人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

キリンビール
メンター制度 役員、女性管理職の「先生」に
相談相手の輪作り、離職を防止

2007年10月13日 日本経済新聞 朝刊 12面

記事概要

 キリンビールは、来年二月をメドに、これまでになかった「メンター(指導者)制度」を導入する。指導の対象は女性社員。同社の女性社員は約千二百人いるが、これまでのところ、女性の役員や部長は誕生していない。また、入社五年以降に(男性社員と比較し)離職率が急速に高まる傾向があった。新制度では、まず役員五人が部長に最も近い女性社員十人のメンターとなり、半年間、日々の業務で直面する問題のアドバイスをしたり、幹部の仕事のあり方や自身がどのように成長してきたかなどを伝える。指導を受けた十人の女性社員は、次の半年間、それぞれが管理職一、二年目の女性社員のメンターとなる。半年間の個人指導を受けた管理職一、二年目の女性社員は、今度は入社三年目以上の若手女性社員のメンターとなる。こうして縦の系列で相談の連鎖をつくることで、個々の女性社員がキリンビールの中での自身のキャリアプランを具体的に描けるように支援してゆく。新制度導入の狙いは、仕事上の悩みによる女性社員の離職率を減らし、彼らを長期的な戦力としてゆくことにある。

文責:清水 佑三

なぜ、入社五年を過ぎると女性社員はやめてゆくのか?

 記事中にある「メンター制度」について辞書的な説明を加えておく。わかったようでわかりにくい言葉なので。

メンター制度:

 企業の人事制度の一つ。特定の先輩社員が、特定の後輩や新人に指導や支援を継続的に行うもの。仕事上の悩み相談だけでなく、ビジネスマンとしての生き方や人間関係の持ち方など、幅広い角度から後輩の成長を支援してゆこうとするのが特徴。イギリスの教育界に見られるチュータ制度の企業版ともいえる。指導する側をメンター(mentor)、指導を受ける側をプロテジェ(protege)と呼ぶ。アメリカの企業社会で 1980 年代に叫ばれるようになり、日本企業でも早期退職防止法として取り入れるところが出て来ている。(文責筆者)

 キリンビールがなぜ、女性社員だけを対象にメンター制度を導入したか、背景には深刻な上級職における女性不在があるとみる。千二百人も女性社員がいるのに、役員はおろか部長職にも女性がついていない事実がそれを示唆する。

 この問題を考える上で参考になるのは、ノルウェーの企業社会である。将来の日本がそうなるかは別にして、ノルウェー産業界での男女共同参画社会のありようについて紹介する。

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 女性の社会進出度、世界ナンバーワンの地位をここ数年維持しているノルウェー(人口468万人)では、1988年に、クォータ制と呼ばれる女性の社会進出を促す法案が議会で可決された。

 平たく言えば、公的機関においてボード等のメンバーを選ぶ際、女性が4割以上を占めないといけないというもの。

 クォータ制度の導入により、ノルウェーでは政界の女性議員の割合が急速に増えた。主要政党はクォータ制をマニフェストに掲げて選挙に臨み、各党の比例候補者名簿には、男女候補者が交互に名を連ねるようになった。この制度の導入後、どの政権も閣僚の約半数は女性が占めている。

 ノルウェーの全ての領域で男女平等が実現されているかといえばそうではない。総労働人口の約半数を女性が占めているにもかかわらず、女性には依然としてパートタイム労働者が多く、平均賃金も男性に比べ低くなっている。民間企業の取締役職に就くのは圧倒的に男性が多く、2003年統計では、取締役従事者の女性の割合は7.4%にとどまっている。

 ノルウェー政府は、このまま産業界での現状改善が進まず、女性役員の割合が増えない場合は、民間企業の取締役選出にもクォータ制の導入を検討するとして、世論誘導に入っている。

 このあたりの詳しい経緯は、NHKのBS1で今年の9月23日に放映された『BS特集/未来への提言/ ノルウェー子ども・平等大臣 カリータ・ベッケメレム 〜男女共同参画の時代〜』に詳しい。

 民間企業への不当な政治介入だと叫ぶノルウェー産業連盟に対して、ベッケメレム大臣は、そういうことを言っているから社会は進歩しない。いうことをきかないなら政治が介入するしかない、とやさしい笑顔で語っている。

 ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの北欧三国の社会改革のスピードは速い。人口が少ないこともあるが、G8国では後手後手にまわりがちである環境、教育等の領域でも、必要とみれば即座に実行に移す果断さが社会にある。

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 翻ってわが国ではどうか。名の通った企業における女性管理職の割合は、依然として数パーセント台であり、社外役員を除いてボードメンバーに女性の名はほとんどない。

 遠因を求めれば、将来のボードメンバーたりうる最優秀女性層が、入社五年以降に足早に企業を去ってゆく現実がある。これはキリンビールだけの問題ではない。

 やめてゆく理由が、何回きいてもよくわからない。したがって、会社として手が打てない。個人的な理由として片付ける以外に手がない。

 自分の経験から、筆者は優秀女性社員の早期退職について一つの仮説をもっている。次のような仮説である。戯画化して書く。ご寛容を願う。

(カッコイイと思った男性社員への失望)

