人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

北海道日本ハムファイターズコーチが本出版
白井一幸流指導「管理職に」のびのびと選手を操縦

2007年4月11日 北海道新聞 朝刊 31面

記事概要

 プロ野球北海道日本ハムファイターズの白井一幸ヘッドコーチ(45)が、精神面での選手の指導論をまとめた「メンタル・コーチング」(PHP研究所)を出版した。白井さんは内野手として日本ハムなどで十三年間プレーし、アメリカ大リーグ「ヤンキース」にコーチ留学。帰国後、日本ハムの二軍総合コーチ、二軍監督を経て、現在のヘッドコーチに就任した。この本のなかで白井さんは、ミスをした選手を頭ごなしに叱る従来型の指示や指導では選手が萎縮してしまいもっている能力を発揮できないと指摘する。「選手が自ら全力を尽くすように仕向けるのがコーチの役割」と強調する。出版元のPHP研究所によると、プロ野球の現役コーチがビジネスに応用できるような一般書を出すのは珍しいという。

文責:清水 佑三

名コーチによる「コーチング論」。含蓄が深い。

 「メンタル・コーチング」を書いた白井一幸氏は、数々のタイトルを総なめにしたような派手な球歴をもっていない。駒沢大学から日ハムにドラフト1位で入ったが、日ハム時代に獲得したトロフィーは入団8年目の最高出塁率とカムバック賞だけである。

 しかし、いぶし銀のような地味ないい記録を残している。二塁手としての連続545守備機会ノーエラーのパリーグ記録(1994年)だ。

 内野でもっとも難しい守備位置とされる二塁のポジションでのこの記録は価値がある。日ごろのたゆみない練習と、エラーをしないという強い意志、試合中の先を読みながらプレーをする習性等がないとこうした記録は打ち立てられない。

 著者ご自身が誰よりもメンタル面で強いものをもった選手だったのだ。

 白井氏は97年に現役をあがった後、球団職員として日本ハム球団に採用され、ニューヨーク・ヤンキースにコーチ留学する。球団が彼に投資をした。そこでトレイ・ヒルマン(現日ハム監督)氏の知遇を受けた。いまや彼の懐刀としてチームの要の存在に上り詰めた。

 トレイ・ヒルマン監督はこの本の冒頭(推薦文)に次のように書いている。

…ヤンキース時代の彼は、周囲の人々と懸命に会話することを心がけ、目覚しいスピードで英語力を向上させていきました。選手たち、コーチ陣すべてが、チームに全力を尽くす白井氏に心打たれ、彼の人柄に惹きつけられていきました。

…彼はいつも本音で話をしてくれ、反対意見を述べることにも臆しません。同時に、監督である私が下した決断を最大限に尊重してくれます。彼には勇気があるのです。

…この推薦文をわが友のために書かせていただけたことを誇りに思います。彼との友情は、生涯続くことでしょう。

***

 まえがきの中で白井一幸氏は次のように書く。至言だと思う。(5ページ)

…「コーチ」(coach)とは一般的には、スポーツ競技などの技術指導者のことをいっているが、語源的には、箱型の大型四輪馬車や駅馬車(stagecoach)、ひいては乗り合いバスや客車を指す語だったという。

…つまり「乗客をその人の望む目的地まで連れてゆく」という意味あいがあり、そこから単なるスポーツ指導者の意味を超えて、「コーチング」の考え方が生まれたらしい。

 たったこれだけのさりげない言葉でありながら、「コーチング」の本質が何か、思い浮かばせるものがある。半端ではない才能だ。

 本文中で、メンタルの強さという言葉でいわれる修羅場の大技について、次のように書く。(159ページ)

…ここ一番という大事な場面で、プレッシャーをはねのけて成果をおさめられる人間というのは、単なる才能や実力、運の良し悪しでそれをつかんでいるわけではない。才能や運ももちろん要因のひとつではあろうが、ある程度は誰でもたどりつくことのできる境地ともいえる。

