人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

国家公務員
官を開く 公務員改革質も議論
人事の序列・縦割り採用・身分保障 閉じた制度効率化

2005年9月27日 日本経済新聞 朝刊 5面

記事概要

 政府は27日の経済財政諮問会議で国家公務員の給与や定員をめぐる議論を再スタートさせる。諮問会議は、国と地方あわせて30兆円の総人件費削減の方針を決めており、その実現に向けての具体論づくりに着手しようとしている。自由競争下の民間企業ではすでに常識化している、(1)職務別採用(官は1〜3種の身分別採用)、(2)横断的人材活用(官は省庁縦割り・固定的)、(3)必要に応じてのリストラ(官は法律による身分保障)等に向けてメスをいれようという試みである。経済財政諮問会議で佐藤壮郎人事院総裁は(諸悪の根源とされる)国家公務員の1〜3種の固定的人事区分の見直しにも言及した。予算や定員減少に伴うリストラは現行法内でも可能とされるが、現実には身分保障を楯に免職、希望退職、おおがかりな配転などは封印されているといってよく、閉じた人事制度をどこまでこじあけられるか、官の抵抗は必死で展開は予断を許さない。

文責:清水 佑三

公務員はどうして民より厚遇されているのか?

 法律とは面白いもので、施行されれば自然に動くものとされるが、まったく死んだようになって動かない法律もある。昭和23年施行の「国家公務員法」(国公法)の職階制の関係規定と、昭和25年施行の「国家公務員の職階制に関する法律」(職階法)がそれである。

 国公法(職階制)規定では、国家公務員の職を職務の種類、複雑困難さ及び責任の度によって分類することを定めており、職階法ではその実施方法を定めている。現在、多国籍企業の多くが取り入れている米、ヘイ・コンサルティングのジョブ・サイズ概念を、占領軍スタッフの勧告があったとはいえ、60年近く前の昭和23年の段階で法律として制定しているのだから驚く。

 職階制がお蔵に入ってしまった最大の理由は、ヘイが顧客に提供しているようなジョブ・サイズ別給与額を具体的に決められなかったことにある。「職階制に基づく給与準則」が未制定のまま残された結果、法律はお蔵入りとなった。

 立派な懲戒規定が作られたが、懲戒によって減給される額は別に定める、とあってその定めがなければ、懲戒処分は絵に描いた餅になる。それと同じである。

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 給与・年金などの官民格差がどのような経緯で生まれたかについて知っておくとよい。民のリストラ等の結果、自然にそうなったと思い込んでいる人も多いが、官民の格差は明治政府の必死の工夫で意図的に作られたものだ。どうして明治政府は官民格差を作ろうとしたか。

 明治4年の地方制度改革(廃藩置県)で身分と禄を奪われた302廃藩の旧武士階級の明治政府への恨みには酷いものがあった。自由民権運動という聞こえのいい衣装を纏って全国津々浦々で激しい政府攻撃が長期にわたって続いた。西南の役は一つの噴火であって全部ではない。

 当時政府攻撃に使われた言葉に「藩閥」「有司専横」がある。「藩閥」は明治政府の要職を独占した薩長の政治派閥に対する批判であるが、「有司専横」は違う。中央政府役人たちの質に批判の矛先が向けられた。欧米先進国にならって、法律によって役人の資質・処遇等を規定し、粗悪な役人を追放せよ、が批判の内容である。

 明治政府の重鎮たちは、ウィーン大学で憲法学を講じていたシュタインに目をつけ、お伊勢参りのようにシュタインのもとを訪れた。山県有朋、大山巌等の名刺に混じって伊藤博文の名刺もシュタインの訪問者台帳に今も残されている。

 伊藤博文が何をシュタインに求めたか。欧米諸国の「共和立憲」「君主立憲」のいずれの制度を採るべきか、後者を採る場合、君主と国民との関係をどう位置づけるかでヒントが欲しかった。それとともに、行政を貫く思想と官僚の位置づけを模索した。

 (伊藤博文が明治憲法草案をまとめたとされる野島(横浜市金沢区)は幼ないころ筆者がよく遊んだ場所だ。戦後すぐの野島には飛行機を格納できる横に広いセメント穴が放置されたままあってそこでよく遊んだ。筆者にとって伊藤博文の名と野島には格別の懐かしさがある。)

