人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

三浦藤沢信用金庫
支店長が職員の家庭訪問 感謝の気持ちを伝える

2007年6月15日 ニッキン 朝刊 8面

記事概要

 三浦藤沢信用金庫(小川善久理事長)では、支店長や次長が毎年4月から6月にかけて支店職員の家庭訪問を実施する慣行がある。家庭訪問を通して、金庫の業績を親に報告するとともに、子(職員)の一年間の仕事に対して感謝の気持ちを伝えることが目的である。親からは「(うちの子は)きちんと仕事をしているのでしょうか?」「帰宅が遅い日が多いけれども・・・」といった質問なども出るという。もともと小川善久理事長が理事長になる前、(横浜の)長者町支店長時代に始めたのがきっかけで、理事長就任後に全支店に拡大した。家庭訪問は勤務終了後や週末に行われ、金庫の業績がわかるディスクロ誌などを持ってゆく。人事部では「家族と話すことで、時には支店長が知らない職員の一面がわかることもある。職員とのコミュニケーションづくりにも役立つ。今後も続けたい」と話す。

文責:清水 佑三

風光明媚な良俗に日本的経営の神髄をみる

 去年8月に出た地域誌『湘南よみうり』317号に、三浦藤沢信用金庫の小川善久理事長の人となりをうかがわせるインタビュー記事が載った。引用したい。

…小川善久氏は、昭和42年に三浦信用金庫に入庫して以来40年間、三浦藤沢信用金庫一筋の信金マン。生まれも育ちも久里浜。同期は約25名、支店数はまだ7店だった。 支店長に初めて任ぜられたのは36歳の時。横浜の長者町支店だった。支店長になってからも、足は車ではなく自転車。「自転車だと駐車場を気にせず、じっくりお客さまと向き合えるんですよ。でも、雨の日はずぶぬれ。お客さまにかわいそうなんていわれて、ずいぶんかわいがっていただきました。」と懐かしそうに話す。

…40年の間には心配事や困難も多々あった。「生来、ストレス耐性があるのか、何がおきてもあまり動じません。能天気なんでしょうかね(笑)。災難や苦労は、人間にはつきもの、あって当たり前。そのことから逃げず、素直に受け入れ自分のできる範囲で一生懸命考え、ベストを尽くす。見栄を張ったり、隠し事をすると苦しくなる。地のままの自分でやるしかないんですよ。地元の皆さんをはじめ家族や部下に生かされ、生きていると思っています。いつも『おかげさま』の精神ですよ。」気さくな人柄の中に強い信念がうかがえる。

…現在、三浦藤沢信用金庫は、三浦半島、藤沢、横浜南部と合計45店舗、従業員約900名。54期連続黒字決算と堅実経営を続け、地域文化、社会貢献にも力を入れる。毎年8月に開催される人気の藤沢『遊行寺薪能』は今年で21回を数える。海岸清掃活動や介護車両の無料貸し出しなども行っている。「町おこし」という創業理念が、地元とともに歩む姿勢に、脈脈と受け継がれていく。

 ニッキンの「支店長が職員の家庭訪問」「感謝の気持ち伝える」囲み記事は上の『湘南よみうり』のインタビュー記事に照らすとより理解が深まる。二つの記事から浮かびあがってくるのは地域に溶け込む企業の確かな一面だ。記事中の言葉をとりあげて「良俗」の「良俗」たる所以を説きたい。

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 お客さまにずいぶんかわいがっていただきました。

 小川善久さんの上の言葉には深いあじわいがある。社会人になって40年、振り返って自分の仕事を考えて思いつくのはこの言葉しかない。自分がお客さまに対してどうこうしたのではない、お客さまのほうが自分を大事にしてくれ、かわいがってくれたのだ。

 そういうお客様から子を預かったら、年に一度はその子の働きぶりを報告にうかがうのは当然ではないか。そのときに、子を預けていただいたことに対して忘れずに感謝の気持ちを伝える。お金以上に大事なものをお預かりしたのだから。これ以上の地域密着はない。

 支店長が知らない職員の一面を垣間見る。

 支店長は、支店職員から大きな債務を負っている。「成長機会を与える」と「幸福感を与える」の二つである。二つの債務を滞りなく履行するためには、一人ひとりの支店職員の人となりと生きる意欲の源泉をよく知らなければならない。

 人となりと生きる意欲の源泉を知るとは、一人ひとりに固有の「歴史と文学」を知ることと同義。そのためには何をおいてもその人を育てた家庭を知ることだ。「家族と話すことで今まで知りえなかった職員の一面が垣間見える」とはそういう意味である。筆者は、小川善久氏オリジナルの家庭訪問は人を預かった者の責任感の自然な発露とみる。

 この一年間の信用金庫の業績を親に伝える。

 お歳暮が届くと「ああ、もう一年たったか」の感慨に襲われる。お歳暮を届けてくれた人の顔を思い浮かべ、達者でいてくれていてよかったと思う。節季ごとの挨拶の効用だ。

 昨年の同じ時期から一年たって、息子(娘)を預けている支店長さんがもう一度来られて、お子さんはすごく成長されましたよ、と一言いってもらえるとする。親としてこんなに嬉しいことはない。自分の子をここに預けてよかったとつくづく思う。

 同時に、職員全部の努力で信用金庫は今年もまた立派な成績をあげることができました、といわれればそれも嬉しい。安心する。こうして信用金庫との絆(きずな)が少しづつしっかりしたものになる。ステークホルダーへのディスクロジャーの本質がここにある。

 帰宅が遅い日が多いけれども…

 過残業問題は組織にとっても個人にとっても厄介な問題の一つだ。親が心配そうに「帰宅が遅い日が多いけれども…」といって不安そうにすれば、支店長はその顔を忘れない。いつか必ずあいつの仕事の仕方についての相談に親身に乗ってやろう、となる。

 過残業の多くは、仕事の仕方を変えることで解決できることが多い。家庭訪問がなかったら(過残業状態が)放置されたままになって、いつか危険水域を突破することもありうる。家庭訪問を契機として生まれる対話はEAP問題の予防措置としても有効だ。

 災難や苦労は、人間にはつきもの、あって当たり前。

 小川善久語録の極め付きだろう。仕事上のトラブルを抱えこんで悩む人は多い。それを人間にはつきもの、あって当たり前、とみる人は少ない。「そのことから逃げず、素直に受け入れ自分のできる範囲で一生懸命考え、ベストを尽くす。見栄を張ったり、隠し事をすると苦しくなる。地のままの自分でやるしかない」。

 おっしゃるとおりだ。その堅固不抜の平常心はどこから生まれたのか。おそらく、そうやってみてうまく行った経験の蓄積があったのだろう。指導者たるものの要諦を見る気がする。

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 書いていけばきりがない。

 小さな記事であるが、日本的経営とは何かについて根元から考えさせられた。

コメンテータ:清水 佑三