人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

HONDA
明日への布石(44) HONDA(5)
人材づくりが原点 創意・情熱のDNA

2004年7月23日 フジサンケイビジネスアイ 朝刊 25面

記事概要

 ホンダはいま、創業者本田宗一郎の薫陶を直接現場で受け、技能・技術を牽引してきた年代の社員が大量に定年退職を迎えている。また、激しくなる一方の販売競争の中で、短期的な成果を問題にしようとする市場の空気の中で、創意をもつ人材をつくる「原点回帰、源流への遡行」が強く訴えられている。福井威夫社長は、今年の仕事初めを埼玉製作所(埼玉県狭山市)からスタートさせた。「夢や希望の実現に向けて自由に考え、創りたいものを創造することこそがもっとも大切なホンダの原点」と年頭所感で話した。年頭の社長挨拶が製造現場でなされたのは、本田宗一郎氏以来、実に30年ぶりのこと。強い原点回帰の意欲が感じ取れる。つねに他社と一線を画そうとするホンダの人材づくりの要諦は…(池田昇、武政秀明)

文責:清水 佑三

ホンダとはひとつの文化、文明の種類をいう

 NHKスペシャル、「我が友 本田宗一郎〜井深大が語る技術と格闘した男〜」がNHK総合テレビで最初に放映されたのは、平成3年12月のことだ。ビデオに録画し、繰り返し、繰り返し見てきた。何度みても、最後のシーン、「楽しませてくれてありがとう」という箇所で涙があふれてとまらなくなる。

 ソニーに本田宗一郎が出向いていって講演をしたときの映像が残っていて、この番組の中で紹介されている。昔のニュース番組と同じでモノクロだ。その時の台詞。うろ覚えのまま。

 「あっしゃあね、一度でいいから王様のいない碁をやりたいと思っているんだよね。あっ、そうじゃねえや、碁じゃねえや。将棋だあ。さぞかし気分よく指せると思うね。王様がいるから将棋はつらいんだよ。王様がいなきゃあ、王手もないしね。「飛車」と「角」をしっかり守ってね。私の将棋なんてものは、そんなもんですよ。そういうあたしんとこへ升田幸三名人が来てね、おう、本田、おまえ、「歩」が使えるね、「歩」の使い方がうまいね。将棋は「歩」だよ。それだけ「歩」が使えるんだったら、三段をくれてやろう、っていうんだね。そうか、三段か、大丈夫かなって思っているとね、升田さんが、だけどね、ひとつだけ条件があるっていうんだな。三段をくれてやるけど、一札入れてくれ、決してこれから人と指さないって約束しくれ、っていうんだよ」

 軽井沢の別荘のバルコニーのチェアに座って思い出に耽る井深大さんのナレーションが続く。

 「本田さんみたいに、ああ、あっけらかんといいたいことをいえれば気分いいだろうなあ、と思いますね、だけど、私にはああいうことはできないねえ」
 「本田さんくらい、人を見抜いてその人にあった仕事をやらせるのがうまい人はいなかったね。あの人は技術の人だっていわれるけど、むしろ人を使うのがうまい人でしたね。「歩」なら「歩」、「槍」なら「槍」ってね。その人を見抜いてうまく使っていましたね。それはそれはうまい人だったですね」

 記事に戻る。人事管理を主管する吉見幹雄常務によれば、個人の創意工夫や仕事への情熱を事業競争力の源泉とするホンダの人材づくりの手法には2つの特徴がある。

  • 高卒役員はザラといわれるくらいに徹底した「抜擢主義」
  • 上司の指示を受けて動く人間を嫌う「自己申告」

 「抜擢主義」は、創業者本田宗一郎のDNAといってよい。「歩」なら「歩」、「槍」なら「槍」、「桂馬」なら「桂馬」として人を見、人を使う秘術である。抜擢は、見込んで引き抜く意がある。成功の保障はまったくない。ハイリスクだ。つねに問題意識をもって人を観察し、この人は「歩」ではないか、という仮説をつくる。そういう目でさらに観察を深め、確かに、と思えたところで思い切って「歩」として「抜擢」する。そこには「歩」の効用(のタイプ)だけが意識されていて、「歩」が雑兵という思想はまったくない。本田宗一郎はそういう人の抜擢がうまかった、と井深大はいっているのだ。エンジニアリングの手法を人の活用に応用したのである。

 「自己申告」は、ホンダイズムの真骨頂であろう。吉見幹雄常務は「きれいごととして聞いてほしくない」とはっきり断った上で、記者に向かって次のようにいう。きれいごととは抽象的な表現という意味だ。

…「人はもともと夢や希望をもっており、その実現に向かって、自分で考え、自分で工夫するようにつくられている。そういう自由な創造的な人の本質を奪わないようにする、より自由さを発揮してもらえるように人事に関する制度の設計をしてゆく」

 記事中から人事管理におけるホンダイズムを探してみる。ホンダにおける(社員の)処遇観の原則のようなものが示されている。

  • 本社だから、工場だからの区別はない。
  • ホワイトカラーだから、ブルーカラーだからの区別はない。
  • 日本だから、海外だからの区別はない。
  • どんな仕事にも本人次第でつける。
  • ホンダには世間でいう成果主義はない。
  • ホンダフィロソフィーにそった挑戦がなされれば評価する。
  • 評価の軸は「難易度、創意、貢献」の三つだ。
  • 人事考課は、その人が自己申告した理想の実現度を検証する場とみる。
  • 昇格認定は、その人が自己申告した理想の実現度を検証する場とみる。
  • 仕事の目標設定を上司は規定しない。すべて本人の自己申告から始まる。
  • 会社がやるべきことは「個人のやる気や創造性を引き出す舞台づくり」だけ。

 こうしたコメントはリトマス試験紙のようなもの。これを抽象的だと感じる人がホンダに入社したら辛い毎日になる。夢も理想も抽象的であり、それを現実化しようとする過程において、限りなく具体的になってゆくのだ。はじめから具体的なものを求める人は、理想に向かって生きることはない。

 マズローがその存在を強く信じた「自己実現」の原語は actualization である。ホンダとは、マズローの「自己実現」を実践しているひとつの文化、文明の種類をいう。自分のすぐ身近な場所に「ホンダ」をもてた幸福について考えることが多い。

コメンテータ:清水 佑三