人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

グンゼ
人財育成 “学び”支援、専門職制も拡充

2007年3月21日 日刊工業新聞 朝刊 3面

記事概要

 グンゼの創業は古く、明治29(1896)年に遡る。京都府何鹿郡綾部町で小学校教員を務めていた波多野鶴吉が、授業中に居眠りをする子どもたちの多くが先祖伝来のやりかたの養蚕業を営む家業の手伝いで夜なべをしている事実を知り、一念発起して近代的な製糸会社(郡是製糸株式会社)を立ち上げたのが発端である。波多野は、居眠りをせざるを得なかった養蚕家の子どもたちを多く入社させ、通常業務のかたわら算数などの教育を社内で積極的に行った。大正6(1917)年には、工女教育を目的に郡是女学校を設立した。敬虔なクリスチャンでもあった波多野鶴吉は、聖書にある「善い人が良い糸を作り、信用される人が信用される糸を作る」を基本理念におき、社員教育を最優先課題とした。「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」の“三つの躾(しつけ)”と呼ばれる行動規範を社内に掲げ、社員にその実践を求めた。百年を経た今、グンゼの各部署には創業の教え“三つの躾”が掲げられている。波多野の精神は海外事業所にも受け継がれ、他社にはない徹底した社員教育と評判になっている。グンゼのこうしたゆきかたは、人格教育をおろそかにする社会風潮の中でますます輝きを増してゆくことになりそうだ。

文責:清水 佑三

善い人が良い糸をつくる、は正しい考え方

 「郡是」といわれてもイメージがわかない。「国是」といえばなるほどとわかる。「国是」とは国をあげて「是」と認めたもの、ことをいう。国家がみずから選択した「存在のありよう=目標」についていわれる言葉だ。

 安部晋三首相が掲げる「美しい国、日本」は彼の考える国是である。

 (郡是製糸)創業者、波多野鶴吉は、社名に「郡是」という言葉を用いた。命名から(京都府)綾部町の人、気候、風土、植生にあった養蚕業を是として認め、それを近代化させんとする強い決意が窺える。

 グンゼの人格教育の基礎を作ったのは、創業者が招いた(函館毎日新聞の主筆)川合信水だったといわれる。「論語」「おそうじ」の川合先生である。

 グンゼの沿革にも、「明治42(1909)年、川合信水氏を招聘、人間尊重に立った従業員教育を開始」と明記されている。善い人が良い糸を作る、その善い人を作るために創業者波多野が彼に白羽の矢を立てた。善い人をつくることと人間尊重という言葉が同じ意味で使われていることに注意。

 ここでは、川合信水が提唱した「あいさつをする」「はきものをそろえる」「そうじをする」の“三つの躾”について、その実践がもたらす効用について考えてみたい。

 人格教育は、(営利企業にとって)どういう意味をもつか、の考察である。

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1 あいさつをする

 日葡辞書が「アイサツ」という日本語について、面白い用例を紹介している。「アイサツノヨイヒト」である。

 日葡辞書は、慶長8(1603)年、日本イエズス会が(版元)長崎学林を通じて出版した日本→ポルトガル語辞書である。

 ポルトガル式と呼ばれるローマ字で日本語の見出しをつけ、ポルトガル語で定義を載せたあと、文例をローマ字表記の日本語でつけた。総語数3万余。今使われている言葉のルーツに興味をもつものにとってこれ以上面白い辞書はない。

 「アイサツノヨイヒト」という用例は「アイサツノワルイヒト」の存在を問わず語りに浮きぼる。人と人との交際が円満な人とそうでない人を区別する言葉だと当時のバテレン編集者たちが考えたことがうかがえる。

