人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
前田建設工業
再発防止策 管理職から脱談合誓約書
2007年3月16日 フジサンケイビジネスアイ 朝刊 27面
記事概要
ゼネコン準大手の前田建設工業が約2500人いる管理職個人から「談合に関与しない、談合が疑われる会合に出席しない、談合が判明した場合その会合を途中退席する」等を約束した誓約書の取り付けに入っていることが15日明らかになった。3月末までには全誓約書を取りまとめる方針だ。前田建設では、名古屋市発注の地下鉄工事談合事件で大林組、鹿島建設、奥村組などと独占禁止法違反に問われており、中部支店副支店長が逮捕される事態にまで発展した。すでに国土交通省から最も厳しい7ヶ月の指名停止処分も受けている。昨年も2000年発注の福島県ダム工事談合への社員の関与が浮上した。不祥事が相次いでいる。同社が管理職個人から談合防止の確約書の取り付けに踏み切ったのは、相次ぐ談合事件の発覚を受けて、これ以上の談合発覚があれば経営危機に陥りかねないとの強い危機感によるものと思われる。
文責:清水 佑三
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談合を悪と決め付ける論理の再点検
コメンテータ:清水 佑三
名古屋市発注の地下鉄工事問題に限らず、公共事業と談合事件は車の両輪のように形影あい添うイメージがある。
露見すれば自社の経営の根幹を揺るがす一大事になることがわかっていても、そのリスクを超える「おいしさ」が期待できたり、談合に加わらないことによる「村八分」を恐れるがゆえに、公共事業の発注者と受け皿事業者間の談合はなくならない。
どうしてそうなるのか、思いつくままに書いてみる。
1)発注者側の金銭感覚が麻痺してしまっている。
どんな企業も「早くて安くてうまい」サービス提供者を苦労して選別するものだ。“入るをはかって出ずるを制す”ところしか企業間競争に勝ち残れないからだ。ところが、租税や債券発行によって成り立つ官公庁、地方自治体には“入るをはかって出ずるを制す”の金銭感覚がない。整合性のある書式さえ用意できれば予算がぶんどれる。100円で買えるものに120円出そうという心理はわかりにくいが金銭感覚の恒常的な麻痺としてみると少し分かる。
2)談合に参加している限り食いっぱぐれはない。
公正取引のもとでの自由競争フィールドは「適者生存」の原則で動く。適者であろうとしない限りそこにとどまれない。談合フィールドはそうではない。パイを一定のルールで分配する「護送船団」の原則で動く。船団のはしっこについていれば、華美な生活はできなくても、食いっぱぐれはない。景気がわるいときはわるいなりに、よいときはよいなりに一定のルールでの分配は続く。中堅以下の事業者にとって談合は企業社会における生活保護法といえないこともない。
3)天下りを受け入れれば生存権は確保される。
公共工事には入札参加条件がある。その第一にくるのが「経営審査(経審)点数」という工事事業者としての格付けである。この評点は、入札に参加しようとする業者を対象に、国土交通大臣または都道府県知事など許可行政庁が業者の経営に関する客観的事項の審査を行うことでなされる。この審査が曲者である。天下りしてきた許可行政庁OBに政治力があれば、元の職場の僚友との間の阿吽の呼吸で評点を匙加減してもらえる。それが天下った人の隠れたミッションなのだ。今日の公共事業発注者が、明日の業者側の受け皿になれる(天下りの)秘密はここにある。
4)ゲームの理論からの合理性。
ナッシュ均衡(Nash equilibrium)として知られたゲームの理論の解概念がある。統合失調症に悩まされたMITの数学者、ジョン・フォーブス・ナッシュにちなんで名付けられた。(ちなみに映画『ビューティフル・マインド』は彼をモデルにした半実話的映画)。仮に、ゼネコン各社の実力(経審点数)が固定的でかつ差がある場合、どのゼネコンも自分の戦略の巧緻によって利益を増加させられない。結果として、どのゼネコンも戦略の巧緻を競い合うモチベーションを持てなくなり、全体としての業界のロスを最少にできる談合配分に収斂する。談合はある状況下において経済合理性をもっている。
