人事部長からの質問

2004/08/17 325

エセうつが流行の兆しを見せているというが。

エセうつは犯罪です。犯罪センスをもつ人はあらゆるスキを付く意欲と能力をもっています。それでスキミングというのでしょうね。ゴルフ場のセーフティボックスにキャッシュカードが入った財布を預けておいたら、ものの見事にキャッシュカードをスキミングされ、3000万円の預金を引き出されてしまった事例が月刊「文藝春秋」の先月号に出ていました(柳田邦男氏による)。それでは「セーフティ」じゃないじゃんか、と思います。うつ病の早期発見、早期対応と会社が騒げば騒ぐほど、犯罪性向をもった人は、チャンス到来とばかりに創造力が湧き出します。エセうつ病を装うのですね。会社主催の何度かの講習で「うつ病を疑われる部下への対応マニュアル」をもった彼(女)の上司は、はれものに触るようにして彼のサボタージュを見守ります。うつ病だと眠れないのですが、悪いやつほどよく眠る、でエセうつを装う彼(女)は、今日もまたゆうゆうと朝寝して遅刻してきます。ちょっとそれを批判しようものなら、契約産業医に駆け込むのです。

文責:清水 佑三

2004/08/16 324

トップから強い意志が伝わって来ない。

事業家適性を欠いたトップを戴いているからでしょうね。(質問者は)選手適性を欠いた選手をもった監督が感じる幻滅と同じ幻滅を味わっておられるのだと思います。歌舞伎の台詞でいえば、「それじゃあてめえ、すむめえがなあ〜」でしょうか。事業家適性とは何か。一言でいえば、建築家が家を建てるときの心の働き、高揚をいいます。この地にこんな家を建てればすばらしい景観になる、そこで営まれる人間の生活はすばらしいものになる、という夢と確信でしょうか。そういう建築家魂のようなものをもたない建築家にぶつかった施主は不幸であります。カンムリ企業にこの例が多い。かりに中間管理職や監査役の適性をもった人が社長という名称で落下傘で降りてくるとします。中間管理職の仕事は、上と下を調整することです。また監査役の仕事はフェア度チェックです。そこには「新しい壮大な新事業プラン」がありません。社員には何も伝わって来ないものです。お気の毒としかいえないですね。

文責:清水 佑三

2004/08/13 323

採用チームのミッションを定義したいが。

とてもよい試みだと思います。当社の(新卒採用チームの)事例をお話ししましょう。当社の場合、小さい会社ながら相当数の応募者を毎年もちます。一桁の採用人数なので、落とす人の数はハンパではないです。採用チームのミッションは、落とす人に対して優れた(個人別)メッセージをプレゼントすること、です。そうしないとバチがあたると考えています。選考ステップのそれぞれの段階で「何を測っているのか」を明確にし、「測られた結果およびその解釈」を、個々の人に懇切丁寧にフィードバックすることをもって、採用チームのミッションにしています。すべての落とす人について、自己発見を支援し、キャリアカウンセリングを丁寧にすれば、「まあ、いっか」といった感じで、当社への思いを断つことが可能になるのではないでしょうか。人の心に火をつけたまま、中途半端な消火で別れると、人はお化けになって出てきてしまう習性があるのです。

文責:清水 佑三

2004/08/12 322

それにしても中日(ドラゴンズ)は強いですね。

天下大乱の年は中日が優勝する、という昔からの言い伝えがあります。自由、自民、公明の三党が降って湧いたような自自公連立小渕政権を組んだ5年前(99年)、政財官の中枢を襲うリクルート事件が勃発した16年前(88年)、タケちゃんまん(たけし)とブラックデビル(さんま)がこれ以上ない浮薄な芸を「おれたちひょうきん族」で展開し、そのまねをしたのか鈴木善幸首相が突然「ぼくの頭の上をタマが飛び交っている」といって政権を投げ出した22年前(82年)、ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任し、興奮しない筈のBBCのアナウンサーが「President Nixon has resigned」と朝7時のニュースで興奮して連呼し続けた30年前(74年)、いずれも中日優勝の年は天下大乱といっていい年まわりでした。お盆休みの今、日本および世界が天下大乱の様相を呈しているかどうか、必ずしもそうはいいきれない、と(私は)みているので、ジャイアンツを5ゲーム引き離した現時点においても中日優勝説はとりません。(こういう立論の仕方を「何のこっちゃスタイル」といいます)。

文責:清水 佑三

2004/08/11 321

化試合を始めた団塊の世代にいらだつ。

お気持ちはよく理解できます。ある新聞社の若い人が嘆いていました。年収の高い論説委員たちの毎日をみていると、およそ高い年収にふさわしくない仕事への取り組み方だ。彼らの年収を自分たちが汗水たらして稼いでいるかと思うと(いくら過去の栄光をいわれても)やりきれない気持ちになる。そのとおりだと思います。ならば、見方を変えたらいかがでしょうか。消化試合を始めた団塊の世代について、若い人たちの足をひっぱらないだけマシだと考えるのです。過去の成功モデルを振りかざして、指揮棒を振られるほうがもっと悲惨ではないでしょうか。あんまりいらだつと血液中の果粒球が増えて、リンパ球が減ってしまい極端に病気耐性が弱くなるそうです。過去に頑張ってくれた人を丁寧に送り出してあげる甲斐性(高い生産性)を組織としてもちましょう。これは一種の親孝行であります。

文責:清水 佑三