 ここから演繹できることがある。

 川合信水の「あいさつをする」は、ダニエル・ゴールマンがEQ概念で提示した10の行動規範の中の、

「社会的スキル」  社会生活上のルールをわきまえている。
「社会的デフトネス」  周囲とうまくやっていく術を持っている。

 を意味すると考えてよい。

 「アイサツノヨイヒト」とは、上の二つができる人と思ってよい。よいあいさつを心がけることで、自分の中の何かが変わり始める。

2 はきものをそろえる

 井伏鱒二の名作『駅前旅館』に、「はきもの」にまつわる挿話が紹介されている。修学旅行で(上野の)駅前旅館に泊まる生徒たちのお国ぶりが、玄関に並んだ「はきもの」の扱いに面白いほどよく出るという話だ。

 井伏によれば、ろくすっぽ見ないで「番頭さんや、俺のがない、ない」といって大騒ぎするのは大体がニシマエ(関西)の学校の生徒たち。じっと黙って一つひとつゆっくり見ていって確実に探し出すのはオクスケ(東北)の学校の生徒たち。その違いは、旅館に入ってくるときの脱ぎ方にもあって、関西の生徒は脱ぎ方も乱暴だが、東北の生徒は丁寧に揃えて脱ぐというのだ。

 同じような話は、ホテルの部屋のクリーニングをしている人からも聞いたことがある。チェックアウトしてお客が出ていった後、その部屋を一目見ただけで、泊まった人の人格が透けて見えるというのである。二つの挿話は何を意味するか。

 はきものをそろえる、という何気ない行動は、上述したEQの10の行動規範の中の、

「愛他心」 他者のためを思って行動できる。
「共感的理解」 他者の喜びや悲しみを心から理解できる。

 を意味すると考えてよい。はきものをそろえさせることで、その人の中で何かが変わり始める。

3 そうじをする

 平成18年8月6日(日)、JR京都駅前のキャンパスプラザ京都で、第43回教育者研究会が開かれた。京都府内の現職教員や教員OBなど約100名が参加した。門川大作・京都市教育委員会教育長が「便所を磨けば学校が変わる―掃除に学ぶ・便きょう会の取り組み」と題して講演した。

 なかで、門川教育長は、昨年2月、教職員を中心に便所掃除に学ぶ「便きょう会」を発足したことに触れ、廊下につばが吐かれ、窓ガラスが割られていた学校が、便所掃除をとおして生徒が変わり、学校が変わった事例を紹介した。

 「熱意ある多くの教員の努力で『京都の奇跡』と呼ばれる教育改革が実現できた」と述べた。

 そうじとは、単に机の上や部屋の片付けを意味しない。みんなで共用しているが、その掃除を人まかせにしてしまっている部分のそうじのことを言っている。

 倫理研究会等の社会運動体が「便所掃除」を社会倫理の実践課題にもってくる理由は、それが人格教育に最も効用があるからだ。

 ためしにやってみるとよい。

 おそうじおばさんにお願いするのをやめて、持ち回りでトイレの掃除をする。お互いがきちんとやれているかをチェックしあうルールをつくる。

 曖昧な人の曖昧なそうじの仕方が浮かび上がる。どうして?と聞いてゆく。決まって、そういう人はその場限りの仕事をしている人だ。

 きちんとそうじができることと仕事の仕上がりが見事であることはイコールなのである。

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 “三つの躾”がもたらすものは何か。善い人は良い糸を作る、の善い人を作る部分だ。日本企業が将来、グローバルスタンダードを世界に提供できるとすれば、この部分をおいてないように思う。

 工場で大量生産される製品について、コストで戦う時代は終焉した。高い値段であってもグンゼのシャツを着たいというファン形成の方が重要だ。品質を通して世界中にファンをつくれる。

 そのためには、善い人が良いものを作る、原理原則を徹底してやりぬくことしかない。

 日本人が蓄積してきた良き伝統という経営資源をあらためて思い起こさせてくれる良い記事だ。

 ただ、見出しのつけ方には異論がある。記者の訴えは聖書の言葉にある。専門職制の拡充がいいたいのではない。

コメンテータ:清水 佑三