 入社五年目を過ぎると、仕事がひととおりわかるようになり、後輩もだんだん増えてくる。入社してすぐにいろいろと迷惑をかけ、世話になった(カッコイイと思っていた)先輩男性社員が、次々と主任や係長といったポジションについてゆく。昇進後の彼らの仕事ぶりを見ていると、どうして?と思うことが多すぎる。会社への献身の度が過ぎている。かつて一緒に否定していた様々なる理不尽に対して戦う姿勢が見えなくなる。私的な時間はほとんど持てていない。理性の放棄と自分の時間の異常な拠出。なぜなのか。盲目的出世競争に入ったのか。

 学徒出陣で前線にたった優秀学生たちが職業軍人に抱いた「人の嫌がる軍隊に志願で来るよなバカもある」と同じ気持ちになってゆく。

(これはと思う女性先輩が会社を去ってゆく)

 あの人が頑張っている間は私も頑張ろう、と思ってきた先輩女性社員が会社を去ってゆく。あれほど会社に貢献していたのに、去ってゆくものに対して「敵前逃亡」まがいの目で会社は見る。こういう会社って一体何なのだろう。本当に自分の貴重な時間を奉げてよい対象なのか。会社の本質に疑念が萌す。

(ばかな上司に遭遇する)

 総合職であれば異動はやむをえない。しかし、よりによってこの異動は何なの?私のことをこれっぽっちも考えていないんじゃないの。私はこういう上司のいる部署だけはイヤと前から申告シートに書いていたじゃないの。人事権者は私の悲鳴を聞いてくれないの。わざとやっているの?

 そばで見ればまた違うかと思って、行くだけ行ってみようと思って来たけれど、これほどひどいとは思わなかった。何、この上司。てめえ、それでも人間の暖簾はり続けるつもりか。大学の講義まともにきいてきたんか。理想の社会の創出に心ときめかした青春あったんか?

(後輩のために頑張ろうという気も失せる)

 自分を信頼してくれている後輩女性社員のためにも、逃げ出すことはしまいと心に誓ったけれど、堪忍袋の緒が切れた。みなさんのことは気になるけれども、自分を守ることが今は先なの。ごめんなさい。もうこの船から下ろさせてください。失業保険が出るあいだは、ニュージーランドの田舎町でもいって、語学研修でもしてまいります。その先はそこでよく考えてみます。

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 キリンビールがもった(女性社員の定着問題への)仮説は上とは違う。仕事上の悩みに対して、同性のよい相談相手がいないことが、女性社員の早期退職に関係があるとみた。

 メンター制度の導入はその観点でなされている。この制度の導入成果は、女性社員の離職率統計の推移を見ない限りわからない。

 キリンビールが導入した新制度の概要と期待される効果をもう一度、箇条書きにしておく。

  • ボードにもっとも近い女性管理職を指導対象に選ぶ。
  • 会社への忠誠義務をもつ役員が彼らの半年間の「家庭教師」になる。
  • ここでの対話のテーマは「会社を率いる仕事人生の意味」である。
  • 指導を受けた彼らが次の半年「家庭教師」に転じ管理職一、二年の女性社員を指導する。
  • 順次、「生徒」が「家庭教師」となって、指導対象を入社初期の女性社員まで下ろす。
  • 対話の目的は「働き続けることで得られる幸福の発見」である。

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 女性社員の定着が悪い理由について筆者の仮説を出しておく。併せてこの問題への対処案を示してこの稿を終える。

 (女性社員の定着が悪い理由)

  • 女性は男性に比べて「選ぶ悩み」を快とする習性が強い。
  • 商品のお買い物時間を男女で比較するとわかる。
  • 女性の方が男性よりも「選ぶ悩み」を満喫している。
  • 選ぶ悩みの対象は「モノ」だけではない。「ヒト」「カイシャ」に及ぶ。
  • 離婚をイメージし始めるのは女性側であり、切り出された男性側が驚く場合が多い。
  • 「カイシャ」も同じ。離社をイメージするのは女性側が早い。
  • 「カイシャ」を一度きりしか選べない、それではもったいない(と女性は考える)。
  • 仕事に自信がついたときが「ウリ」のタイミングではないか。
  • 上位職の肩書きがついたら、それが最高の「ウリ」になる。
  • 自分を市場にだしてどう評価されるかそっと試してみよう。
  • 意外にたくさんの「お問い合わせ」がきた。嬉しい。
  • 「選ぶ悩み」をじっくり味わおう。

 女性の社会進出が進んでいるノルウェーにおいても、一つの会社に居続ける度合いは、男性よりも女性は低いのではないか。ボードに入るレベルであっても、職歴欄の行数は男性よりも女性の方が多いのではないか。

 筆者の提言は、経営、管理職により多くの女性を得たい場合、社内からの登用ではなく、社外からの採用によって行うのがよい、である。その方が現実的かつ有効だとみる。

コメンテータ:清水 佑三