人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

コナカ
残業代、店長にも
全324店 管理監督者から外す

2007年9月7日 日経流通新聞 朝刊 6面

記事概要

 紳士服専門店のコナカは、今年二月に発足した全国一般東京東部労組コナカ支部が「店長にも残業代を払うべきだ」と主張し、労働基準監督署(労基署)からも「仕事上の裁量権を十分与えられていない店長を管理職として扱うのは不適切」とする是正指導を受けたことに対応し、全国三百二十四店の店長すべてを管理監督者の枠から外すことを決めた。今後、店長職そのものは従来どおりとし、地域ごとに複数店を統括する「エリアマネジャー」を新設して、彼らを担当地域の管理監督者として位置づける方針。同社は今年三月、店長など残業代がつかない約三百八十人の管理職に、(未払い残業代相当分を)特別賞与として計約四億七千万円、支給していた。今回の決定はこの支給を賃金制度に反映させたもので、来期(08年9月期)からの人件費の増加につながる。経営へのマイナス影響は避けられない。一般に小売り、外食チェーン業界では、多くの企業が、店長を管理職に位置づけており、紳士服チェーンでも青山、AOKI、はるやま商事など大手各社は店長を管理職として扱っている。

文責:清水 佑三

店長を管理職として位置づけられる企業、そうでない企業、その違いは?

 コナカの店長を管理職として認めなかった労働基準監督署の判断は何に起因しているか。今年の7月4日に配信された朝日新聞のネットニュースに、コナカに関連する記事が載った。そこにそれをうかがわせる記述がある。引用したい。

…横浜西労基署は、(コナカの)店舗に所属する社員の4割が店長で、出退勤の自由も認められておらず、「全店舗の店長を管理監督者と取り扱うことには疑義がある」と指摘。コナカは店長ら管理職約380人に「特別賞与」の名目で総額約4億7000万円を支払うと発表しているが、労組側は、残業代分がまだ全額支払われていないと主張している。コナカは「指導を受け止め、店長の管理監督者としての職務権限を再考するなど改善に取り組む」としている。

 労基署の是正指導の根拠は、この朝日新聞の記事によれば二つある。それぞれについて考察を加えてみたい。

(管理職が店舗所属社員の4割を占めている)

 管理職者の割合が多すぎるからダメ(管理職者として認められない)という意味ではない。店長の実務を精査すると、管理職社員の方が、他の店舗社員よりも長い時間、販売業務に従事しているのではないか、という意味だ。その見返りとしての賃金を受け取っているか、という視点である。

 この(人事改革各社の事例)コラムで、「一人で七人前(年間2億円)を売る“売りの名人”がいる。横浜市都筑区にあるAOKI横浜港北総本店の総店長、町田豊隆さんである。」を今年の7月に取り上げた。

 総店長という職位の人でさえ、販売の最前線に立ち、どの店員よりもたくさん売っているのが業界の実態だ。たくさん売っている背後には、それだけの時間を割いている事実がある。

 であるなら、他の店舗社員と同等の残業代を支払うべきだ、が労基署の判断の根拠と思われる。

(出退勤の自由が認められていない)

 出退勤の自由とは、タイムレコーダーに打刻をする、しないという違いを指していない。店舗社員に課せられている出社時間、退社時間の条件の遵守を、店長がもっとも強く(会社から)求められており、店長はその求めに応じて、率先垂範してそれを遵守している、という意味だ。

 このことは、店長が采配する側に立っているのではなく、采配される側に立っているという認識を導く。よく使われる言葉でいえば、労働者側と会社側との区分である。労基署がコナカの勤務実態を調べてゆくと、(コナカにおける)店長は労働者側に近く、会社側からは遠いように見えたのだ。

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 筆者の(この記事に触れての)関心は次のように要約できる。

…コナカの店長の仕事と同業大手の店長の仕事が大きく異なるとは考えにくい。にもかかわらず、同業大手の店長が「管理職者」であり続けられる理由は何か?

 筆者の仮説を提示すれば、次の二つとなる。

1 コナカには強い労組パワーが存在し、経営パワーを圧倒した。
2 「店舗管理」は本社機能だという認識がコナカには強くあった。

 この二つが相乗したのだ。それぞれについて述べる。

1 コナカには強い労組パワーが存在し、経営パワーを圧倒した。

 全国一般東京東部コナカ支部という労組の名称を見ればよくわかる。コナカにおいて店長一般社員論を展開したのは、コナカ社員の有志ではなく、総労働側の精鋭たちである。強力な法廷論理を展開できる組合専業と人権派の弁護士たちがついている。

