人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

AOKI となりの達人 町田豊隆さん 年2億円スーツ販売 トップ30年お得意1500人に

2007年8月7日 毎日新聞 朝刊 9面

記事概要

 紳士服AOKIの販売員の年間売上は(一人)平均3000万円。一人で七人前(年間2億円)を売る“売りの名人”がいる。横浜市都筑区にあるAOKI横浜港北総本店の総店長、町田豊隆さんである。バブル期には年間3億円を売った。売上3億円をスーツに単純換算すると(出勤日)1日あたり約45着売った計算になる。町田さんは、30年近くにわたってAOKIのトップ販売員の座を守り続けてきた。町田さんを自分のファッションアドバイザーだと思うお客さんが1500人いる。ファンづくりの要諦は何だろうか。一つのエピソードを町田さんが語ってくれた。「営業の仕事をしているという男性に、それならというので丈夫で値ごろ感のあるスーツを勧めたのですが、どうも相手の反応が鈍い。いろいろやりとりをしているうちに、相手がぽろっと自分の娘が『お受験』で自分も面接に付き添ってゆく。その時に着てゆくスーツを買いに来たと言ってくれた。ならば少し値段は高いが好印象を与えるスーツを選びましょうとなって上質感のあるよいものがみつかった。それから一ヶ月後、そのお客さんが娘さんを連れてやってきた。合格しました。お礼じゃないけど普段の仕事用のスーツをもらいにきました、といってくれました。」なるほどなるほど、と納得した。(荒木功)

文責:清水 佑三

販売員教育の基本コンテンツが要約されている。

 この記事の書き出しは印象的だ。次のように始まる。

…午後8時の閉店間際に電話が鳴る。店長の町田さんが出る。「まだ店におられますか?」町田さんには(電話の)相手の顔がすぐ浮かんだ。建設会社の管理職の男性だ。「すぐ行きます。いいスーツを選んでほしい。」

…大きな商談でプレゼンテーションをするのだという。「それならピシッと締まった、自己主張の強いものがいいですね」。来店した男性に大きいストライプの入った黒系のスーツを勧めた。気に入ってくれて、あわせて町田さん推奨のブルーのシャツと赤い柄のネクタイも買っていった。

…「いわゆる勝負服ですよね。人生の節目の大切な一着を任される時は最高に幸せです。」

 荒木記者の観察は鋭い。文章も正確だ。わずかな行数の記述の中から、すぐれた(販売)店員がもつ姿勢、問題意識、行動傾向等があぶり出されてくる。次のように、である。

 (電話にすぐ出る)

 町田さんに電話をしてきた人にとって、お目当ての町田さんがすぐ電話に出てくれるのはありがたい。時間と手間が省けて「ツキがある」と思えてくる。オートバイで言えば、ペダルを踏むやすぐエンジンがかかるようなもの。気持ちに弾みがつく。町田さんにとっても、電話での印象でお客さんの逼迫度が推測できる。電話にすぐ出る、は営業マンにとって基本中の基本なのである。

 (相手の顔がすぐ浮かぶ)

 こちらが名乗る前から**さんでしょう、といわれると一瞬びっくりするが、声を覚えていてくれたと思って嬉しくなる。町田さんのように最初の一声で相手の顔と過去のやりとりが跳ね飛ぶようにして(記憶装置から)出てくるのは一種の才能である。お客にとって、これほどの面倒みはまずない。今までの仕事の後味がよければ、自然に町田さんの声も明るく人懐っこいものになる。相手はそれだけで電話をしてよかったと思う。

 (目的を尋ねる)

 紺色のスーツをと相手が言ったときに、紺色でもいろいろありますが、と反応するのは(伝説化しない)フツーの店員だ。手始めにどの紺色の背広を見せようかと考えるからその対応となる。相手よりもまず自分のことを考えている。伝説の販売員(町田さん)は違う。今回は、どういう場所でいつお召しになるのですか?と反応する。相手のスーツを着る目的や状況を尋ねる。

 (その目的ならこのスーツと咄嗟に言える)

 大きな商談でプレゼンをする、と相手はいう。建設会社の営業マンである。とっさに誰かがいたという思いが頭をよぎる。『釣りバカ日誌』の浜ちゃんだ。鈴木建設、営業三課。

 浜ちゃんは大きな商談でプレゼンしたことがあったか。ふっと『釣りバカ日誌 9』を思い出す。馬場と一緒に大事なお得意様を訪ねて緊張して挨拶していたシーンがあった。

 この挨拶まわりの時に浜ちゃんがどういうスーツを着ていたか。そうだ、黒系だった。

 スーツ売りのプロは、映画、テレビ、散歩、どの時間にあってもそこで出会う男性のスーツを記憶する習性をもつ。スーツが今、どのように着られているかの「辞書」づくりのためだ。

