人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

住友電工が制度改定
次世代へ技術伝承 57歳以上でも昇進、昇給

2007年9月26日 鉄鋼新聞 朝刊 6面

記事概要

 住友電工では、これまで57歳を迎えた社員に対して「専任職」と呼ぶ独自の職務カテゴリーを用意し、賃金の一律引き下げや役職、業務内容の見直しを行ってきた。9月16日でその制度を廃止し、57歳以降であっても、昇進、昇給を可能とする新人事制度を決めた。この制度改定は、これまでの労使交渉の合意に基づいて行われたもの。新制度の導入の理由は、長年の経験に裏打ちされた専門技術をもつベテラン社員のモチベーションアップをはかり、次の世代への技術伝承をより確実なものとしたいため。また、関連会社へ出向し役職者となっている場合、出向先で職位があがったにもかかわらず、年齢条件だけで、賃金が下がるといった制度と現実とのギャップを是正する意味あいもある。改定初年度は、組合員一人あたり1330円の賃上げとなる。来年度以降の見直しについても順次労使で協議してゆく。

文責:清水 佑三

賃金制度に過度に依存してはならない

 短い(業界新聞の)記事であるが、(賃金制度の)潮の流れの変わり目的な内容を含むと考え、取り上げる。関心は自然年齢に対応させて給与を上げ下げする制度設計の落とし穴にある。

 一般に年功序列賃金制度をいう場合、年齢(横軸)と賃金(縦軸)の関係は、右肩上がりのカーブがイメージされる。年齢が高くなるほど給与が高くなり、(定年)退職時点でピークになる。公務員の俸給表はこの考え方で作られている。

 背後にある考え方は、賃金とは「働きに対する見合い」ではなく、働く個人の「生計ニーズに対する保障」である、というものだ。

 生計ニーズ(資金需要)は、年齢とおおまかな対応関係がある。学校を出て就職し、家庭をもって子育てに入る。教育には多額の費用がかかる。やがて、老後を迎えた親の面倒をみるようになる。さらに自分の老後に対する準備に入らなければならない。年齢が高くなるほど、生計ニーズは高くなってゆく。「年金問題」の深刻さをみればよくわかる。

 公務員だけでなく、かつては多くの民間企業がこの考え方に準拠した右肩上がりの賃金制度をもっていた。日本が高度成長の終焉を迎えた頃から、この制度が音をたてて崩れ始めた。

 成果主義的要素を加味した賃金制度の導入競争に入った。

 その背景、言い分を一筆書きすれば、企業が、その企業に身を寄せた個人に対して、生計ニーズの保障として右肩あがりの賃金制度を用意することは、社会の公序良俗を保つ上で必要だ。

 しかし、その考え方をとり続けると、「賃金を生計に対する保障」と考えず、「働きに対する見合い」だと考える(諸外国の)企業との競争に敗れる。背に腹は変えられない。年功序列的要素の割合を減らし、成果主義的要素を一部入れて、企業の存続を優先させよう。

 住友電工が、57歳になった社員に昇進や昇給を認めず、その年齢から格下げや減給を行ってゆく制度を過去に導入したのは、こうした(時代の)潮の流れにそったものだ。

 やってみるうちに、57歳という年齢で昇給カーブの上昇を止めて、下降線を描かせる制度はどうも不都合の方が多すぎることに気づいた。もう一度元に戻したらどうか、ということだろう。これもまた時代の流れだ。

 記事中詳しく触れられていないが、ある年齢で賃金カーブを落としてゆくやりかたをとると、次のような不都合が起こりやすい。

(今までは…)

 長い年月切磋琢磨して「高い技術」を獲得した人が社内にいるとする。入社当初はズブの素人だった。それが今では業界でも屈指といわれる技術をもつに至った。会社が機会を提供してくれたからこその技術だ。この技術は誰のものか。半分は自分のものだ、しかし、あとの半分は会社のものである。ならば、定年を迎えるまでにこの技術を会社に少しずつ返してゆこう。後進に技術を少しずつ教えてゆこう。後に続く人たちにこの会社を委ねよう。いわゆるウィン、ウィンの関係である。会社は御礼の趣旨をこめて、定年まで賃金水準を維持またはアップさせる方向をとる。