 赤子の手をひねる、という言葉どおりに、コナカ経営陣が用意した論理が(司法警察権をもつ)労基署内の審理の場で粉砕されたということだろう。

 なぜ、全国一般(労組)がコナカ問題に乗り出したのか。コナカの経営思想があまりに時代遅れ、と戦う労組のプロがみたからではないか。一罰百戒だ。やってやれ、というモチベーションを(コナカが)刺激したと筆者はみる。

 同じような図式は、あらゆる人権運動体においてみられる。たくさんの駆け込みがある中で、なにを取り上げ、何を取り上げないか、コストパフォーマンスの原理が働く。労多くして益少ない案件は退けられる。コナカで勝てば、全小売チェーン業界の橋頭堡ができる(と全国一般労組はみた)。

2 「店舗管理」は本社機能だという認識がコナカには強くあった。

 どういうチームスポーツでも、監督は、選手を代表する選手を決める。キャプテンという名称がその選手に与えられる。ニューヨーク・ヤンキースでいえば、ショートストップを守るデレク・ジーター選手がそれにあたる。

 彼は監督、コーチのようにゲームの指揮采配には関与しない。しかし、勝つチームの雰囲気づくりに貢献する。そのために率先垂範してプレーする。練習に遅刻しない、誰よりもよく練習する、ゲーム中マインドを落としている選手に声をかける、などがキャプテンに期待される役割としてある。

 コナカは、店長に監督の仕事ではなく、キャプテンシーを期待した。それが出退勤の自由を店長に与えなかった理由だろう。誰よりもよく売り、誰よりも早く店に出てきて、最後に帰るという選手の中の一番の選手の役割だ。

 こうした役割期待を会社がもつとどういうことが起きるか。

(店長気の毒論)

 誰よりもよく働いているのに、(店長は)その見返りが少ない。店長手当と(うべかりし)残業代とを比較すると一目瞭然となる。もしあの店長に残業代が出ていれば、働きに見合う給料を手にできる。今のままではあまりにかわいそうだ。

 (店長に残業代が出るように)運動しよう。有志の駆け込みで全国一般(労組)が動きだす。経営論の視点はなく、人権擁護の視点が強い。

(店長の裁量権はゼロに等しい)

 マネジメントはつきつめると、シナリオの選択と、キャスティングに要約できる。

 シナリオの選択とは、その店舗の成績を左右する最優先要素について構想する自由と、それを自主決定する自由をいう。

 店舗の成績を左右する最大の要素は、立地と規模である。この立地(規模)ではダメだと現場データから進言し、移動先を見つけてくるのが最大の店舗マネジメントである。それをする役として(コナカの)店長は予定されていない。

 キャスティングとは、シナリオにそった人材の調達と運用を指す。店によって、来る客筋が違う。それによって用意する店員のタイプとレベルが違ってくる。本社とかけあって、理想のスタッフィングに近づけてゆくのが店舗マネジメントの基本である。

 コナカの店長は、調べれば調べるほど、会社側としての自由裁量権をもつ存在には(労基署からは)見えなかった。

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同業大手との違いはなぜ起こったか

 多くの企業において、企画立案に預かる「係長職」で同じ問題が起こっている。係長職は働く側に帰属する職務か、働かせる側に帰属する職務か、の論争である。係長職には残業代をつけるべきではないという日本経団連の主張は係長の本籍は会社側だというもの。

 いわゆるホワイトカラー・エクゼンプション問題である。

 年収400万円以上というせこい基準を含めたためにホワイトカラーの怒りを買ってしまって日本経団連のアイデアは頓挫した。

 結論を導こう。青山商事、AOKIホールディングス、はるやま商事(以下、同業大手と呼ぶ)において、店長管理職論が通っているのはなぜか?

 筆者のみるところ、次のようになる。

  • 店長業務の実態は、コナカと同業大手とは大同小異でそれほどの違いはない。
  • しかし、そうであってはならない、という公約を同業大手各社は掲げた。
  • 店長をマネジメントする人として明確に位置づけた。
  • そのために、なぜ、なにを、どうしてゆくか、という実現プログラムを作った。
  • そのプログラムに誠意があり、第三者からみて、理想と意志が感じ取れた。
  • よって、同じ現状であっても、同業大手の店長管理職論を(その会社の社員を含め、社会は)容認した。

 経営へのインパクトを比較すると同業大手の路線の方が、店舗の成長機会をつくるという意味で有利だ。コナカの場合、店舗が自立、自律して発展する契機をみずから放棄してしまった印象がある。

 エリアマネジャーはどこまで行ってもマクロの視点でしかものを考えられないからだ。

 改革のありかたという点で、多くの示唆を与えるケースである。

コメンテータ:清水 佑三