人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

京王プラザホテル
分析データ社内で共有
自社施設のサービス向上へ新制度 従業員が体験し評価

2007年3月23日 日経産業新聞 朝刊 27面

記事概要

 京王プラザホテルでは2000年から、ホテルを利用した顧客から届いた手紙やコメント、それに対する担当部署の対応などを社内LANで公開し顧客サービス向上につなげてきた。今回、さらに一歩を進め、全従業員から希望者を募り、なりすまし顧客になって自社の宿泊やレストランなどを体験してもらい、顧客の立場で感じたことを「チェックシート」に記入してもらう「インスペクション制度」を導入した。旗艦ホテルである京王プラザホテル東京(新宿)からスタートし、有効性が認められれば多摩市、八王子市にあるホテルに広げてゆく。「チェックシート」には、フロントやベルマン、ベルボーイの対応、部屋の備品や設備、レストランの案内、スタッフ、料理、メニューなど多岐の項目が用意されている。インスペクションの回数は、月に四、五回、一日二人一組を想定。なりすまし顧客からの声を集計・分析し、担当部署に通知するとともに、社内LANで共有することによって充実した館内サービスや商品開発、人材育成につなげてゆくのが狙いだ。

文責:清水 佑三

「インテリジェンス(諜報)」という視点が重要

 ホテルグランプリというサイトが提供している最新の(シティ)ホテルランキングの上位5ホテルを紹介しよう。外国系のホテルが上位に来ている。

1位 ザ・リッツ・カールトン大阪
2位 フォーシーズンズホテル椿山荘(東京)
3位 パークハイアット東京
4位 ウェスティンホテル東京
5位 ホテル阪急インターナショナル(大阪)

 テレビ局にとっての視聴率にあたるのが、ホテルにとっての「ランキング」である。上位をキープしつづけることがいかに難しいか。

 過去、世界ランキング上位に評価されたこともある東京虎ノ門のホテルオークラの名は(ホテルグランプリ)上位20の中にいまや登場しない。この業界の転変の激しさを物語っていよう。

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 京王プラザホテルが導入した「営業施設体験・インスペクション制度」は、ランキングをあげてゆくためには有効な手段だとみる。

 高いランクを維持することが、顧客誘致の決め手であり、そのために何をなすべきか、顧客の視線で自らを点検するのは理にかなっている。

 この制度をよりうまく活用するためには多少の視点の変換が必要だとみる。そのあたりを以下に書いてみたい。

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1 誰がなりすまし顧客として適切か。対価は?

 (記事によれば)なりすまし顧客を従業員希望者の中から抽選で選ぶとある。このやりかたは賢明とはいえない。諜報部員を抽選で選び片手間でやらせる無意味さに通じる。諜報は組織の命脈を左右する最重要機能であり、誰でもできる仕事ではない。

 インスペクションを一つの職務と定め、それをするための適性を(測定できる尺度で)定義し、社内・社外から公募する。適性基準によって選別、登用、教育しないとダメだ。職務への対価はリポートの価値によってアップダウンさせてよい。1リポート百万円であっても決して高くない。アンケートをいくらとっても知恵はわかない。

2 自社営業施設だけをチェックしてもダメ

 評価情報の本質は、基準を特定した上での比較である。一人の人をつかまえて、背の高さを5点法で評価してくれ、といわれてもつけようがない。5人ならべて背の高さの順位付けを求めれば「使える情報」が得られる。

 経営の立場からみて同種、同格の(競合)ホテルを選んで、短い期間で、泊まり合わせ、食べ合わせをしない限り、生きた評価情報は得られない。自社内での複数施設の標準化をするのが目的ではないからである。かりに競合する5つのホテルがあったとしたら、その5つと自社を同時にインスペクションしないとダメだ。

3 何をインスペクトするか

 (記事によれば)チェック項目は、フロント・ロビー、客室、レストランの三つに大分類され、それぞれがさらに細かい項目に分けられている。客室担当部署、レストラン担当部署のようにホテルの組織図に対応している。ここから得られた情報はそのまま担当部署にフィードバックできる点で有益である。