 お客は大事なプレゼンするといって飛び込んできた。一世一代の勝負なのだろう。そういう場面ってなかったか。あった。『ゴッドファーザーII』のデ・ニーロだ。業界のお歴々を相手に静かに説得した極めつけのシーンがあった。どういうスーツを着て現れたか。やっぱり黒系である。無地ではない。ストライプだ。それも幅広のストライプだった。

 ここから咄嗟の一言が飛び出す。「そういう目的なら、黒系、幅の広いストライプにされるとよいです」。お客が求めているのはプロによるその場での「断言」である。販売実績トップ30年を支えてきた業務上のノウハウの一端である。

 (このスーツにあったシャツとネクタイも頼むよ)

 優れた販売員に共通する資質は、単発的なやりとりをしないことだ。スーツを買いに来たのではなく、大型商談を成功させるために来た。スーツは手段である。ならば、演出上、靴もシャツもネクタイもすべてスーツに劣らず重要だ。このスーツにあう靴はお持ちですか?という質問が自然に発せられる。

 お客はその質問を嫌わない。むしろそれを評価し、信頼する。対症療法しか頭にない医師と比べ、患者の生活全体に対して関心をもって聞いてくれる医師が患者の信頼を得るのと同じだ。

 かくて、スーツ以外にシャツ、ネクタイ、タイピン、靴が一緒に売れる。ファッションアドバイザーとして機能していれば自然にそうなる。フツーの店員はスーツを一日10着売って30万円の売上を上げる。ところが町田さんは同じだけスーツを売っても、売上が二倍、三倍になる。

 (人生の節目の大切な一着を任される時は最高に幸せです)

 まさに、スーツ売りの仕事冥利である。優れた仕事人生を送ってきた人に共通に見られる「仕事観」がわかりやすい表現を得ている。この冥利を意識すればするほど、毎日の仕事の仕方が変わってくる。どのお客が人生の節目の一着を求めて来店しているかわからないからだ。

 野球でいう一球入魂である。目つきが変わってくる。魚心あれば水心である。フリのお客であっても大切な一着を求める人は自然に町田さんの傍にゆく。

 庶民にとって「おあつらえのお店」は高嶺の花である。かりに、既製服店であっても「おあつらえのお店」と同じように、かかりつけのファッションアドバイザーがいてくれて、同じようなやりとりがあるとしよう。無理をして高嶺の花を追いかけなくてよい。かくて、1500人の町田ファンが生まれる。あの人に相談にゆけば、決して悪いようにはしない。商い道の本質である。

***

 わずか数行の記述であっても一流の販売員がもつ大事な心がけが描かれている。

  • 電話にすぐ出る
  • 目的を尋ねる
  • その目的ならこのスーツと咄嗟に言える
  • このスーツにあったシャツとネクタイも頼むよ(となる)
  • 人生の節目の大切な一着を任される時は最高に幸せです(と思う)

 これは、“売りの名人”の行動観察から導かれた5つの教育コンテンツといってよい。

 販売員教育の基本コンテンツはこれだけでよい。

 問題は、フツーまたはフツー以下の販売スタッフをどうやって町田さん化するかである。教育コンテンツの個々人への移植が大事だ。

 それに対する筆者の考えを書いて、この稿を終えたい。

1)採用

 町田さんの「生き様」「生態」を映像等でリアルに見せて、反応しない人は採用してはいけない。共に謀るに足らざるなり(論語)である。ここが一番たいせつなポイントだ。

2)二軍

 経営貢献を期待しない教育店舗をつくり、そこに新人を配属する。5つの教育コンテンツをよく記憶させた上で、それに挑戦するよう指示し、顧客との接遇を任せる。コーチがついて、5つのコンテンツの1、2について、そのできぐあいを細かく観察し、記録し、集計する。半年もやればデータが集まる。優秀組とそうでない組に分かれよう。

3)弁別

 優秀組に対して、町田さん(的な人)を呼び、一対一の面談をしてもらう。時間は20分もあれば十分。テーマは「毎日が楽しいですか?」である。優秀組のなかで、毎日が楽しいと語り、町田さんと会話が弾む人はそのまま一軍にあげてよい。町田さん化する可能性がある。そうでなかった人は全員、二軍に滞留させる。

 以上のやりかたを「愚直」に続けたとする。見違えるような光景が展開するだろう。

 筆者の勤める会社でそれをやり始めている。道なかばではあるが、感触は悪くない。

コメンテータ:清水 佑三