人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

みずほフィナンシャルグループ 
新人事制度 入社1−3年目 ルーキーの異動希望反映 
適性考慮し配属

2005年3月10日 日本経済新聞 朝刊 7面

記事概要

 みずほフィナンシャルグループ(FG)は、7月から、異動を経験していない入社1−3年目の総合職を対象に、銀行、信託、証券、シンクタンクの垣根をとっぱらい、自己申告を出させ、直属の上司との面談やグループ各社人事部との調整を経て、10月以降、適材適所の部署に再配置する新人事制度に踏み切る。一般に大手金融では入社後4−5年は現場の営業店を渡り歩くのが通例となっており、みずほの1−3年生の希望を異動に反映するやりかたの例はあまりない。バブル崩壊後、銀行の就職先としての人気は低迷気味であり、優秀層の「銀行離れ」に歯止めをかける思惑もあるとみられる。

文責:清水 佑三

若者に迎合していい場合とそうでない場合がある

 イチローは名電工時代、投手だった。3月11日のNHKラジオで当時の倉野光生(名電工野球部)監督が話したことであるが、イチローは高校時代、野球をやめたいといってきたことがあった。1アウトもとれずに続けざまに打たれて6失点したときで、監督は「そうか、それならそれでよい、やめろ」と突き放したと いう。

 一晩、泣き明かしたイチローは「もういちど頑張る」といって野球を続けた。

 このときに監督が「野球を続けろ」と強く説得していたら、今のイチローがあったかどうか、と倉野(元)監督は述懐する。運命的な場面だ。人の一生の不思議さを語ってあまりある。

 イチローが投手から打者へ転向したきっかけは(自転車通学の途次)、自動車にはねられたからだ。2ヶ月の入院後、マウンドに戻ったイチローの投げ方はいわゆるマサカリ投法になった。自ら投手としての道を断念し、打者として生きる覚悟を固めた。

 最終年次の夏のシーズンの公式戦の打率は7割を超えていたという。どうしてそんなに打てるんだと倉野監督がきいたら「ピッチャーに打ち返せばヒットになる」と淡々に答えたという。

 イチローが交通事故にあわず、かりに彼がめざした投手の道を続けていたとしたら、今のイチローが生まれたかどうか。意味がない問いかけだろう。

 意欲と能力は必ずしも一対一の対応的関係にないといいたかっただけである。

  相撲の「呼び出し」は、声が最上段の客席に届くまで7年かかるそうだ。そこからまた、館内のざわめきが呼び出しの声によって鎮まるようになるまで、さらに 10年かかると聞いたことがある。プロになるとはそういうことである。辛い修行時代を伴わない職業人はたかが知れている。

 どうしてみずほFGは社会人になってわずか1−3年の人たちに対して、厳しく鍛える責任をほうりなげてしまうような(甘い)判断をしたのか。彼らの自己申告での異動を認めたのか。筆者にはよくわからない。

 自信なげな態度、姿勢に(どうしても)見えてしまう。「呼び出し」も難しいがバンカーの道はそれと同等の難しさがあるのではないか。顧客の耳に自分の声が届くようになるのに7年の歳月はかかるのではないか。

 適材適所には三つの条件、次元がある。「好き」「できる」「ハッピー」である。「好き」であれば苦労は苦労でなくなる。辛抱して「できる」ようになる。継続は力なり、ではなく、力は継続によってしか生まれないのである。

 「好き」と「できる」があってもその人の幸福感が満たされないときがある。周囲の人がその人を評価しない場合だ。不当に扱われた場合、(好きな仕事ができていても)人はその場を離れようとする。「好き」「できる」「ハッピー」の三つを同時に満たすのは実は至難である。

 会社が社会人の卵にプレゼントできるものがあるとすれば、「継続は力なり」となる環境を与えることだ。それは長い間の我々の企業社会の常識であった。我慢させ、辛抱させ、仕事によって一つまた一つと鍛えてゆく以外に手がない。

 かりに記者が書くとおり、1−3年生の自己申告をきき再配置するアイデアで若者の「銀行離れ」を食い止めようと考えているのだとしたらあまりにお粗末だ。

 そんなはずはないと思いたい。

コメンテータ:清水 佑三