…普段、簡単に軽くプレーをしている人間が、いざ大事な場面に遭遇した場合、いつものようにリラックスし、プレッシャーをはねのけてプレーができるかといえば、それは土台無理な話だろう。

…プレッシャーに屈せず、むしろそれを楽しむことができる人間とは、結局、それだけの準備をしている人間にほかならない。つまり、日ごろからあらゆる場面で意識をし、一球一球に思いをこめて練習している人が、最後には楽しんでプレーができるようになるのだ。

 彼のメンタル・コーチング観は、上の二つの箇所の引用であぶりだされる。次のように要約してよいだろう。

(メンタル・コーチングとは)

  • 修羅場で凄いプレーをしたいと思わない選手は相手にできない。
  • 「才能」「実力」「運」があっても、本番の修羅場で凄いプレーができるとは限らない。
  • 本番での気の抜けたプレーを逐一とりあげてアレコレいっても意味がない。
  • 日ごろから一球一球に強い思いをこめて練習することだけが、修羅場での凄いプレーにつながる。
  • 一球一球のプレーに目の色を変えて取り組まざるを得ない練習環境(乗り合いバス)をつくれば凄いプレーをする(目的地に着ける)奴がでてくる。

 この本にはたくさんの示唆に富んだ言葉が出てくる。

 奥付では4月18日発売であるが、本屋さんに探しに行ったらあったので買った。

 珠玉の標語のような白井氏の言葉を借用し、それに筆者のコメントを添えて、この稿を終えたい。

 とてもよい本だと思う。

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(質問と詰問との違いを知れ…35ページ)

 「熱血コーチが陥る熱血ゆえの悪循環(38ページ)」につながる指摘だ。どうしてお前にはこんな簡単なことがわからないのだと問い詰めるのが詰問だ。叱責に等しい。もっといえば相手の思考力を止めてしまう価値観の押し付けである。質問は共同R&D作業と同義。りんごがどうして木から落ちるか一緒に考えよう、というのが質問の本質である。

(相手に聞く耳ができるまで「待つ」ことの大切さ…71ページ)

 バスに乗り込もうとしない人を目的地まで運ぶことはできない。目的地まで運ぶためには、コーチングされる乗客側の乗るという意志がなければならない。全選手を一同に集めてコーチングしても意味がない。鉄は熱いうちに打て、という諺は、熱くなければ打ってはいけないという意味。

(欠点を「責める」のではなく、「生かす」アドバイス…80ページ)

 エス・エイチ・エルが世界の40拠点で多国籍企業に言い続けているテーゼである。社員個々人の欠点を生かすことができるような盤面上に現実的で有効な布石をうつ、それが会社の創造性である。それができない会社ほど、個人における欠点を長所に変えようと訓練、研修、人材開発に躍起になる。

(「絶対勝つ」という強い意欲と勝利至上主義の違い…158ページ)

 勝利至上主義は目的のためには手段を選ばない風土をつくりがちだ。チームと個人の両方に「絶対勝つ」という強い意欲があれば、結果として負けることがあっても屈辱をバネにして次につなげることができる。重要なのは「勝利」という果実ではなく、「絶対勝つ」という不屈不撓の意志共同体をつくることだ。

(傭兵と采配で勝っても選手は育たない…173ページ)

 この言葉は重い。「勝つ」ことが目的ではなく、選手を育てること、いいチームを作りあげることが目的ではないのか、という主張だ。筆者もまた同じ感慨をもつ。多くの企業は勝つための「傭兵(採用)」と「采配(登用)」の論理に目がいっている。ひとつの文明批判として読める。

(自分でもつ「自信」と「うぬぼれ」とはちがう…217ページ)

 「自信」と「うぬぼれ」の違いへの着眼は鋭い。「仮説」と「先入観」の違いと重なる。自信はやりとげてきた結果生まれた自分に対する一つの仮説である。うぬぼれはやりとげてきた結果ゼロでも抱きうる「自己卓越性についての強い先入観」である。

コメンテータ:清水 佑三