人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

フジタ 常務執行役員東京支店長 白井元之氏
顧客が惚れるフジタに 社員と積極的に対話

2007年5月22日 建設通信新聞 朝刊2面

記事概要

 フジタの東京支店長を勤める白井元之氏へのインタビュー記事。白井氏は広島県出身、広島県立広島工業高校建築科卒。昭和22(1947)年生まれで今年の1月に還暦を迎えた。千葉や大阪の支店長経験を経て、東京支店長の要職に就いた。支店長の仕事の8割は営業だと割り切り、営業の最前線にたつ。以下、白井氏の発言から。「受注が目的ではない、営業利益を確保することが目的だ」「土木の受注はこれからも減る。その中で営業利益を確保するためにはフジタという会社に惚れて貰わない限りむずかしい」「東京支店は人数が多くまとまりきれていない」「良い管理職と良い現場所長とは根本的に違う」「何もないところから組み立てる構想力をもつことが良い管理職の要件」「構想力を鍛えるためには優れた本をよく読むことだ」白井氏が自分の言動のベースに置くのは、能力重視の人材抜擢と誰もが自分の意見を言える環境づくりである。

文責:清水 佑三

まずフジタという会社に惚れてもらうこと、は至言

 建設通信新聞2面の「支店長席」に載った小さな囲み記事であるが、(読んでいて)いくつかの発言にドキッとした。

 何にどうドキッとしたのか、書いてみる。見出しにしたのは白井語録である。

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 受注は利益をあげる手段。営業利益をあげることが目的

 記者はインタビュー記事の冒頭に白井氏のこの言葉を引いている。当たり前のことを当たり前に言っていると思ってはいけない。インタビュー中、口をすっぱくして白井氏はこのことを繰り返し説いたのだ。なぜか。できそうでできないことだからだ。(自社の)先輩たちはその簡明な原則を忘れていたのではないか、それが口惜しいのである。目的と手段のはき違えはあらゆる業界、あらゆる場所で起こる企業の「生活習慣病」である。重職の仕事はその病弊を断つことだ。

 土木の受注はこれからも減り続ける

 単純率直な市場認識だ。この認識が正しいかどうかの議論は無意味だ。この認識を根柢において、ならば今、何を優先させなければならないかをはっきりさせ業界の先手をとればよい。固定的に発生するキャパシティ・コストを減らし続けることだ。土木の受注が半分になったとしてもやってゆけるサイズまでもってゆけばよい。幸いにしてそこまで受注が減らなければ、利益創出が可能になる。一国一城を預かる支店長としての認識はかくあるべきだ。

 顧客がフジタに惚れるとしたら何に惚れるか

 受注ビジネスにおいて営業利益の確保の保障は何か。特命受注の道である。この仕事はフジタ以外にはやらせられないと顧客が判断すれば「ダンピング競争」の弊を免れる。技術部門の差別化はさておき、他社の支店との営業競争で「フジタに惚れさせる」としたら何に惚れさせるか。白井氏は「土地や許認可の情報」だと語っている。フジタの情報は凄いとなれば独走できる。あからさまな言葉はないが、支店の営業一人ひとりに「インテリジェンス(情報)」機能を要求しているのだ。

 何よりも大事なのは支店全体の一体感である

 なぜ一体感が大事なのか。支店内のAという仕事で起こっている(困った)ことは、次にB、Cの仕事でも起こる。支店内がバラバラだとAにおける対処経験がB、Cの仕事にうまく生かされない。結果として、同じ間違いを多くの場所で犯しかねない。支店が大きくなればなるほど、そうした機会損失の累積は怖い。小さな組織では問われないが、大組織における一体感の喪失は致命的なのだ。ならばどうするか。

