人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

出光興産
企業の系譜=出光興産 「大家族」甘え排し変革

2004年12月7日 日本経済新聞 朝刊 13面

記事概要

 出光興産は1998年に米ムーディーズから「投機的」にあたるB2の格付けをつけられた。市場信認のバロメータを自認する世界的な専門格付け機関から、企業の根幹の成立条件である「ゴーイング・コンサーン」を疑われたのだ。グループの有利子負債が2兆円超まで膨張していた事実もある。その背景には、96年の石油製品輸入自由化による競争の激化と脱石油をめざす産業構造の変化(石油需要の頭うち)があった。99年秋、経理担当常務の地位にあった天坊昭彦氏は、「外部資本の導入と株式上場」を柱とする資本政策の改革案を用意して、創業者の出光佐三氏の子息である出光昭介会長(現名誉会長)、その従兄弟にあたる出光昭社長(現会長)と対峙した。翌年、出光興産は創業以来のモンロー主義を排する歴史的な発表を行った。2006年の株式上場意志の表明である。2002年、天坊昭彦氏は社長に就任。積年のライバル新日本石油と精製提携に踏み切り、ジャパンエナジーとも油槽所統廃合で協力関係を樹立した。出光の象徴である家族主義の負の遺産を解消し、ムーディーズがどこまで格付けをあげてくるか、いよいよ社長の手腕が問われようとしている。

文責:清水 佑三

大いなる自己変容、出光の挑戦

 企業の系譜=出光興産、の日経記事によれば、出光興産は、1911年の創業以来、創業者出光佐三氏の「大家族主義」理念を連綿と受け継いできた。こうした理念が、

  • 社員は家族
  • 非上場でよい
  • タイムカードはいらない
  • 定年制度はいらない
  • 労働組合はいらない

という出光独特の社風となった。さらに、(同記事では)それがある時期、業界他社との協調を排した猛烈営業につながったともみている。

 猛烈営業によって90年代なかば、出光興産は旧日本石油(現新日本石油)を抜き、業界トップの地位にたった。出光が創業以来経営理念として強く掲げた「いたずらに規模の拡大を追わず」のもっとも大事な条件である「いたずらに」の内容がここで問われねばならない。

 バブル(の熱)に浮かされて本業を忘れ、株や不動産投資等に走ったのが世間一般のバブル現象であるが、出光興産の場合は、ひたすら本業の中核であるガソリンスタンドへの出店政策が、主要な投資の中身だった。財務体質を極端に悪くさせた出店戦略は、結果からみれば「いたずらに規模の拡大を追った」がゆえと見られても仕方がない。

 出光興産がつくってきたわが道を突き進む社風、文化は、アメリカの原理主義研究者エミー・ジョンソン・フリクホルムがいう現在のアメリカの中西部、南部を覆っている「ラプチャー(恍惚)文化」を彷彿させる。(雑誌『選択』2004年12月号「米国キリスト教原理主義者の衝撃」)

 キリスト教原理主義者は、世界平和、軍縮、条約、国際協調を叫ぶものたちを信じてはならない、彼らは悪魔の手先であり、我々を滅ぼす意図をもっている、と固く信じているという。孤独で自閉的な被害者意識が背後にあるのだろう。

 フリクホルムによれば、ブッシュ大統領がとる国連軽視、京都議定書敵視、(反宗教を鮮明にする)フランスとの対決等の政策は、いずれも福音派と呼ばれるキリスト教原理主義者の政治的主張と重なる。だから福音派の多いアメリカ中西部、南部で、ブッシュは(大統領選に)圧勝したのだという。

 出光興産の石油連盟からの脱退(その後復帰)行動は、まさに孤独主義からくる反協調政策の投影である。出光興産における(原理主義者の)聖書にあたるものは探せば、創業者が掲げた「人間尊重」「大家族主義」「黄金の奴隷たるなかれ」などの思想だろう。

 「黄金の奴隷になるな」は、ムーディーズの奴隷になるな、の叫びにも聞こえる。さて、時代環境の変化は出光興産をどう変容させようとしているか。

 出光興産の公式ホームページに今日の時点で「経営理念」として掲げられているのは次のような言葉だ。

−出光は、1911年の創業以来、「人間尊重」を経営理念とし、社会から尊重される人間の育成に経営の主眼を置いてきました。創業当時と現在では、企業を取り巻く環境は多少異なりますが、今でも出光では社員の成長や達成感を大切に考える伝統が色濃く残っています。それが、結果的に社員の責任感や結束を生み、変革期や逆境に強さを発揮する企業体質を醸成しています。

 自信のない弁解のトーンをもつ不思議な経営理念だ。出光佐三氏の(宗教的ともいえる)原理主義は、いまなお存在するようにも見え、すでに遺物になっているようにも見える。

 天坊社長が02年に社長に就任してからの出光の変貌は著しい。

  • 02年、兵庫、沖縄の2製油所の閉鎖、新日本石油との精製提携
  • 04年、汎用樹脂部門の三井化学との統合

 など、過去の出光では考えられない協調、融和の戦略が矢継ぎ早に選択されている。

 最終戦争を単独で戦い、勝ち抜いてラブチャーを得る路線ではなく、「世界平和、軍縮、条約、国際協調」に向けてギアをきったのである。ひとことでいえば、頑なな単独主義から、普通の経営へのシフトチェンジである。

 人をつくる、社員研修のありようにそれが顕著だ。かつては、自らを「店主」と呼んだ出光佐三氏の理念を学ぶ「店主室研修」以外、社員研修はなかった。入社10〜15年目になると、45日間かけてその名のもとに「全人格教育」が行われた。比叡山の千日回峰業のような強烈な研修だ。

 天坊社長はそこにメスを入れた。40歳前後の課長、次長クラス14人を社内から選抜し、外部の講師を招いて、3ヶ月にわたって「リーダーシップやマーケティング」などの経営学の基礎を徹底的に学ばせるプログラムに変えた。その上で、自らの所属部署の最優先課題を考えさせ、その解決策を出させて、中期経営計画に反映させる。

 この教育プロジェクトを率いる中野和久取締役人事部長は「理念教育だけでは競争を乗り切れない」と語る。グローバルな企業ではごくあたりまえに実施されていることが、ようやく端緒についた。

 長い年月をかけて出光興産は価値観共同体を作ってきた。その成果が、ある瞬間での売上日本一である。「人格尊重」の旗印のもとに長い期間をかけて培われた強いDNAを壊さず、それに「合理性」が付与されれば、鬼に金棒となる。

 価値観共同体に「損益センス」という性能が付与されたとしよう。負ける理由がなくなる。V9巨人のような常勝軍団が生まれる。(中村邦夫氏率いる)現松下電器がまさにその典型だ。

 私は(今後の出光を)壮大な自己変容の実験劇として注視している。強いリーダーシップがあれば、出光は大きく化ける諸条件をもっている。

コメンテータ:清水 佑三