人事部長からの質問

2005/06/09 520

評価プロセスの標準化はやるべきですか?

やるべきだと思います。それもハンパではなく、徹底的にやられるとよいと思います。プロセスの標準化によって回避できる「評価過誤」はたくさんあるからです。野球の球審の仕事になぞらえると、評価基準を同じに揃える(=ストライクゾーンの統一)、同一行動に対して同じ評価をする(同じボールに同じ判定を下す)。こうした努力を通して、審判への尊敬と信頼が高まります。その先に、ゲームの流れを演出する真の意味での審判の存在理由が来るのです。ストライクともボールとも判定できるボールを試合の流れを読んでどちらに判定するか。野球という生きたゲームの面白さを左右します。面白くなるように、面白くなるように「境界判定」をすると野球ファンはどんどん増えてゆきます。選手も審判の演出力に感謝するようになる。これが評価者の主観というものです。

文責:清水 佑三

2005/06/08 519

バーレーンと日本のサッカー力が互角なのは?

バーレーンは辞典をひかないとわからない国です。人口は(わが住む県の政令指定都市)静岡とほぼ同じで70万人弱です。小さな国ですよね。日本のサッカー人口を巷間言われているように500万人と仮定するサッカー人口は(対国民比)4%です。同じ割合をバーレーンにあてはめると2.7万人しかサッカーをしないことになります。500万人と2.7万人のサッカー人口の違いがどうして強さに反映されないのかとても不思議です。つきつめてゆくと部員数11人で甲子園を沸かした徳島県池田高校のさわやかイレブンにゆきつきます。量(部員数)は質(チームの強さ)を規定しない、ということだと思います。

文責:清水 佑三

2005/06/07 518

傾向と対策、は否定すべき考え方か?

肯定すべき考え方です。羽生善治さんが鯉の滝登りのような活躍をはじめたころ、多くの将棋指しが羽生さんの手にはダミー(無意味な指し手)があるといって騒ぎました。振り返ってみればそうではなく、「傾向と対策」が用意できないほど羽生マジックが冴えていたのです。「傾向と対策」志向がなければ、羽生さんの創造性は闇の中だった筈です。逆様にみれば、将棋や囲碁のような頭脳スポーツが隆盛をみているのは、「傾向と対策」の循環を打ち破ることそれ自体が、おもしろくてスリリングだからです。

文責:清水 佑三

2005/06/06 517

大きな人事部、小さな人事部ってありますか?

あると思います。採用という仕事だけをとっても、会社によって(採用規模と関係なく)スタッフを多く抱えるタイプとその反対のタイプがあります。多く抱えるタイプの会社は大体において株価が安いですね。少ないマンパワーでやれ、という強い指示、命令がでると、言われた人は考えて新しいやり方を工夫するものです。効果がでると、さらにもっと少ないマンパワーで、となってゆき、次第に筋肉質のしまった組織体質ができます。人をもっと増やしてくれないとモチベーションが下がる、過労死のようなことがおきる、というのは同じやりかたにこだわる人の常套句です。

文責:清水 佑三

2005/06/03 516

評価者訓練の実効性に疑問をもつ…

歴史認識と評価とは実は同じものです。一党独裁の国は歴史認識がひとつですが、そうでない国の歴史認識は、人の数だけありえます。評価のバラツキを「許せないもの」と捉える向きが多いが、かならずしもそうとばかり決め付けられない。どういう上司についても同じ評価を受けてしまうような組織、社会を詳しく想像することです。ダイバーシティ(多様性の許容、肯定)を標榜する企業が単一尺度、単一解釈を奨励するのは、実はおかしいのですね。

文責:清水 佑三