人事部長からの質問

2004/09/30 355

社員のレベルに応じてリーダーシップのスタイルは変わるのか?

リーダーシップとマネジメントを分けて考えるとよいでしょう。マネジメントは対象層のタイプやレベルに応じて、スタイルが規定されるように思います。ヘンな譬えで恐縮ですが、刑務所の中の囚人が凶悪な殺人犯ばかりの場合と、業務上過失致死等の罪で獄中にある人とでは、看守による扱い(マネジメント)はずいぶん異なると思うのですね。一方、リーダーシップですが、ガキ大将も山口組の組長も本質はきわめて似通っていると直覚します。極端にいえば、サル山のボスも同じだと思うのです。群れを率いるという(ある個体の)行動が生物にもともと備わっている原始的な性格のものだからだと思います。

文責:清水 佑三

2004/09/29 354

貴社では内定式をやっていますか?

やっていません。ただ、当社の場合、9月決算なので、10月1日は「仕事はじめ」にあたります。毎年、始業式と称して全社員が集まって、涙と笑いの式典を行います。その一つのアイテムとして内定者の紹介コーナーというのがあり、名前、学校、専攻等を紹介して、笑いをとる3分スピーチをお願いし、一番笑いをとった人に粗品を進呈しています。そのあと、成子天神に社長と内定者全員が詣で、神前で「内定辞退(取り消し)をしない」と誓います。破ると道真公の怒りを買うのでお互いに守りあうものであります。こういうことを10年以上、続けています。クリスチャンの内定者にも因果を含めて参加してもらっています。

文責:清水 佑三

2004/09/28 353

合理性と人情の(篤さ)は両立可能か?

拙著『数字と人情』(PHP新書)でご指摘の問題を扱いました。この二つはまったく違った動きをする別なものであり、矛盾や相克を前提におかなくてもよい、という年来の考えを(本の中で)展開しました。さらに、人を募って結社をつくり、(強い)運動性を、その結社に与えてゆくときに合理性と人情は不可欠のものであり、その両立ができなければ永続的な発展の契機はない、とまで書きました。優れた経営者といわれる人は多少のバランスの違いはあってもその両立を学習によって獲得した人だと思います。近いところでいえば、本田宗一郎さんなどが思い当たります。本田宗一郎さんは、人の個性やなりたちについて鋭敏であった人で、(井深大さんによれば)誰よりもうまく人を使い分けたそうです。合理性と人情の両立の尺度が井深さんのいう「人をうまく使い分ける上手下手」だと私は見ています。

文責:清水 佑三

2004/09/27 352

社内公募制が有名無実化しているが。

あらゆる制度はそれぞれ固有のライフサイクルをもっています。その問題がひとつ。それから、ライフサイクル的には寿命がきていないが、その制度を必要とした状況がなくなり、またその制度の推進に情熱を傾けた人がそのポストを去るといった理由で、制度が寿命をまっとうせず夭逝してしまうことがあります。芭蕉が平泉で慨嘆した「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡 」となるのです。社内流動化、活性化を狙った「申告型異動」「FA」「公募」等の制度のいずれもが、そんなものもあったなあ、となってゆくのです。私見ですが、社内公募制がうまく根付く土壌は、(1)経験のある人が社内外にいない、(2)難度及び経営へのインパクトが高い、(3)その仕事につくためには適性(センス)が必要といったポストに限定して行うとよいでしょう。新規事業の推進などです。

文責:清水 佑三

2004/09/24 351

(社員への)配分原資で大事なものは?

仕事で得る達成感ややり甲斐といったのもではないでしょうか。それも理屈ではなく感情的な満足感だと思います。こうした個々人の内面に潜む感情的な何かを(会社として)思うとおりに操ることはできません。もともと制度や仕組みになじまないものだからです。金・地位・評価点といったものを配分原資にしてしまうのは、そっちのほうが制度化しやすいからです。組織に運動性をもたせることに成功した企業経営者は、多かれ少なかれそのことに気づいていて、達成感ややり甲斐につながる「気風や風土」のようなものをとても大事にします。それが腐っているとなにをやってもダメだからです。社員への配分原資でもっとも大事なものは「仕事で得る達成感」「やり甲斐」であると定義してみるとまったく違った人事マンの役割や仕事が見えてくると思います。

文責:清水 佑三