。

文責:清水 佑三

2004/02/20 203

自分のパーソナリティをどう見ていますか?

安全と危険という分け方をすれば、かなり危険なタイプだといつも思っています。車の運転に譬えると、事故を起こしやすい運転者なのだ自覚しています。具体的にいうと、(人が飛び出したという)認知が甘い、(ブレーキを踏むか急ハンドルをきるかの)判断が遅れる、(ブレーキやハンドルを扱う)操作が下手、が私の特徴です。だから、実際に車を運転するときは、若葉マークをたくさんつけているような心境で超安全運転をしています。車の運転はそれでよいのですが、社長業でそれをやると超安全運転=競争に負ける、となって好ましくありません。さて、どうするか、自分のパーソナリティが仕事上のハンディキャップになっている、とつくづく思う毎日です。

文責:清水 佑三

2004/02/19 202

持株会社に向く人材の定義を。

内閣官房長官適性といえば一番わかりやすいかもしれません。各省庁の管轄下で失政があると省庁トップは官房長官のもとに呼びつけられ、事の顛末と善後策についての考えを尋ねられます。大臣が大臣を叱責し、大臣が大臣にお詫びするのです。官房長官が総理大臣を代理しているわけです。ここから類推するに、虎の威を借る狐、の演技ができないと勤まらないポストだとみます。持株の力を最大限に行使できる能力であります。話を静かに聞く能力と、凄みのある指示ができる、のニつの能力が特に大切です。指示の内容はことによるとどうでもよいのかもしれません。

文責:清水 佑三

2004/02/18 201

謙虚な自分と傲慢な自分がいる。職責上まずいか?

そんなことはありません。どれだけ意識するかの度合いに個人差はありますが、おおかれ少なかれ、誰にでも見られることです。問題は、自分を撮影しているビデオカメラをもつ人ともたない人の違いです。監視カメラさえもっていれば、どこかでこれ以上の謙虚(傲慢)はまずい、という感覚が働きます。車の運転に譬えれば速すぎても遅すぎてもまずい、速度計で自分の車のスピードをたえず監視する、といった感じでしょうか。これが本当の意味での安全運転心得です。ビデオカメラの比喩をいつも忘れないでください。

文責:清水 佑三