人事部長からの質問

2004/08/10 320

否定的なことばかりいう上司の扱いを。

トップに投書して変えてもらうように仕向けるしかないですね。「否定的にものをみたがる人」を長く観察してきましたが、ひとことで言えば、かれらは頭が良く気が小さいのです。営利企業のような攻撃的な組織には向かないですね。周囲の人心を暗くします。彼らの特徴は「イエス・サー」といえないことです。その反対のタイプの人は、上司があたえる難しい譜面を、初見で何なく演奏してしまいます。どんな譜面であっても、一定程度、聴衆を喜ばせることができるのです。「ゆくところ可ならざるはなし」なのです。頭が良く気が小さい人は、それができない。上司が譜面を与えると、演奏に失敗するイメージが浮かんで、楽曲の不備、欠点を探し理屈をいって演奏する意欲を持たない。性格の問題です。

文責:清水 佑三

2004/08/09 319

野球とサッカーの共通点を述べよ。

違う点ばかりが思い浮かびますが、サッカーのPK戦は野球の投げる、打つの魅力と似通っていますね。源平の昔の一騎打ちの面白さです。蹴る方も攻撃ならば、得点を阻む方も攻撃です。(野球だと)投げる方も攻撃、打ち返す方も攻撃です。一対一の攻撃精神がぶつかりあう醍醐味が共通すると思います。攻撃の間合いもよく似ているように思います。サッカーに疎い者からみた、いい加減な話しですが、PK戦のときに、中村俊輔のような天才的なシューターは、ゴールキーパーの跳躍する方に、敢えてシュートをしたがるように思います。だからぎりぎりのコーナーいっぱいに凄いスピードでドライブ(回転)するボールをうつ。一方、そうでないシューターは、キーパーの動きを最後の最後までよくみて、反対の方にゆっくりとストレート・ボールを蹴る。人生論になりますが、後者の方がうまくゆくのではないでしょうか。

文責:清水 佑三

2004/08/06 318

カリスマ経営者は本当によいのか?

難しいお尋ねですね。すべて結果論ではないか、が私の意見です。統治スタイルと統治の成果、結果とは関係がないのでは、と思っています。その証拠は、カリスマ経営者を戴かない多くの繁栄企業の存在です。たとえばトヨタ自動車です。今の奥田会長、張社長とも天下の逸材であることは間違いありませんが、本田宗一郎さんのようなカリスマ性は指摘しにくいと思います。一方で、カネボウの伊藤淳二さんは誰もがそのカリスマ性を指摘しますが、彼がクーデターによって権力を掌握してからのカネボウは長期低迷そのものです。伊藤淳二元凶論が根強くあります。カリスマ性はひとつの統治のスタイルであって、「スタイルはパワーを規定しない」のです。

文責:清水 佑三

2004/08/05 317

加点主義の評価制度がほしい。

ご指摘の意味は痛いほどよくわかります。企業内評価制度は、評価原資の配分問題であり、どういう視点で制度設計を行っても、評価点別に−2、−1、0、+1、+2の人数分布をとるとベル・カーブと呼ばれる釣鐘型に収斂してゆかざるをえません。本質において評価はゼロサムなのです。このことに抵抗がある場合は、公務員のようにオール・ゼロでゆくしかありません。純粋な加点主義は、勲章制度や囲碁、将棋の段位制度にみられます。究極の加点である「大勲位」「十段」となると人数が極端に少なくなる右肩下がりの人数分布が描かれます。加点主義(評価)が許されるのは、無限大の原資をもっている場合だけです。勲章も段位も発行者が自由に発行できるゆえに成り立ちます。(今の日本の)国債のようなものです。原資が限られるとゼロサムタイプに収斂せざるをえないのです。

文責:清水 佑三

2004/08/04 316

社員が定着する会社はいい会社か?

会社を見る視点によって(良し悪しが)異なると思います。自分の人生において唯一無二の「時間」を拠出する社員の立場からみた場合、定着を希望すれば(処遇の改悪を伴わずに)定着できる会社はよい会社だと思います。一方、命の次に大事な「お金」を投資した外部投資家の目からみた場合、生産性において芳しくない社員をあえて定着させておく会社はよろしくないはずです。いつも引き合いに出すプロ野球を例にとれば、生え抜き主義をとる球団の方がFAで他のチームの高給選手をとりまくる球団よりもよい気がします。しかし、強さという観点でいえば、地元の選手・生え抜き主義でゆくチームは、高給FA選手で固めたチームに負けてしまうのではないでしょうか。負ければ観客動員力が落ちるのが普通で、興行的にもマイナスです。それやこれやを考えると、生え抜き定着主義には限界がある、が私の回答です。

文責:清水 佑三