人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

ケンウッド
職場ごとに合宿研修
「自由」「平等」が原則 活発議論、潜在力を引き出す

2007年6月6日 日経産業新聞 2007年6月6日 朝刊 22面

記事概要

 ’02年3月期に債務超過に陥った音響機器メーカーのケンウッドは、東芝出身の河原晴郎社長の指揮のもとで積極的に財務リストラを進め、’07年3月期には1千億あった有利子負債を237億円まで減少させることに成功した。しかし、安定収益を見込める無線事業を除けば、音響機器や主力のカーナビでは依然として苦戦を強いられているのが現状。購買力や広告宣伝力が決して十分とはいえないケンウッドにとって頼れるのは開発や営業の最前線にいる社員のやる気とアイデア。「自発的な議論ができる体制を各部署につくる」(畑浩靖・人づくりセンタ長)ため、昨年、山梨県富士吉田市の民家を借り上げ自前の研修所をつくって職場ごとの合宿研修を開始した。山あいの民家に集まった同じ部署の社員は一泊二日の予定で夕食づくり、風呂炊き、掃除などを階層に関係なく共同でこなし、その後は夜を徹して十時間、事前に決めた課題を徹底的に話し合う。議論には「自由」「平等」の原則をおく。同時に人手や予算不足への不満の羅列にさせないために「キャパ不足」を理由とした現状肯定型の議論は「禁じ手」とした。製品設計統括部の場合の課題は「価格下落の激しい市場に受け入れられる商品を出す」だった。結論を出すための一泊二日ではなく「共同生活、徹夜の熱い議論を経て、自然にリーダー、参謀が育てられる」ことに狙いを置いている。(佐々木元樹)

文責:清水 佑三

なぜ、研修に「自由」「平等」の原則がいるのか

 ケンウッドの前身、トリオは先の戦争が終わった昭和21年に長野県松本市の中野英男3兄弟によって創業された無線・音響機器メーカーである。

 創業者の一人、中野英男は昭和57(1982)年、『音楽 オーディオ 人びと』(音楽の友社)を上梓した。今から四半世紀前のことだ。

 この本の中で中野は、オーディオという趣味の世界における会社経営について次のように書いている。確信犯のように将来の自社の没落を予言している。

…小型専門メーカーのトップはマニア揃いである。上場会社クラスになると、確かに数が少なくなってしまった。創業者としてはパイオニアの松本さん、ティアックの谷さん、それにこの私、あとがいない。趣味としてのオーディオと企業経営を両立させることの難しさを今更の如く噛みしめる思いである。(略)経営まで芸術みたいなやり方でなされたんじゃあ、会社がつぶれてしまう、というが、だからといって、我々(三人)が冷徹な計算のみに走ってよいものだろうか。それだけではまた生きていけないと私は思う。計算だけで勝負がつくとすれば、最後は大メーカーの勝利に帰するのは目に見えている。(174ページ)

…日本のオーディオ産業は遂に世界を制した。だが、制したことが人類にとって果たして幸せを意味するか否か、今の私にはわからない。カメラ業界に於いてライカやコンタックスが没落したように、オーディオの世界でも犠牲者は多かった。マランツも、フィッシャーも、今は歴史にその名を留めるのみ、という姿になって久しい。製作者の名はブランドとして残っても、かつてこの世界で愛好家の賛仰を集めた英姿を想像することは至難である。(略)王座をものにするとは、すなわち没落への第一歩を踏み出すことの別名に過ぎない。(171ページ)

 わずかな音質差の追求が無限に尊いもののように思え、開発投資を繰り返す筆者への(社内外の)批判がこの文章の背後に感じ取れる。

 ところで、筆者が中野に惹かれる理由は、彼の興味や関心が筆者のそれと符合するからである。この本の別な場所で中野は次のように書く。

…(荻生)徂徠は「感性」を重んじた儒者であった。彼は江戸時代を風靡し、官許の学問とされて来た朱子学に徹底的に反抗した。朱子学は、人間にとって最も尊いものは「理性」であるとしたが、徂徠は理性による認識よりも「感性」による認識が人間にとってより本質的であり、大切なものである、と説いたのである。そして、物を見つめよ、先ずなによりも「全体」として見つめよ、と教えたのであった。(133ページ)

 徂徠をポンチ絵のように描いてしまっていると思うが、それでも中野が何を訴えたいかは伝わってくる。筆者もまた徂徠(本)が好きで、折りに触れて読む。

 本論に移ろう。研修とは何か、について思考を巡らしたい。

***

 記事中で河原春郎(社長)、畑浩靖氏(人づくりセンタ長)が語る言葉に耳を傾けよう。

 自発的な議論ができる体制を各部署につくる(畑)