 一人ひとりと一杯やって苦労を共有する

 この記事中の白眉の表現である。組織の一体感は何によって醸成されるか。メルマガか。そんなことはない。支店全員が集まる場所での「檄」か。それも違う。建築については一通り何でもこなしてきたと語る白井氏は、土木建築に携わるものの「冥利と哀感」を確かめ合うには、膝を突き合わせて「一杯やること」しかないと語っている。揺るぎない信念といってもよい。筆者も同感だ。面白いのは、一杯やって何を語るのかについての白井コメントだ。「苦労を共有する」だけだ。理想の確認によって一体感は醸成されない。お互いがお互いの苦労を知ることによってなされる。人情の世界である。

 待ちの営業は終わった。打ってでよう

 支店の宿命はよい仕事をとることだ。そのためには競合他社よりもよいフットワークとよい耳が要る。オフィスに「待ちの営業は終わった。打ってでよう」という大きな横断幕が貼ってあるとする。支店長と一杯やって気が晴れた営業の前線は、早速、外に出る。犬も歩けば棒にあたる、である。要所の人にあえば、微妙な表現でヒントをくれる。一生懸命に歩く犬に対して発注者は概して好意的なのだ。ヒントをもとにさらに動くと、思ってもみない宝の山があらわれる。先手必勝である。

 好き嫌いで仲間をつくれば企業は伸びない

 好き嫌いで仲間をつくってはならない、という言葉の背後にある考えは何か。重職にふさわしくない人材登用が会社を殺めるという強い危機感である。言外に過去のフジタにはそれがあったと語っている。好き嫌いでない人材登用とは具体的に何を指すのか。能力重視、結果重視の登用思想だ。ほんとの能力があれば、不適切な手段に頼らずによい結果を生み出す。そういう人のもとではよい部下が育つ。自分に続く世代への期待感が記事中に滲むが、重職の登用改革に手ごたえを感じているに違いない。

 管理職と現場監督とは違う

 記事では現場監督という言葉は使われていない。現場所長という言葉が使われている。労働基準監督署が使う意味での作業員の管理・監督業務は、現場の所長に任せよ、管理職は経営の一端を担えと言っているのだ。管理職として禄を食むものの目線についての言及である。ならば管理職のミッションとは何か。「何もないところから(想像力を働かせて受注シナリオを)組み立てる構想力が管理職には不可欠」と白井氏は言う。そうしたミッションを自覚すればするほど、日ごろの努力が重要になる。

 本を読め。文章から情景を思い描き、想像力を鍛えよ

 ノミニュケーションに努めて呑んだくれて家に戻ればバタンキューでは先がない。白井氏は(余暇に)想像力を刺激する本を読むことを社員に勧めている。「文章から情景を思い描き、想像力を鍛えよ」とも語っている。この言葉にもっともふさわしい本は何か。筆者注は「新約聖書」である。極論すれば、聖書からマタイ受難曲を構想した大バッハのような想像力を持てば何でもできる。社員の仕事の出来、不出来を規定する能力を一つだけあげよ、と言われれば「想像力」といわざるを得ないからだ。長い営業経験から白井氏はそのことを知り抜いている。プロ野球の打者が毎晩ホテルの部屋で素振りを繰り返すことと、ビジネスマンが本を読んで想像力の磨耗を防ぐことは共通している。それくらい「想像力」は仕事にとって大事な能力なのである。

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 白井元之氏の顔写真が囲み記事のまんなかに載っている。四角いごつい大きな顔、切れ長の目、眉の太さ長さ、耳の形と大きさなど、顔かたち、目鼻だちのすべてに「重職」にふさわしい何かが漂う。野太い声まで聞こえてくるようだ。

 仕事がら多くの重職に会うことが多いが、白井氏のような風貌にお目にかかることが極端に減った。

 白井氏の顔は前世紀の遺物のようだ。過去、日本の組織のご重役はこういう顔の人たちによって占められていた。今は、全体に顔が小さく細くなり、小ずるい印象を受ける重職が増えた。

 土木の世界は、風姿風貌において、日本企業の伝統をしっかりと守っている。長い低迷の時期を抜けての復活が待たれる。

コメンテータ:清水 佑三