人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
武田薬品工業
来春 職種別で賃金制度 研究・営業に競争力
2004年9月15日 日刊工業新聞 朝刊 31面
記事概要
製薬業界では大手外資系が大量に他社の優秀なMRを引き抜くなど、人材獲得競争が激化している。競争力を確保するためには、自社の優秀なMRをひきとめる必要がある。武田薬品はすでに97年度から成果主義的人事制度を実施し、03年度からは(製薬、化学他社の同格者の賃金を参考にして)管理職層に対して(個別ポスト別)新職務給制度の導入に踏み切った。こうした制度はすべての全職種一律であったが、来春の実施を目指す新職種別賃金制度は、その部分をみなおし、一般事務職や製造(工場)部門の賃金を引き下げ、「人件費の適正な配分」によって、研究部門や営業部門で優秀な人材のひきとめや獲得をめざす。
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
営業部門の大改革が見える
コメンテータ:清水 佑三
前々回のこの欄に取り上げた日経産業新聞の記事を見ても、他社からの引き抜き圧力に対抗しようとする武田薬品工業の確固不抜の意思が伝わる。追い討ちをかけるようにして(2週をおいて)日刊工業新聞が同社の人事制度改革をとりあげている。
日刊工業新聞では27行の小さな記事であるが(見過ごせない)重い内容を含んでいる。武田薬品工業がいかに、自社の強化、存続という問題に強い危機感をもっているか、(記事が小さいゆえに)逆によく伝わってくる。
9月13日現在の国内製薬上位2社の時価総額を調べると、武田薬品工業4.37兆円、山之内製薬1.35兆円である。
武田薬品工業の企業価値は(製薬関連の日本企業間で)抜群といってよい。にもかかわらず、武田薬品工業は人事改革の手をゆるめようとしない。問題意識は国内競争相手に勝つことではないのだ。ただただ「自存自衛」「企業力強化」の一点にあると思われる。
世界最強の製薬メーカーが(武田薬品工業の)買収について関心を抱きつづけていることは、最近の『選択』誌上で複数回にわたってとりあげられている。
多分、(火のないところに煙はたたないの喩えどおり)何かがあるのだろう。一般事務職や製造部門の(現行の)賃金水準を引き下げてまで、営業部門の社員への待遇を厚くしようとするのはハンパな考えではできない。常識では、賃金水準の引き下げは「白旗」と同じである。勝っている企業は、そういうことはしないものという一般的な通念がある。
製薬業界の営業前線に何が起こっているのか?
同社の昨年10月1日づけのプレスリリース(「医薬営業本部 新体制への移行について」)をみると、次のような何気ない記述がある。
淡々と営業部門の組織改革が語られている。ラインである営業所長が10名のMRをみる。今まで情報活動(製薬の場合は営業とほぼ同義)と部下の育成・指導という二つの役割をもっていた(中間的な)チームリーダーの役割から部下の育成・指導という項目をとった。より情報活動にエネルギーを使ってほしい、というのが会社のメッセージだ。
製薬に限らず、営業マンは継続して実績をあげると、ある時点から部下の育成・指導という役割を与えられる。スポーツにたとえると中心選手としての活躍を期待されると同時にコーチ兼任を言い渡されるようなものである。
ここに(組織として)スキができる。
人のありようやなりたちを研究している立場からいえば、プレーイング・マネジャーのもとではよい選手は育ちにくい。あたりまえのことだ。プレーヤーとして成長過程にあれば、プレーに集中できる環境だけがほしい。そのほかの仕事は精神衛生を悪くする「めんどうなこと」なのだ。
プレーイング・マネジャーは、結果だけをみて部下を指導するようになる。プロセスをみないで結果だけであれこれといわれたら部下も辛い。結果として両方が疲れる。部下も育たないし、プレーイング・マネジャーも中途半端な心理におちいる。今まで聞こえなかった引き抜きのささやきが聞こえてくる。
武田薬品工業の考えは単純明快である。戦場は最前線のMRの戦いである。優秀なMRについて、餅屋は餅屋でゆこうということだ。油の乗り切ったシュンの営業最前線の人たちに「部下の指導・育成」という複雑な難題を与え、営業意欲を殺がせることは会社全体にとってマイナスであり、彼らを厚遇して引き抜こうとする競合他社にスキを与えるだけ、という判断が潜む。
正しい判断だと思う。人を育てることと、獲物をとってくることは、水と油で両立が難しい。無理にそれを両立させようとしてきたこれまでの呪縛を解き放てばよい。武田薬品工業の営業最前線の空気は、会社からのメッセージで明るくなるのではないか。
必要は発明の母という。その言い方を真似れば、存亡の危機は改革の唯一の母である。中途半端な改革でお茶を濁している企業は、政策立案者がほんとうの意味での存亡の危機を感じていないのである。
強い会社はかくしてますます強くなり、弱い会社はますます弱くなってゆく。