 07年3月期、ケンウッドの再生シナリオに暗雲が漂った。主力とされるカーナビ販売が競争で後手にまわったからだ。兵力、兵站が乏しいなかで勝たねばならない。強力な商品開発と開発商品を売りぬく販売力の強化が不可欠である。高い給与を貰っている部長、課長の問題でしょ、となったら万事休すである。何としても自発的な議論ができる体制を、となる。そのために何が必要か。同じ釜の飯を食って部長、課長、平という垣根をとっぱらって夜を徹して語り合うことだ。

 「自由」「平等」が話し合いの原則だが一つだけ“禁じ手”がある(畑)

 予算と人員が限られているなかでそれは無理です、という思考法がその“禁じ手”である。少数の兵で多数の兵を破る合戦の故事は世界の戦史に少なくない。多数の兵に恐怖して矛を収める事例が普通であるがゆえに、歴史にその名を残して称えられる。その戦いに挑んだ少数の兵の気持ちになれ、が“禁じ手”をおく理由だ。大メーカーの圧倒的な予算、人員で開発してできないことを、我々のような小所帯、小予算でやれるわけがない、と考える部署長は多いものだ。禁じているのは「敗北思想」である。

 外部のコンサルタントに頼るのはやめる(畑)

 研修の設計を外部コンサルタントに依存したり、研修メニューに外部講師の枠を組み入れる大手企業は多い。畑センタ長はそれを頑なに拒む。「会社の抱える課題は会社にいる当事者にしか分からない」(畑センタ長)からだ。それならどうやって研修テーマを決めるのか。それぞれの部署が抱える喫緊の重大案件をそのままテーマにすればよい。例として「価格下落の著しい市場で利益を確保できる新商品をどうやってみつけるか」。どの製品部隊にも答えがない。だから夜を徹して一人ひとりが真剣に意見をいいあう。回答を求めるのではなく、産みの苦しみを共にする、のである。

 普通の家で共同生活を経験すると職場の雰囲気が一変する(畑)

 山梨県内の民家を借り上げ、そこに寝泊りして語り合う形式は、シティホテル型の研修施設になれた人たちには新鮮に映ろう。子供のころの渓谷でのキャンプを思いだす人も多いだろう。食材を買うところからはじめて何から何まで職場と違う光景となる。ふだん、口数が少なく、目立たない存在だった男が、夕食づくりで天才的な手腕をみせて喝采を浴びる。トイレの掃除をきちんとやる人。見えていなかったそれぞれの人の持ち味が共同生活の場で滲み出る。職場の空気が一変するのである。

 カーエレクトロニクスと音響事業は心配(河原)

 財務リストラ路線は限界がある。絞っても水がでなくなる雑巾の比喩でわかる。主力部隊がいる戦場で勝つことしかない。ケンウッドはもともとニッチな無線事業では強いノウハウをもっていた。この部隊はつねに安定している。大メーカーとシノギを削るカーナビ等の戦場は違う。商品開発力を失えば昨日のドル箱部隊があっという間に赤字部隊に転じる。一寸先は闇、暗中、地雷原を歩くようなもの。どうすればよいか。トップがその危機を言い続けるしかない。ピンチは、チャンスをつくる唯一の契機だからだ。

***

 研修機会の本義は、ソリューションズを付与することにはない。ソリューションズは結果論でのみ存在するものだ。求めて得られるものではない。

 研修でできることは唯一、一人ひとりの社員の「志」に火を点すこと。

 筆者が勤める日本エス・エイチ・エルも、ケンウッドにならって、伊豆地方の個人の別荘を買い上げ、研修施設とした。近々に開所式を行う。ケンウッドが考えたことをそのまま実践しようと思っている。

 次のようなことをやろうと思っている。

  • 同一部署全員が一泊二日で合宿する。
  • 徹夜でみんなで語り合う。ずっと先、この夜を思いだすこともあろう。
  • テーマはどうしても解決ができないその部署の最大の問題。
  • 社長室であれば、社長の不適切なパーソナリティ。
  • グループ討議でも演習でもない。ただ、語り合うだけだ。
  • 研修所には蒲団を置かない。シャワーも風呂もおかない。語り合うためには不要だ。
  • 一人ひとりが研修所を離れるときに記帳してもらう。社史にそのノートを残す。

 トリオ時代を含め、筆者にとってケンウッドは気になる存在である。

 品質だけが価値をもつ事業に携わり、傷つきよろけながら、ぬかるみの中を歩み続け、決して歩みを止めない。かくありたいと思う。

コメンテータ:清水 佑三