人事部長からの質問

2005/12/02 640

人は何をやりがいと呼ぶのですか。

質問の意図、背景などについてのコメントがないので、何をどう答えたらいいのか、 正直悩みます。やりがいって、多分、すること、やることの意味や値打ちについての実感値をいうのでしょう。許容範囲を超えた強いストレスが長期間続くと、そうしたものが蒸発してしまってすべてが空しいことのように思えてくるものです。そこから逆算して考えると、やりがいは「面白さ感受性」を指しているように思います。箸が転んでもおかしい時代はやりがいピーク時です。やがて夕暮れがやってきて「屁のような人生」と総括してこの世をおさらばするのかも。

文責:清水 佑三

2005/12/01 639

本を読む人が減っていることをどう思われますか?

他人が書いた小説を読む人が減って、自分で小説を書く人が増えています。本も同じで、他人の書いた本を読む人が減って(自費出版など)自分で書いた本を自分で読む人が増えています。おもしろい現象ですね。ブログなどの流行もみな同根だとみています。こういう現象をわたしは勝手に「排泄物の公開化」と呼んでいます。この欄も実はその一つです。世阿弥が『花伝書』で書いた「秘すれば花なり、秘さずば花なるべからずとなり」という中世美学はインターネット文明によって消しゴムで消されてしまった印象があります。かつて文字がなかった時代があり、その時代における人のくらしはきっと今よりもずっと生き生きと豊かだったのではないか、という想像的述懐に近いご指摘だと思います。『徒然草』の152段にある「あな尊の気色や」「年の寄りたるに候」のかけあいによく似た話です。時代が移り変わっただけだといいたいのです。

文責:清水 佑三

2005/11/30 638

清水さんの特技を教えてください。

いろんな特技を隠しもっていたのですが、発表の機会がなかったために、今はもうすべて死滅してしまいました。1993年6月に出した『心の中の忘れもの』(PHP研究所)に自分の特技の一部を紹介しています。アマゾンのマーケットプレイスで1円で買えるかもしれません。「おなら」を自由に連発できる、「プラナ」ができる、など今読むとバカみたいなことを書いています。最近、これはことによると自分の特技かもしれないと思い出した芸が1つだけあります。オンラインインタビューをしながら、それが終わった段階でデータ処理可能な形式で速記禄を仕上げてしまうというワザです。誰でもできると思うのですが、ほかの人はそれをやらないので長嶋茂雄さんの言い方を借りれば「いわゆるひとつの」特技なのでしょうね。できた速記禄の質について保障がないのが残念であります。

文責:清水 佑三

2005/11/29 637

構造計算偽造問題を読み解いてください。

新聞等の報道によれば、国交省が今回の事件で問題になった完成済みの建物14棟と工事中の3棟について設計段階の図面を精査したところ、耐震強度が必要基準の26〜78%しか満たなかったそうです。このことによってどういうことが起こるか。自動車の車検になぞらえれば、杜撰な検査でパスした車が町中を走り回るようなものです。人間ドックになぞらえれば、クリニックの稼働率をよくするために分析をしないで結果を出力して「要精密検査」の人を見逃すようなものでしょう。この事件の本質について考えてゆくと「職業倫理」が衰退し、「企業競争」が隆盛している現代の世相そのものが鏡に映し出されているのだと思います。すべて汝がことなれ、という視点にたてば、私の内なる構造計算偽造問題にゆきつきます。さあ、どうしましょう。

文責:清水 佑三

2005/11/28 636

よい風土が業績を生むのですか?

業績なるものはプロ野球でいえばペナントレースにおけるリーグ優勝のようなものです。野球に長く関係している人たちの共通的感慨は、勝ち負けとは何と不思議なものよ、です。野村克也語録にある『勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし』はそのあたりの機微に触れた名言です。ご質問に戻りましょう。業績を生むものを三つあげろ、といわれれば「追い風市場」「すぐれもの商品」「ボビー式采配術」でしょうか。よい風土とは、最後の適切な采配術が継続してなされたときに起こる組織の発酵現象の形容です。組織に日本酒の「うまみ」のようなものが生まれるのですね。ただ、どんなによい風土を作っても勝負ごとにおいてイコール「優勝」とはなりません。

文責:清水 佑三