 しかし、こうした要素情報からは本質はつかめない。

 テレビドラマの視聴率にあたるものをイメージしたとき、演出、脚本、役者、演技、音楽、ファッションのどれがどのように視聴率に関係するか、特定できない。要素の集合がイコール「視聴率」とはならない。

 インスペクションすべきは「ホテルで過ごす時間の質」でなければならない。高いお金をホテルに費やす理由は、そこだけでしか得られない「時間の質」があるからだ。時間の質につながる何かを強いて言葉化すれば「後味」である。後味につながったものを文章によって描かせるしかない。デジタル情報ではなく文章を求めるべきだ。

4 得られた情報の使い方

 ドイツ人新聞記者リヒャルト・ゾルゲの通報は、ソ連赤軍の情報部トップに届けられた。そこからスターリンまで届いた。それがインテリジェンスである。経営資源の選択と集中を行う任にあるものにとって、常に座右に置くべきはエージェント(諜報者)リポートである。

 (記事によれば)得られた項目別得点を集計・分析し、担当部署にフィードバックし、あわせて社内LANで、全従業員に「見える化」する。このことでサービスと顧客満足度の向上を期待するとある。

 そのやりかたは備品を取りかえるためには有効であろうが、それで終わる。目利きの後味比較の文書はダイレクトに経営トップに届けられるべきだ。また、それ以外には使わないほうがよい。

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 筆者はシティホテルが好きで、何かにつけてよく利用する。そこからホテル、「クラブ」論という持論を以前からもっている。

 日本にはクラブという欧米の伝統が根付いていないが、一流の旅館やホテルがその役割を果たしているという考えだ。

 欧米の友人たちは、うちとけた話をしたいときは自分が使うクラブに連れてゆく。クラブに対して忠誠をもつスタッフがいて、なじみのメンバーを家族のように扱う。若いスタッフはあまりいない。

 連れてゆかれるところはヨットクラブであったり、ゴルフクラブであったりするが、いずれもその地域の排他的なサロンの雰囲気をもつ。

 ロンドンのあるクラブに連れてゆかれたとき、ビジネスの話はしないでくれ、ペンを使ってメモをとらないでくれといわれた。連れていってくれた高校時代の友人の話では、日本人でこのクラブのメンバーだったのは吉田茂だけだといっていた。

 確かに、ロビースペースにいる人たちには商談をしている空気はない。自分の家の居間の延長のような雰囲気がある。

 入会審査が厳しいほどブランド価値をもつ。ゴルフクラブであれば、古びた木のロッカーにそれを使ってきた過去のメンバーの名が何行か刻まれている。終身メンバーが原則だから、死ぬと次の人がそのロッカーを引き継ぐ。伝統がクラブの価値である。

 ちなみに、ロンドンのレストランはうまくないというイメージがあるが、前述の友人にいわせれば、一流コックは貴族、領主の館か伝統のあるクラブにいるので、町場のレストランにはいないそうだ。領主の館か名前のあるクラブで食べればおいしいものが食べられるといっていた。そういうものらしい。

 欧米の貴顕の士たちのクラブ選択の論理がシティホテル選択の論理に通じるだろう。筆者流にその論理を列挙すれば次のようになる。

  • しきいが高いが、一度そのしきいをまたぐと、しきいが消えてしまう。
  • 何をもとめても対応してくれる。できないときは買ってきてくれる。
  • 自分が好むタイプの客しか来ない。まわりを気にしないでよい。
  • 値段は高いほどよい。高いからサービスの品質が維持できる。
  • スタッフはベテランがよい。自分の顔を覚えてくれていることが条件。
  • どういう客を連れてきたかをすぐ察知してくれないとまずい。世間を憚る場合もある。
  • 話かけない限り、話しかけてこないスタッフで固められているところがよい。
  • スタッフがガードマンのように思える。いざというときは身を挺してくれる。

 そんなホテルねえよ、というなかれ。ブランドをつくれば、宣伝しないで顧客が列をなす。

コメンテータ:清水 佑三