人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

JR西日本 オピニオン=現場の風土改革

2005年5月23日 電気新聞 朝刊 14面

記事概要

 (JR西日本福知山線で大事故を起こした)運転士の行動の背景を考えてみたい。いやしくもプロの運転士である。自分の命もかかっている。カーブでスピードを出しすぎれば危ないという意識がなかった筈はない。おそらく彼はそういう常識的な考えが働く精神状態になかったのだ。そうさせたのは何か。(考えるに)経営から現場への厳しい締め付けだろう。日勤教育の辛さもあったかもしれない。こうした大事故を再発させないためには、現場が規律とゆとりをもてるような作業環境を経営が責任をもって保障することだ。それと小さな過失をお互いにオープンにだしあって、そこから(安全上)大事なことを、組織として学び、大きな事故を未然にくいとめる現場の風土の改革が大事だ。

文責:清水 佑三

『安全文化』の醸成、云うは易く…

 1人の個人の過失を話題にしているが「オピニオン」子の目はそこに向けられていない。組織のありように目がいっている。要約すれば、大事故の原因は、JR西日本の経営方針、長期間で醸成された企業風土にあるという認識だ。

 1999年の秋に茨城県東海村で起きたウラン加工工場臨界(JCO)事故を思い起こす。様々な角度、方面から事故の直接原因、間接原因が指摘された。

 事故後1年を経て出された(内閣府の)原子力安全委員会委員長談話の総括は、次のような言葉でしめくくられていた。

  「…原子力事業者は、特に許されて事業を行っているものであり、安全確保についても高いレベルの責任を負っているという認識を持つ必要がある。従業者の教 育等を通じて、何よりも安全を優先するという『安全文化』の醸成を図りつつ、安全確保に全力を尽くすことを期待する。また、行政庁においても、与えられた 権限と責任の重要性を十分認識しつつ、原子力安全行政に対して厳正に望むことを希望する」

 この総括中で使われている「原子力」という言葉を、そのまま「公共輸送」と置き換えて読むと、この文章は、今回のJR西日本が引き起こした事故にもあてはまる。

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 (組織における)『安全文化』とは何をいうのか。1株あたりの資産、利益の最大化義務を負う企業経営者にとって、どういう角度で取り組めば自らの企業における『安全文化』醸成への道筋がつくのか。

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 「組織の文化」についてはアメリカ(ハーバード社会関係学部の)エドガー・シャインが詳しい。

 シャインは父親の影響があって初めは物理学に興味をもった人である。野球ファンでもあった。

 文化人類学のクラックホーンや、臨床カウンセリングのロジャースなどの影響を受け、個人と組織の価値観の相互影響という問題に深い関心をもった。

 彼の強い問題意識は、ミネアポリスを優秀な成績で卒業した職業軍人が、捕虜になるとどうしてやすやすと「洗脳」されてしまうのかにあった。朝鮮戦争後、中国や北朝鮮の捕虜になって、洗脳されて帰国した米国軍人たちを、帰国の船の中でインタビューしつづけた。

  他人によってなされる「刷り込み」によって、人の価値意識はどう変わるのか。その過程は?精神科医、ソーシャルワーカーとチームを組んで徹底的に捕虜に なった洗脳兵士たちから話をきいた。シャインは「価値意識の変容」の問題を極限状況の事例をもとに考えつづけたのである。

 彼の組織文化論の核はこの時の経験をもとにつくられたといわれる。企業文化(オーガニゼーショナル・カルチャー)という言葉は、シャインが定着させた言葉。

 有名な『Organizational Culture and Leadership』の中の一章で、組織文化形成のステップが取り上げらている。

 この箇所はメチャ面白い。上から下の通達、指示等によっては「組織文化」は形成されない。それではどのようにして形成されてゆくのか。

 組織内の非常に小さい集団で「新しい文化」が誕生する。その文化に深い感銘と啓示を受けた(組織内)伝道者が自然発生する。その伝道者たちの滅私奉公の普及活動によって、その文化が組織全体にじわじわと伝播する。シャインのいう文化形成プロセスである。

 また、ひとりの個人における価値意識の変容プロセスはきわめて複雑であり、ほとんど「謎」といってよい。神秘的プロセスだとまで彼はいっている。研究者としてのギブアップ宣言みたいなものである。

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 同じ問題を考え続けた日本の思想家がいる。福沢諭吉である。

 彼は『文明論の概略』の中で、国家の気風の重要性を指摘し、どうすればヨーロッパに呑み込まれない強い気風をわが国民がもてるかについて独自の思索を展開した。その思索の実践が「独立自尊の校風」を標榜した慶応義塾の創設である。

 「一国の独立は一身の独立から」という有名な福沢の言葉は、政府の行政上の施策を通して、国民の独立の気概をつくることはできない、という認識のコピー化である。

 シャインや福沢の著作を読めば読むほど、(文化醸成の問題は)一片の通達や制度的なもので片付く単純な問題ではないとわかる。

 「上意下達」のスタイルをとる限り、JR西日本の「安全をもとめる」文化大革命は遥かな遠い道となるだろう。

 「公共輸送」事業者の存在理由は「安全」である、今の仕事のやりかたではいけないと命がけで立ちあがる小さな集団が(JR西日本の中に)生まれれば話は別だ。

コメンテータ:清水 佑三