人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
東レ
55歳以上の賃下げ廃止 5年かけ修正 60歳まで昇給へ
2005年2月10日 読売新聞 朝刊 38面
記事概要
合繊最大手の東レは、今春闘の労使間交渉で今年4月から毎年2%づつ5年がかりで55歳の賃金水準を54歳時まで引き上げることで労使双方が合意に達した。結果として、高卒18歳から60歳まで一貫した昇給制度を適用する。引き上げの対象には、すでに退職金などを受け取って関連会社に転籍した55歳以上の組合員(約3000人)も含まれる。全東レ労連の紙野憲三会長は「55歳で急に能力が落ちるわけではない。賃金を下げるのはおかしいと考えた」と語った。成果主義賃金制度などの導入で中高年を冷遇する企業が多いなかで、高年層の処遇改善は珍しく、他社の労使間交渉にも影響を与えるとみられる。
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
エージングによって音はすばらしくなる
コメンテータ:清水 佑三
読売はこの記事の理解を促すために囲みで「成果主義賃金制度」を解説している。わかりやすいので、この部分のみ全文を転載する。
「成果主義賃金制度=社員個人の能力や働きに応じて月給を決める仕組み。厚生労働省のまとめでは、従業員1000人以上の企業では83%で導入されてい る。1歳ごとに昇給する年功序列的な制度と違って若手の士気を高めるには効果的とされるが、能力は落ちなくても、体力、気力の鈍る中高年層には、厳しい制 度といわれる」
年齢を加えてゆく現象をエージングという。英英辞典では、ageing: (noun) the process of growing old (adj.) becoming older and usually less useful, safe, healthy, etc と解説している。訳せば、古くなる過程、(形容詞として使われる場合)、年代ものになるほど、使い勝手、安全、鮮度が落ちてくる、となる。
オーディオの世界では、エージングという言葉をむしろ肯定的に使っている。スピーカーにおいて特にいえるが、使い込むと音がだんだん柔らかくなってくる。 ボーカルや弦の音において特にその傾向が顕著でキンキンした感じがなくなり、ききやすくなる。スピーカーはセコハン市場がしっかりと根付いているが、エー ジングの効用も預かっていよう。
スピーカーと同じようなことがヒトについても言えるのではないか。
「自己概念は行動を規定する」はカウンセリング創始者ともいわれるカール・ロジャースの有名な言葉である。
彼は、自己概念の歪みが「現実不適応」を生むと仮説し、自己概念の歪みを補正する仕事として「カウンセリング」を提唱した。
昨今のカウンセリング隆盛は、様々な要素、要因があると思うが、彼の仮説の正しかったことのひとつの状況証拠でもあるだろう。
エス・エイチ・エルでは、行動に関する自己概念の性差、年齢差のデータをとってユーザーに情報提供している。(OPQコーステキスト)。男性、女性別に5歳づつで区切り、平均値をグラフにしている。
働きざかりの時代(28〜33歳)と退職時の時代(58〜64歳)とを比較し、退職時の自己概念(得点)が高い項目だけリストし、そこから描かれる「行動傾向性」を描写してみる。全32項目のうちでそれに該当する項目は以下の8項目である。(男性データのみ)
(退職時が高い得点の項目)
指導性…リーダーとなって指揮をとり、何をなすべきか人に指示する。
率直……自分の意見を自由に述べる。
社会性…公式の場でもくつろげる。
謙虚さ…自分の成功について黙っている。
堅実……十分に確立された方法を好む。
几帳面…仕事がきちんと終わるまで粘る。
律儀……ルールや規則に従う。
タフ……批判に鈍感になれる。
(そこから読み取れる中高年層の行動傾向)
「思いつきで人にものをいわない。確実に結果につながる方法を主張する。自由に自分の意見をいう。ルールや規則は大事なものだと思う。自己顕示はしな い。修羅場になるほど落ち着いて対応できる。批判されてもやるべきことを最後までやる。人を率いる役割だと自認している。」
中高年層は、少なくともデータでみる限り、メリットがある。自己概念が行動を規定するのであれば、20歳代後半から30歳代の前半の人たちよりも、ずっと 会社の期待(結果を出す、ルールを守る、自己顕示しない、修羅場に強い、メンタルに強い、人に指示できる)に近い行動をとっていることになる。
見た目の衰えや加齢臭などで中高年は(若年層から)忌避されることが多い。東レ労使は能力の衰えが事実として明らかでないならばそれを理由に給料をカットする従来のやりかたはよくないと判断し、記事にあるような合意に達した。
過ちをあらためざる、これを過ちという、という点で、時流におもねた自己のあやまちを批判しあらためた画期的な合意である。