人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

米グーグル
上場3年 急拡大でも内憂外患
人材流出/社外とあつれき

2007年8月16日 日本経済新聞 朝刊 7面

記事概要

 米ネット検索で五割超のシェアを持ち、検索と連動するネット広告市場の拡大を享受しているかに見える米グーグル(グーグル)の株価は今下がり続けている。上場以来三年間保ってきた六割以上の増益率に急ブレーキがかかったためだ。グーグルの従業員数は六月末時点で約一万三千八百人と、三年間で六倍になった。グーグルの最高経営責任者(CEO)のエリック・シュミット氏は「優秀な人材を獲得し続ける戦略に誤りはない」と語るが、一部の幹部にはそれを疑問視して辞めてゆく人が目立つ。今春独立して(グーグル傘下の)ユーチューブと競合する動画配信ベンチャーを設立した元社員は「グーグルを上回る会社を作って見せる」と米メディアに語った。内部崩壊の兆しだけでなく、メディア大手(バイアコム)による著作権侵害での十億ドル以上の損害賠償請求訴訟や米議会での「ダブルクリック」買収への異議申し立てなど、社外とのあつれきも目立って来た。同社の経営は大きな節目を迎えている。(田中暁人)

文責:清水 佑三

創造活性期にある天才エンジニアに管理職をやらせる愚

 この記事に添えられているグラフ「グーグルの業績と従業員数」をみると、売上高と期末従業員数の上昇カーブは04年以降、07年6月期まで、右肩あがりの同じ勾配で推移している。それに対して純利益は06年12月四半期を頂点にして、連続2四半期緩い右肩下がりに転じている。人員増に伴うコスト増を売上の増加が吸収しきれていないことがこのグラフから見てとれる。

 グーグルに何が起こっているか。田中暁人記者の記事をフォローする前に、今年5月に出た『グーグル革命の衝撃』(NHK出版)から、当コラムの目的である「人事改革」各社の試み、グーグル編を書いてみたい。

 グーグルの人事改革への試みは、多くの会社にとって、ショッキングなことばかりである。採用及びその後の戦力化だけに話題を限定して紹介する。

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人材募集

…アメリカのハイウエーの道路脇に風変わりな広告板が出た。「自然対数の底eの中の連続する十桁の最初の素数」.comとだけある。難解な数学の問題である。グーグルとの関係は一切わからない。この数学問題の正解、7427466391と打ち込んで来た人にさらに次の数学の問題が渡される。ここでもまだグーグルの表示はでてこない。二題目の問題を解いてきてはじめて、これらの広告がグーグルの人材募集のステップなのだと分かる。

…問題を出したのはグーグルの研究開発部門である。二題の難問を解いた人に「グーグルの検索エンジンの開発を通して我々が発見したことは、自分が何かを探しているとき、実は向こうも自分を探している場合の方が見つかりやすいという単純な事実である。我々は世界最高のエンジニアを求めており、そのために難解な数学の問題を送った。それを解いたあなたこそその人だと思う」というメッセージが届く。

学歴主義

…NHK取材班が最初に会ったのは数人の女性広報チームだった。彼女たちは常にラップトップ・コンピュータを携帯し、様々な人への連絡、会議の記録、メモにいたるまですべてそのコンピュータで行う。それらの情報はすぐにほかのグーグル社員と共有されるという。

…さりげなく話しを聞くと、彼女たち数人はすべてハーバード大学のロー・スクールを出ているという。アメリカでトップレベルの弁護士養成学校を出た人材が、グーグルでは広報をやっているのだ。

…グーグルは、優秀な人材を根こそぎ獲得しようと必死である。就職活動が始まる時期スタンフォード大学のコンピュータ学科や、(競合する)マイクロソフトのお膝元にあるワシントン大学など、全米有数の大学で(一斉にグーグルの)リクルート活動が行われる。

ブランド力と選考

…現在、グーグルは全米で最も働きやすい職場の一つとされ、人気は絶大なものになっている。寄せられる就職希望は月に十万件を超えるとも言われる。そのため、何度にも及ぶ厳しい面接と、数学やプログラムなどの課題テストが課せられ、ようやく就職にたどりつけるのだ。

