人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

マツダ 2007年メド 
全技能に検定 評価にも反映

2004年4月6日 日本経済新聞 朝刊 14面

記事概要

 マツダは2007年度をめどに、自動車生産に関するすべての技能を対象にした技能検定制度を導入する。同社の技能(職種)は120あるが、旋盤技能のように国家検定がある30職種を除き、90の技能については国家検定がない。これまでそのうちの40の技能について社内で検定制度を用意してきたが、残り50の技能については手つかずで残っていた。この未整備部分を2007年度までにゼロにもってゆく方針だ。検定結果を人事評価に反映し、成果主義型の人事制度を全社的に定着させるのが狙い。

文責:清水 佑三

「技能検定→職能資格→既得権」の固定化を憂う

 同じ(製造)工場に技能職として働く人について、公正、公平な人事評価をしたいされたいは、雇う側、雇われる側に共通する願いだろう。従事する仕事の種類によって待遇上の差別があれば、全社一丸の雰囲気はつくりにくい。

 野球に譬えれば、サードとファーストについては技能検定制度があって、ショート、セカンドについてそれがないようなもの。同じ条件で比較できるような尺度がなければ、(年俸更改時の)「技能評価」項目への信頼性が失われてしまう。それは確かにそのとおりである。したがって、マツダの願いは願いとして一定の普遍性をもつ。

 ところで、自動車工場に限らず、あらゆる技能は、技能を単独で眺めると、

  1. 習熟の難易度(一流になるためにはかなりの時間を要する)
  2. 需給の逼迫度(技能をもつ人の数が世界でも限られている)
  3. 成果の保証度(技能の有無と成果とが比例的な関係をもつ)

 の三つの要素をもっている。

 (1)と(2)は、一定の情報に目をつければそれなりの序列化、指数化は可能だ。問題は(3)の技能と成果との対応関係である。

 この記事中にも「技能職は(一般に)共同作業が多く、一人ひとりの(特定の)技能を客観評価しにくい」という記述がある。まさにそのとおりであって、野球の譬えを繰り返せば、どの選手のどの技能の発揮によって個々の試合の勝ち負けが決まったのかについて選手が納得できる客観的な評価をするのは難しい。個々の試合で難しいのであるから、年間135試合を通じての総合的な評価となれば、その難しさは形容できない。

 こうした技能と成果との関係性をあいまいなままにしての成果主義型人事制度は「百害あって一利なし」と筆者はみる。最も大事な点を解決していないからだ。

 本質を看過した枝葉の整合性を追及すればするほど、本質への感受性は鈍る。大東亜(戦争)の戦端を開いた国家指導者が「戦争を際限もなく複雑な社会現象として捉えていなかった」こととよく似ている。悲惨な末路が待っていた。

 マツダの問題は決してひとごとではない。共同作業全体を通してよい仕事をして、製品の品質にそれを投影させることが(仮に)大切であれば、個人の特定技能の習熟度の評価=公平、公正な評価 という短絡した思考様式は用いるべきではない。

 チームに対する評価をすればよい。それもおおまかな主観でよい。

 あらゆる仕事を個別要素に分解して、仕事従事者の個別要素別の技能を比較計量するところから「天下をうならせるよい工場」は生まれて来ないと筆者はみる。そこにいる人たちのジェラシー最小化を目標におくあらゆる思考様式は1人の勝者をもつくらないだろう。

コメンテータ:清水 佑三