人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

ニトリ社長
似鳥昭雄さん 役員も店舗で「配転教育」

2007年9月3日 日本経済新聞 朝刊 15面

記事概要

 小売業の主体は店舗である。ところが、(小売)業界内には経営計画や商品調達、経理、人事部門が集中する本部で働くほうが「偉い」という誤った考え方がある。本部に入ると栄転、店舗に出ると左遷ととる。それはおかしい。小売業が店舗によって成り立っているなら、店舗がある期間、本部に人を出向させていると考えないとおかしい。教育もまったく同じで、本部の社員が店舗に出ることが一番の教育だ。本部に長くおくと、その人は最前線の消費動向に疎くなる。そうなると会社も個人も弱くなってしまう。ニトリでは、本部の役員や管理職を、五−六年に一度、店舗に半年から一年間移し、本部の仕事を忘れてもらって一般社員と同じ業務をさせる。この制度をニトリでは「配転教育」と呼んでいる。これを左遷として受け止め、やりがいを感じることができない人は、幹部として不適任だとみなしている。(似鳥昭雄氏インタビュー)

文責:清水 佑三

官僚制の芽を摘み取る努力にニトリ躍進の秘密をみる

 ニトリは札幌に本社を置く全国トップの大衆向け家具・インテリアの販売チェーンである。最近では自社仕様の輸入家具も手がける。北海道だけでなく本州への出店政策も強化している。

 小売業全体を見渡してみても、成長率、利益率、財務健全性等でニトリを凌駕する企業は少ない。強さの秘密は何か。

 ニトリ社長の似鳥昭雄氏の(新聞記事にある)店舗中心主義の考え方ではないか。

 店舗中心主義とは、それぞれの店舗が地域に密着して独自に発展できるノウハウを持てば、店舗の集合体としてのニトリは永遠に発展できる、という考え方だ。

 面白い言葉が記事中にある。

…小売業界には経営計画や商品調達、経理、人事等を扱う本部で働く人が偉いという誤った考え方がある。本部に入ると栄転、店舗に出ると左遷ととる。それはおかしい。

 思うに、本社機能を預かる人が偉くて、出先や現場で働く人は偉くない、という考え方は、小売業界の専売ではない。企業が成長し、規模が大きくなってくると業界を問わず自然に芽生える考え方だ。

 本社機能を偉いとみる思考形態の典型を行政府(組織)にみることができる。中央省庁、地方自治体、外郭法人等のすべてにおいて、トップに直属して政策を立案する上級者(キャリア)のみが、肩で風を切って自分のムラを歩く。

 ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーは、こうした少数の特権的な人たちを「官僚」と呼び、そういう人たちによって支配されている組織を官僚的組織と呼んだ。

 筆者がみるところ、ニトリ社長が恐怖するものは、成長に伴って忍び寄る組織の「官僚化」問題ではないか。それでは、「官僚化」とはそも何をいうのか。

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 ウェーバーによれば、官僚的組織を特徴づけるのは次の四つの原則である。いろいろな意味で有益な指摘だと思うので、四つの原則を簡単に紹介しておく。

1 ヒエラルキー至上主義

 ヒエラルキーは、階層、階統などと訳される。兵隊の位でいえば、少尉よりも中尉が偉く、中尉よりも大尉が偉い、というようなもの。上官の命令は絶対、であれば、上官になった方が勝ちだ。興味、関心はもっぱら出世競争に注がれる。いい意味の活力源ともいえるが、仕事に目が行かないという意味で困ったこと。本部に入るのが栄転で、店舗に出るのは左遷という考え方もヒエラルキー至上主義から来る。店舗に出ても目は本部の方にゆく。

2 職務の専門化、瑣末化、自己保身

 組織が大きくなってゆくと、たくさんの部署ができる。部署ごとに役割を定義する。当初は社会ニーズによって生まれた部署が、役割定義がなされることによって、限りなく専門化してゆく。社会ニーズが消滅しても組織は自己運動をやめない。やがて組織全体が末端肥大症のようになってゆく。上場した小売チェーン店が例外なく陥るプロセスだ。やがてリストラの大鉈が振るわれる。

3 職務権限による組織私物化

 部署長に対して、何をやってよく、何をやってはいけないかを規定したのが職務権限といわれるものだ。社会における法律のようなもの。合法であれば、何をやっても許されるのが職務権限である。不作為の罪と暴走の罪の両方がある。罪を事実によって裁くことは稀である。先の大戦の導火線の役割を果たした関東軍の場合、幕僚たちは職務権限規定に則って合法的に動いた。それゆえに誰も止められなかった。職務権限にもとづいて物事を計画的に緻密に行ってゆけば、合法的に組織を私物化できる。『金融腐蝕列島』をそういう角度から読むこともできる。

4 文書稟議主義

 重要な案件の場合は、終戦の御前会議のように関係者が集まって「これでゆくがよろしいか」と念を入れて物事を決める。そこまでやることはない案件については、主管者が「稟議書」を作って、関係者に回付し、押印をもって了承をとりつける。これが文書稟議主義である。某役所では、鉛筆一本買うのに12個のハンコが要る、と何かに書いてあった。こうしたやりかたが何を助長するか。稟議書の印鑑が揃ったときには問題は消滅している。判断のスピードという点で致命的だ。もうひとつ、作文力がないと通る稟議書は書けない。作文力と行動力は逆比例する。文書稟議主義は組織の行動力を奪う。

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 以上述べてきたことを、人の身体の仕組みに準えるとわかりやすい。頭脳中枢と手足の筋肉の関係である。頭脳にあたるのが「官僚」である。営業最前線で汗水垂らして顧客と接遇しているのが、手足の筋肉にあたる。工場の現場も同じ。

 頭脳が筋肉を動かしている、と普通は考えられている。それは違うと最新の大脳生理学は示唆する。筋肉が頭脳を動かしている。その証拠は、頭脳の一部が損壊して一時的にある筋肉が動かなくなっても、筋肉のリハビリを通して、壊れて元に戻らないはずの頭脳が元に戻ってゆくことが確認されたからだ。中枢は筋肉にあり、である。

 店舗が本部を動かさなければならないという考え方は、命令中枢が筋肉側にあって頭脳側にない、という新しい人間観と同期する新しい組織論とみてよい。

 似鳥昭雄氏の考え方は直観による「確信」であって、たぶん合理的説明になじまない。トップの立場で指示、命令して組織内で実行させるしかない。その考え方の正しさは、ニトリの業績の推移によって証明されている。

 利益率を伴った業容の拡大メカニズムの構築は、小売チェーンの場合はまず難しい。新しさが行き渡ったところで成長神話は打ち止めになることが多い。ニトリにはそれが感じられない。

 成長を止めてしまう「官僚化」の摘み取りが、似鳥昭雄という類い稀なリアリストによって丹念にかつ執拗になされているからだろう。どこでもできるかといえばそれはありえない。ニトリは、似鳥昭雄氏という人による芸術のような「作品」なのだと感じる。

 小さな会見記事であるが、考えさせられることが多い。

コメンテータ:清水 佑三