…リクルータが各大学に求める紹介状には、学生の気質や得意な分野、学術的成果などを書き込む欄があり、それは日本の企業ではほとんど見られないような細かさなのである。

グーグルの魅力

…グーグルで日本語向けサービスを開発するプロダクト・マネジャーの徳生健太郎氏にインタビューしたところ、グーグルの最大の魅力を次のように語った。

…普通の会社でも話についてゆけないスーパースターが一人や二人いるものですが、グーグルにはそんな人が(身近に)ぞろぞろいる。話していて自分が考えたことがないことをストラクチャー(プログラミングの構造)でパッと言える人がいたり、自分には思いつかないことをデモする人がいたり。そういう目を見張る驚きが日々あることが、働いていて一番いいところです。

最高の仕事環境の保障

…ここでは仕事さえしていれば、どんな風に時間を過ごしてもかまわないのです。二十四時間能力を生かして働いてもらうにはどうしたらいいか、考え続けた結論が、食事、クリーニング、マッサージなどの生活コストの無料化です。

…コンピュータ・プログラマーは、コンピュータの不具合があると二十四時間いつでもテックサポートの出張修理を受けられます。部品の交換、修理、補充などを頼むことができる。自分で部品交換や修理の伝票を書き、総務や経理の承認を得る必要がない。プログラマーがプログラム以外に時間を使ったり、修理されるまで待つという時間がもったいないという発想から生まれたもの。

…創業者の一人、サーゲイ・ブリンはあるインタビューでこう語る。本当に優秀なソフトエンジニアは平均的な人の十倍、百倍も生産性が高いのです。だから待遇をよくし、仕事をすることに誇りに思うような、働きやすい環境を作ることに努力しています。その努力が、世界を変革したり、仕事を頑張りたい優秀な人たちをひきつけるのです。

配置転換

…軍の研究所から転職したばかりという若手の男性研究者は、(取材班の)仕事に飽きが来ることを心配していないかという質問に次のように答えた。

…約六ヶ月おきに(グーグルでは)配置転換があり、(希望をだせば)異なった自己表現の機会に恵まれる。だから同じ仕事に飽きることは心配していない。

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 ソニーの井深大さんが、戦後すぐ、東京通信工業を設立したときの設立趣意書に書いた創業理念と、上で述べられているグーグルの理想は瓜二つといってよい。

 最高の資質を集めて、最高の環境に置き、自分のやりたいことをやらせれば、そうではない競合他社を寄せ付けない成果を(会社として)出し続けられる、という信念である。

 プロセスだけが成果を保障する、という断固たる確信が背後にある。

 この考え方に落とし穴はないか。日経の田中暁人記者は鋭く、その落とし穴を指摘している。記事中の次のような表現がそれである。

…数ヶ月前、グーグルの主力サービスの地図検索サイト「グーグル・マップ」を立ち上げたことで知られる(グーグル幹部の)ブレット・テイラー氏は、深夜に突然目を覚まし、世界最大のネット企業で働く我が身に対する天の声をきいた。

…部下が増えてゆくだけの出世なんてごめんだ。本当にやりたいのは新しいものをつくること。それだけだ。

…テイラー氏はグーグル退社を決断した。

 エンジニア魂をもったよい素材に活躍の場を与え、それが実って、次々と時代を切り開く画期的な製品が生み出される。企業組織は急激に拡大してゆく。

 それに伴って新しい膨大な数のエンジニアを管理する人材が必要となる。自由を与えれば与えるほど、その分、適切な統制が求められるのは自然の理である。

 エンジニアはわかっていない人、自分でできない人の指示を嫌う。職人気質とはそういうものである。全米にゴマンといるマネジメントのプロをスカウトして管理をやらせても、優秀なエンジニアは誰もついてこない。どういうことが起こるか。

 過去に赫々たる成果をあげつづけたエンジニアの先達に指揮をお願いするしかない。先達といっても、まだまだ現役を張れる年齢の人たちだ。かくて、第二、第三のテイラー氏が燎原の火のようにあらわれることとなる。

 田中記者はそこまでは書いていないが、「エンジニアの楽園」を作ったことが、イコール、エンジニアの離反の原因となっているというのだ。

 エンジニアの楽園を誰にマネッジさせるか。本当に難しい問題だ。

 現役をあがった人たちがでてくるまで待つしかない。

 バリバリの現役の人たちにそれをやらせるのは酷だ。彼らを鐘や太鼓で集めて二階にあげて、いきなりハシゴを外すようなもので、離反トラブルを予約するようなものだからだ。

 グーグルで起こっている内憂現象は、多くの技術系成長企業で起こりうることだ。

コメンテータ:清水 佑三