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談合肯定論を積極展開しているわけではない。
本論にもどろう。関心は、組織に帰属する中間管理職者が会社に個人の立場で差し出す「誓約書」の意味の探求にある。
前田建設工業(前田建設)が再発防止策の一つとして求めた管理職個人からの「誓約書」について記事では次のように書かれている。
(談合防止の行動規範)
前田建設は、談合防止の(社員)行動規範を独自に策定した。概要に紹介したとおり、「談合に関与しない」「談合が疑われる会合に出席しない」「参加途中で談合が判明した場合退席する」などの項目が含まれる。社長名による規範(文書)は本社、全支店、営業所に配布された。
(全管理職が提出)
約2500人の管理職者全員に誓約書の提出が求められている。あえて管理職個人から誓約書をとる行動に踏み切った背景は、談合防止に向けて全管理職の協力を取り付けることで、現場段階における危機意識の共有を図ることができる。
(背馳した場合)
行動規範に反した行動をとった場合の罰則、懲戒規定が別途、定められている。誓約書の提出とは、イコール「罰則に異議を申し立てません」の一札を入れることだ。誓約書の提出相手はだれか。記事によれば社長である。談合に与した場合、自分の首を差し出します、という念書である。
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筆者は15年前に出した『“嘘つき”のススメ』(PHP研究所)の中で、会社とは何かに触れて次のように書いた。
…「会社的なるものとその限界」を突き詰めた形で示すとすれば、それは多分、組織が個人に対して要求する「匿名性」という問題だろう。「匿名性」とは、会社は会社の自己の保存のために、名前を持った個人が個人としてプレーしたり、パフォーマンスしたりすることを許さないという単純な事実である。
…日本陸軍が陸士、陸大で天才と謳われた石原莞爾を嫌った理由はその一点にあった。石原莞爾の伝記を何冊か読むと、彼は日本人には珍しい合理性の感覚(矛盾を見破る感性)に恵まれていた。おかしいことをおかしいと感じ、つまらないことをつまらないと感じる感度のよいアンテナと、それを表現する能力をもっていた。(略)
…新兵から順に風呂に入れるような全くユニークそのものの新しい師団長のもとで石原師団がかつてない活性化された集団に変貌しつつあるとき、陸軍の最高首脳は彼の更迭を考えていた。「匿名性」を逸脱した石原の個人プレーが陸軍そのものを壊すとみたのである。
石原莞爾を前田建設の一人の管理職者におきかえて読めば、筆者が何をいいたいかわかっていただけると思う。
前田建設の中のある管理職者が人事異動によって新任者として談合の場に出席したと仮定しよう。感度のよいアンテナをもっていれば、即座にそこがそのような場であることが分かる。
しかし、その場は、許認可権限や格付け権限をもつ行政庁の意を受けた「牢名主」によってとりしきられ、自社よりも格付けの高い大手ゼネコンの幹部たち全員が、従容と「牢名主」に従っていることはすぐわかる。
「誓約書」は、そういう場で感度のよいアンテナをもつ管理職者に、昭和8(1933)年の国際連盟会議の場で脱退宣言をして席をたった全権大使松岡洋右のように振舞うことを求めている。
それによって会社が蒙るであろう「暗黙の掟」の怖さは、わからないがゆえに巨大に映る。
ならば、この「誓約書」はいかなる意味をもつか。
筆者は、何の意味も持たないとみる。こういう角度のアプローチで談合体質をつくる「血」を全とっかえできるなら、談合という精妙な(ライプニッツの)予定調和システムはこの世に存在しない。
談合的なるものはもっと根が深く、われわれの奥深くの暗いところに住む「価値観」に発していると知るべきだ。
グローバル・スタンダードといわれるものの多くが「談合を悪とする」価値観に根ざしていることを知るべきだ。