人事部長からの質問

2004/08/31 335

オリンピックの金メダル数からアメリカの衰退をいってよいか。

ダメですね。旧ソ連は圧倒的に金メダル競争に勝ってきています。しかし、崩壊しました。国家政策で金メダル獲得を目指せば、人口多く、金のある国は金メダルをたくさん手にできます。資質の早期発見、最高のコーチ、国際試合の経験、メダル獲得者の優遇等を(国策として)もてば、金メダルをとる裾野はいくらでも広げてゆけます。今、その代表は中国です。対照的なのがインドです。中国は一党独裁国家です。インドはそうではありません。一定以上の国力のある一党独裁国家が威信をかけて一つのことに集中すれば、核ミサイルも作れるし、金メダルもとれます。ご指摘のアメリカの衰退ですが、当分ないでしょう。遊び(メジャーリーグ)の試合の途中において、全試合、国旗国歌の奉頌を行う国はなかなか衰退するものではないです。つねに戦時体制をとって、覇権を脅かす国を次々にガタガタにしてゆきます。

文責:清水 佑三

2004/08/30 334

正論居士に対するスタンスを。

私が生涯戦ってきた相手はご指摘の正論居士です。いっていることは正しいが存在のありように感動を誘うものが何ひとつなく、およそ「ともに計るにたらざるなり」と思う輩を指していっています。その反対が夢をやらせてくれといってくるタイプです。いっていることはおよそ杜撰で穴だらけだが、訴えの目に光(オーラ)があり、なんとしても実現に力を貸してやりたいと思えてくるのです。多くの人が知らず知らず支援の輪に入ってゆくのは、前者ではなく後者の人たちだと思います。例をあげれば孫正義さんです。毀誉褒貶のある人ですが、強力な支持者がついたから今があるのだと思います。夢を語る目に光があったのだと思います。正論居士をどのようにしてうまく退場させるか、人事マンの仕事はそこに尽きるのでは、とよく思います。

文責:清水 佑三

2004/08/27 333

ナベツネ辞任、で号外が出たそうですが。

号外というのは面白いです。国民感情を象徴しているところがありますね。理屈抜きなところがじつにいいです。ナベツネは、長嶋茂雄語録を借りれば、いわゆる一つの国民的関心事になってしまったのです。球場に行ってプロ野球を見たこともない人が、口角泡を飛ばし、プロ野球を私物化したナベツネが悪いといっている光景にぶつかると、天下泰平、国家安泰だとつくづく思います。私は(実は)かなり前からのナベツネファンです。読売新聞紙上に展開される彼の憲法に対する立論は明快であり、尊敬に値いする、よく勉強している、と感じています。石原慎太郎さんと共通する直截(ちょくせつ)さがあり、さらに石原さん以上に勉強していますね。あれだけ勉強していると、どうしても勉強していない若い人をみるとダメに見えるのだろうと思います。オーナー辞任について読売同期(入社)の塩田丸男さんが、「これで本業(主筆)に集中できるのだから結構なことじゃないか」とコメントしていましたが、まことに慧眼であります。

文責:清水 佑三

2004/08/26 332

仕事の厳しさと労務管理は両立できますか?

(ご質問を)仕事上の要求水準を高めれば高めるほど、労務管理上の問題(36協定違反、ストレスによるメンタル疾患、過労死等)が起こる、そうした問題を起こさずに仕事の厳しさを社員に求めることは可能か、というお尋ねだと理解します。可能だと思います。全仕事をチェックして(会社が)労務管理責任をおうタイプの仕事をなくしてしまえばよいのです。社員のすべての仕事を裁量労働制で捉えられる仕事だけに限定します。そうすると、(裁量労働の)成果のみを問題にすることが可能になります。負荷をかけても成果が出ない人については「適材適所」の論理で離縁すればよいのです。プロの世界では当たり前のことです。会社をプロフェッショナルの集団と定義すればその道はアリです。

文責:清水 佑三

2004/08/25 331

管理職は課長以上を指すのか?

どういう枠組みの中での議論かによって変わってきます。たとえば労働法、労働行政という視点でみた場合、資本・経営の側にあって時間単位で働く労働者を管理、監督する仕事をするのが管理職です。彼らは資本・経営側に帰属し、労働組合に帰属しないので、非組合員という呼称がなされる場合があります。その場合、時間外手当の支給をするかしないかが(管理職かどうかの)リトマス試験紙になります。資本・労働という視点を離れて、企業間競争を戦っている組織における指揮の体系という視点でものをみると違った風景が見えてきます。会社が社員にある難題、課題を与えた上で、経営資源(人、もの、金、技術、情報…)の調達と配分に関する権限を委譲した場合、その瞬間に彼(女)は管理職になったとみなしてよろしい。会社の名において台本をつくり、配役をきめてよい権限を実質的にもつからです。係長、課長、部長という身分をもたないでも金を稼ぐ仕事(プロジェクト)を仕切っている人たちが浮かびあがってきます。お金を儲けているのは実は労働法でいう管理者ではなく、プロジェクトリーダー的な後者の人たちです。

文責:清水 佑三