人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

あいおい損害保険
不払い防止策 新入社員まず支払い部門
営業偏重脱却目指す

2007年6月8日 読売新聞 朝刊 10面

記事概要

 あいおい損害保険は、一連の保険金不払い問題を受け、100人の新入社員の初任配属先を保険会社の根幹である(事故発生後の)契約者との交渉・査定・支払い業務を行う損害調査部門とすることを決め、7日に発表した。昨年、今年とも新入社員は約100名。ちなみに昨年の初任配属先は営業部門に70名、損害調査部門に30名だった。この新人配属に関する方針は来年も継続する予定。あいおい損保がこうした方針をとった背景には、損保業界における営業と支払い部門の力関係がある。同社に限らず、損保業界は一般に営業部門が社内で重視され、このことが「営業偏重主義」を生む土壌となっていたという指摘がある。初任配属においても、まずは営業部門を経験させてから、が業界の今までのやり方だった。あいおい損保ではこうした「営業偏重」の初任配属の考え方をやめ、新入社員の全員に事故後の支払い業務を経験させることで損保業界における支払いの重要性に気づかせ、会社全体の改革につなげてゆきたい考えだ。

文責:清水 佑三

もっと先にやることがあるように思う

 多くの人が経験しているであろうことの再確認として、自分の経験を語る。

 10年前であるが、家人が夜、駅前に車を停め、私の帰りを待っていた。停まっている車に後ろから車が突っ込み、その事故で家人は中度の障害者となった。

 某損保会社の事故後の(支払い額を少なくしようとする)対応を見ていて、腹がたち、知人の弁護士にお願いして、交通事故に強いとされる弁護士先生を紹介してもらって保険会社との対応を委ねた。

 その後の損保会社の変化には驚いた。まさに手の平を返して、とはこのことだろう。初期提示額とは雲泥の差の額の支払いがなされた。この業界はひどいと痛感した。

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 記事の見出しをもう一度さらってみよう。以下の言葉が並ぶ。

 「新入社員まず支払い部門」「あいおい損保 不払い防止策」「営業偏重 脱却目指す」

 記事全体の主張をほぼ相似形で表現しているわかりやすい見出しだ。それぞれについてその意味あいを考えてみたい。

 (新入社員まず支払い部門)

 新入社員をその会社の基幹である最前線に置く、は多くの企業がとる人事制度の一つである。百貨店であれば店頭に、運輸事業者であれば最少単位の営業拠点に、メーカーであれば工場に、といった具合だ。

 どんな有名校の甲子園球児であっても名門大学野球部に入れば、ボール拾いからスタートする。それに似ている。うちではこの仕事が一番大事なんだ、というメッセージの伝達である。あいおい損保は、当社は営業よりも事故後の対応の方を重視しているというメッセージを全社員に送ったのである。

 (あいおい損保 不払い防止策)

 映画『ザ・ファーム 法律事務所』の原作者J.グリシャムの別の作品に『レインメーカー』がある。題名のレインメーカーとは、バケツをぶちまけさせるように相手から大金を搾り取る人、といった意味だ。有能な弁護士を雇いたくても雇えない貧人から大量の保険契約をとりつけ、事故後、支払いに応じようとしない保険会社を相手取って、獅子奮迅の活躍をする弁護士の姿がこれでもか、これでもか、と描かれていた。

 保険会社の不払い主義は、日本の保険業界の専売ではない。だからこそ根が深い。業界の繁栄と不払いとはセットになっているかもしれない。その病弊を断つにはどうしたらよいか。今いる人の意識を変えるのはたいへんだ。ならば、将来の人たちに託そう、これがこの人事制度の隠された意味。

 (営業偏重 脱却目指す)

 多くの企業の不祥事の背景にあるのが「営業偏重」と呼ばれる社内の価値観である。誰が偉いか、みんなの給料のもとをとってくる営業が偉い。競争相手とシノギを削っている営業が偉い。

 社内統制をあずかる管理部門が、不適切な営業現場の仕事の仕方を指摘するとする。返ってくる言葉はひとつだ。決算の数字が悪くなるがいいか、である。トップが決算数字を気にすることは肌でわかる。管理部門は黙り込む。

 戦前の統治機構が関東軍の跋扈を許した遠因もまた同じだ。文民統制をうたった(明治)憲法下でなぜ、出先の関東軍が政治優位の原則を無視できたのか。満蒙開拓という「営業方針」に変わるアイデアを政治が出せなかったからだ。「食わせる」話を持ち出されると後衛は黙らざるを得なくなる。

 営業偏重からの脱却はいかにして可能か。あいおい損保は社員の意識改革だとみた。その第一歩として新人たちの初任配属先改革をとりあげた。この改革には諸刃の剣的なところがある。それを指摘しておきたい。

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 朱に交われば朱くなる

 悪貨は良貨を駆逐する、も同じ。かりに、正しい支払いをしていない現場に新人たちを抛りこむとする。新人は正しいか正しくないかの判断のすべをもたない。かっこいい先輩の挙動にあこがれる。かっこいい先輩とはその部署でもてはやされる人と重なる。もてはやされる人の仕事行動が「不適切」な場合、新人は間違いなくそれに染まる。配属先を変える前に、受け入れ現場の浄化が先ではないか。

 肌の色は一日では変わらない

 日照時間が少ない北欧人の肌は白く、日照時間が長い赤道直下人の肌は黒い。数万年かもっとの長い年月をかけてそうなった。北欧人が黒い肌にあこがれても一日で肌の色を変えることはできない。それと同じことが仕事行動でもいえる。長い年月の間に習慣化された仕事行動を一日で変えることはできない。同じだけの年月がかかる。支払い部門の浄化は一朝一夕ではできないといいたい。

 社内の矛盾を見せられたら

 保険は契約者との約束の履行によってなりたつ。支払い部門がどんなに綺麗な支払いをしようとしても、営業がフライングをして売ったら何もはじまらない。営業が綺麗な売り方をしたときに呼応して綺麗な払い方ができる。車の両輪の比喩である。

 売る部隊の綺麗化運動は果たして順調にゆくか。筆者は「?」をもつ。なぜなら、損保は多く代理店によって仕事をしてきているからだ。自分の言動はいじれても他人の言動はいじれない。代理店の行動レベルをひきあげるのは簡単なことではない。ものごとはそんなに単純ではない。

 やってくる光景は営業と支払いの社内相克図だ。希望をもって入社した新人はつらい思いをするだろう。やめたくなる人間も出てくるだろう。

 何度もいうが営業偏重の風土改革が先だ。そのあとに綺麗な支払いがくる、その流れを作ってからなら保険本来の名分である支払いの「社会貢献」を見せられる。

 新人配属先の変更は目に新しいが、古くて重い「営業偏重」の病弊にずばりとメスを入れない限り、全社一万の人の意識改革は難しいとみる。

コメンテータ:清水 佑三