 官僚の位置づけに対する伊藤たちの答えは「天皇の官吏」というものであった。女王陛下のための007とまったく同じである。自らの利益を放擲して国家に無限奉仕し、場合によっては命を投げ出すのが007である。それなら007は天皇自らが親任しなければならない。何よりも大事なことは「天皇の官吏」はみすぼらしくあってはならないということ。

 官の俸給・恩給は民よりも低くあってはならない、という思想はこのような背景、認識から生まれた。無限の使命感や忠誠心を期待する見返りが民よりも高い俸給・恩給だったとみてよい。

 余談になるが、「天皇の官吏」は「天皇の軍人」と同義である。明治憲法第十一条の「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」の一項が、昭和初期から先の大戦による敗北までの20年間の、陸海の軍の専横につながった。

 「統帥権の独立」という憲法解釈が根拠になって、まともな発言をする人間はことごとく「統帥」を犯すものとしてMP(憲兵)にしょっぴかれた。誰も何もいえなくなり、悲惨な昭和史となった。

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 記事中の言葉を使って、入り口から出口までの公務員人事制度の矛盾点を整理すれば次のようになる。

  1. 硬直的な身分的採用(縦割り採用)→退官まで1〜3種の入り口区分で処遇を分けられる
  2. 省庁内異動(省益優先人材の輩出)→省庁を跨いだ配転は封印されたままで掛け声だけ
  3. 天下り→談合調整、情報提供等の利益供与と引き換えに民間企業に再雇用を求める

 筆者がもつ公務員制度の改革案を示唆しておきたい。多くの人たちの改革論は、給与の官民格差の是正や、上にのべた人事改革的な方向をとっているが、筆者の考えは違う。

 具体的に言おう。法制化を含む問題が多い。

  • 公務員は政治的中立と引き換えに身分保障が与えられている。特定の政党の政策を官公労が支持することがあってはならない。
  • 立法府(政治)は、行政改革案を、官僚に依存せず、自らの責任で作り、予算、定員削減、行政需要の変化に対応する具体的な配置転換案を用意する。
  • 行政府は立法府で決められたことに無条件に従わなければならない。国民への奉仕と政治優先とは同じものである。
  • 国公法(職階制)規定に従い、現行職務を、その種類、複雑困難さ及び責任の度によって分類する。職階法の給与準則を早急に作成して分類されたカテゴリーと俸給・年金のランクを対応させる。
  • 上の作業を外部識者、専門機関に委託し独立性、透明性、合理性を担保させる。
  • 結果として現行の給与と仕事の対応の間に存在する著しい矛盾が明らかになるだろう。現行の仕事の中にある殺ぎ落とすべき「過剰・余剰・滞留・非効率」コストが明確になる。

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 検察・警察の不正を検察・警察の手によって摘発するのは難しい。同じことが行政改革について言える。

 自らの仕事を、(1)不要なものである、(2)コンピュータに置き換えればよい、(3)今の俸給の10分の1の価値しかない、といえる人は皆無だろう。公務員改革において、官の反発は必至と記事中にあるが当たり前だ。既得権を自ら放擲するのは人情に反することだからである。

 筆者は、学徒でもなく評論でメシを喰う人間でもない。小さな会社を経営するビジネスマンである。上に述べた思考が適切かどうか、自分の会社で試すことができる。国公法規定を実践してみて、給与準則をつくり、俸給・年金と仕事の複雑困難さ、責任の度によって対応させる。

 過払いの人の俸給を下げ、未払いになっている人の俸給を上げる。毎年それを繰り返したときにどういう組織が生まれるか。

 大相撲の現役力士の世界に近づくだろう。勝ち負けの責任はすべてお相撲さん一人ひとりにある。稽古に励み、体調を維持して本割に臨めば勝って給金直しとなる。その反対で精進を怠れば、番付が下がってタニマチの扱いも冷たくなる。

 そういう世界の方が1種合格者が3種合格者を人とも思わない世界より筆者にとって精神衛生がよい。

コメンテータ:清水 佑三