(会社命、が一転し)

 こうした自然な感情の芽生えが、(たとえば)57歳切り捨て論を会社がとった瞬間に凍りついてしまう。そういう考え方を会社はとるのか。(会社は)自分の技術に興味がないのか。不要だとみているのか。それなら、自分の技術がどこまで世間で通用するのか、自分を市場に出して試してみよう。57歳まで待つ必要はない。早ければ早いほどいい。市場に出た「手足れ」に飛びつくのは新興国家群の新興企業である。破格の報酬を提示することが多い。それが噂として流れる。同じ立場の人たちが浮き足だつ。

(焼き畑農業のように)

 貴重な人的資源の流出がさげどまらなくなる。現場の右を見ても左を見ても半素人集団。それが様々なトラブルをつくる。出ていった「手足れ」を呼び返そうとしても、もう遅い。焼き畑農業で焼き尽くされたような農地の風景が現出する。技術的な厚みは失われ、企業信用がぐらつきはじめる。人的資源の軽視がたどる当たり前の展開だ。メーカーの内部崩壊である。

 記事にある住友電工の「賃金制度の見直し」は、57歳賃金ピーク論のあとにやってきた「技術空洞化」への対抗策とみるべきだ。

 この見直しによって期待どおり、次世代への技術伝承が行われるか、筆者にはよくわからない。一度手から離れた人の信用はなかなか戻ってこないものだ。

***

 以上が自然年齢に対応させて給与を上げ下げする制度設計思想の落とし穴である。じゃあ、どうすればよいか。

 筆者の賃金制度論、会社活性化論の概要は以下のとおりである。

1)個人の生計ニーズを満たそうとする企業理念は崇高であるが、働く側がそれを期待しなくなった事実がある。余計なお世話になりかねない。自然年齢と賃金の対応はほどほどにしたほうがよい。それより個々人の「働き」に目を注ぐべきだ。「働き」を引き出す方策の方が大事だ。

2)「働き」を担保するものは何か。筆者見解では、個々人の仕事に注がれる「エネルギー」である。それが高度技術を生む最大の要素である。

3)「エネルギー」の拠出量を左右するものは何か。固定的なものではないとみる。その人のその時の気分といったほうがよい。その気分を規定するのは、揺れ動く状況や関係である。

4)人の気分は、鯰や泥鰌のようにヌルヌルしていて捉えどころがない。たえずウオッチして、その人の気分をよくするために、よりよい状況や関係を、現場のアドリブで構築しつづける以外に手がない。この作業をマネジメントと呼ぶ。どういう状況下、関係下でも安定した「エネルギー」を拠出できる人はいるだろうが希少だ。普通の人は、状況や関係の質によって、水を得た魚になったり、陸にあがった河童になったりする。その人たちが、よいマネジメントを求めている。

5)マネジメントの力で気分をよくした人に、よいシナリオ(やりかた)とキャスティング(支援部隊)を与える。それが適切であれば、成果につながりやすい。

6)成果を出した貢献者をどう処遇するか。年に何回かの賞与制度でそれを吸収する。最高賞与額の設定は難しいが、最高評価を受けた人の年収が業界トップに位置するくらいになるようにするとよい。

7)賞与による成果配分は、評価誤差の問題がつきまとう。ただ、賞与一回ごとにご破算で願いましてはとやれば大きな問題にはなりえない。甘くなったり辛くなったりするのが誤差だからだ。

 過半数の部下を「水を得た魚」にしてしまう技術をもつマネジメント層をどこまで厚くもてるか、その方策がもっとも大事だという主張である。

 賃金制度をあれこれいじるよりも、会社発展のためにはその道をとるほうが現実的である。

 制度で人を活性化させる、は制度設計者の夢であるが、筆者は人の性質はそこにないとみている。

コメンテータ:清水 佑三