人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

中国共産党
千変上海=ウォルマートと中国共産党

2006年12月26日 産経新聞 朝刊 6面

記事概要

 米大手スーパー、ウォルマートは、2004年の(中国政府の)小売業規制緩和とともに本格的に中国に進出したが、進出当初は労働組合の結成を認めない米・ウォルマートの経営方針を(中国内でも)とった。しかし、中国は農民と労働者の代表政党である中国共産党の一党独裁の国であり、「工会法」という名前の組合設置を義務づけた法が存在する。政府系労組「中華全国総工会」はウォルマートに労働組合結成を求め、激しい攻撃を展開した。2006年7月に(終に)中国・ウォルマートは中国内全店での労組結成を認めた。中国共産党規則は、労組内に共産党支部の設置を義務づけており、ウォルマート共産党支部が自動的に結成された。ウォルマートは、創業者、サム・ウォルトンの「(競争力の源泉は)徹底的な低賃金、低手当だ」の信条をバネにしてアメリカ小売業界の激しい覇権争いを勝ち抜いたことで知られる。(改革開放後の)中国が「低賃金」と「安い元」をバネに世界貿易戦争を勝ち抜いてきたのと似ている。ウォルマートと中国共産党とは、経営スタイルにおいて似た者どうしである。ウォルマート労組の共産党支部員の大半がウォルマートの経営幹部を兼ねている現実は別に驚くことではないのかもしれない。(前田徹)

文責:清水 佑三

一党独裁は本当に悪か?

 まず、記事のポイントを要約しておく。

 中国共産党が誕生したのは日本年号大正10(1921)年7月である。結党宣言は、上海で開かれた第1回全国代表大会において、コミンテルン(前々年にレーニン主導で作られた共産党の国際組織)指導のもとにわずか党員57人によってなされた。

 その後、抗日戦争、国共内戦などの戦乱期を経て、昭和24(1949)年、新中国が誕生し、その統治マシンとして(中国共産党は)以後、巨大化の一途をたどった。

 党中央組織の最新版統計によれば、2005年の共産党員数は7000万人の大台に乗った。人口比5.4%にあたる。国、地方の行政府の高級幹部は全員が党員であり、当然であるが出世を夢見る若者は、100人中100人が入党を希望する。

 小学校のときから、教育過程で素質ありと認められれば必ず教師から入党勧誘が行なわれる。党による素材の“青田買い”システムが確立されている。

 北京の中央党校は、党員に対する(最高)教育機関であり、不定期に長期(数年以上)、中期(数ヶ月)、短期(数週間)の徹底研修を行なう。

 そこで机を並べた同期生は、将来の企業幹部と政府幹部となって全国に散ってゆくが、中央党校時代の「人脈」があらゆる場面で生きてくるといわれる。負の側面として、企業と行政府の癒着、汚職の温床が組織的に作られているともいえる。

 ウォールストリート・ジャーナル・アジア版(06.12.19付)は「ウォルマートがついに中国に屈した」という見出しの記事で「党支部が労組内で大きな役割を演じれば演じるほど(ウォルマートの)ビジネスはうまくゆく」という党幹部談話を載せている。

 背後には、(こうすることで)行政府による不当な干渉を受けにくいという含意がある。日本からの進出企業の多くが、行政による不当な干渉にあって頭を抱えていることが思い浮かぶ。

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 視点を変えて、素質ありと認められる人材を早期に発見し、徹底した「高等教育」を授けた上で、要所に配置して、統治を委託する「一党独裁」システムの功罪を考えたい。

 なぜ、中国の一党独裁体制が半世紀以上存続しているかの研究である。「罪」の側面は、(人権機関等によって)指摘、糾弾されることが多いが、「功」の側面は、あまり語られることがない。

 生き残る企業は中国共産党的な側面をもっているのではないか。一党独裁は「是」という見方もありうるのではないかという問題意識による。

 それには、北京の中央党校が将来の幹部候補生にどういう教育をやっているかを詳しくみてゆく必要がある。

 (以下は、雑誌『選択』の2006年3月号「一党独裁の進化を担う司令塔、中央党校」に依拠するところが大きい)

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 中央党校は中国共産党の思想・理論面の最高権威である。中央党校の歴史をみてみる。

  • 毛沢東を主席とする「中華ソビエト共和国」が樹立されたのが1931年、その2年後に主要党員に政治、哲学、思想のバックボーンを与えるための党、研究教育機関「マルクス共産主義学校」が設立された。
  • 2年後に中央党校と改称した。その時の校長は、毛沢東に理論面で提言できたといわれる共和国副主席劉少奇である。(さらに幾たびか名前を変えたり、廃止されたりしたが、1977年に中央党校として再スタートをきった)
  • 77年の再スタート時の校長は国家主席の華国鋒、副校長には後の党主席になる胡耀邦がついた。93年に就任した校長は当時の党筆頭書記だった胡錦濤(現国家主席)である。中央党校が党内党の最有力機関であることがわかる。
  • 中央党校の党内の位置づけや目的は、時代とともに変わった。開校当初は、党幹部の共産主義思想強化(洗脳)の場であった。ケ小平の時代になって幹部への研修機関としての実務促進的な意味あいに変わっていった。
  • 現在の中央党校は、合理性をもった自己批判路線をとる。ソビエト連邦の崩壊がきっかけになっている。共産党の一党独裁を守りながら国家運営を持続させるための「変化する共産党」はいかにして可能かをさぐる。
  • ダーウィンの進化論の核にある「強いもの、賢いものが生き残るのではない。自ら変化できるものが生き残る」という認識が中央党校の現路線である。

 企業の存続もまた、同じであろう。「強い企業、賢い企業」が生き残るのではない。自ら変化できるものが生き残れる。

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 中央党校は「学習会」と呼ぶ討論会を頻繁に開く。胡錦濤が組長(議長の意)となって進められる学習会もある。政府のトップが政府を批判する提言作成を主導するという図は奇妙であるが、社長が監査役を勤めれば、強烈な監査ができることも事実。

 『学習時報』は、この「学習会」での議論を踏まえて作成される報告書である。2006年1月の『学習時報』は注目すべき以下の提言をまとめている。

  • 中国の未来は「環境破壊への適切な対応」で決まる。(危機認識)
  • 日本における公害対策はモデルとして評価できないか。(事例研究)
  • 日本の環境対策を手本にすべきである。(政府への提言)

 きわめて妥当な提言内容である。中央党校がどうしてこうした健全でバランスのとれた判断力をもつに至ったのか。研修の中身に秘密がある。

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 研修を受けるエリート中のエリートのなかにもランクがあり、最上位グループに対してなされる研修に秘密がある。

 そのグループは、中央党校が費用をもって、ハーバード大学のケネディ行政大学院(ケネディ・スクール)に派遣され、各国の政治・行政のトップをめざす人材とともに机を並べる。

 ケネディ・スクール在校約1000名の中に、中央党校派遣組は年々増え、最近は60人に届く。彼らがケネディ・スクールで学びとるものは何か。デモクラシーの神髄を学ぶ。最近出された『学習時報』の中から際立った主張を紹介する。

…政府に関する情報を得られなければ、人民は政府の選択や監督ができない。知る権利は現代民主主義の根本要求であり、迅速に情報公開法の制定を行うべきである。(03年6月)

…中国における収入の格差は03年以来、急拡大し、有効な措置をとらなければ5年以内に危険領域に突入する。政策決定者は貧富の格差の問題を特に重視しなければならない。(05年9月)

 『学習時報』が指摘する様々な問題は、中国の喫緊の課題ばかりだ。

 中国政府の目線が、創業思想である「農奴解放」から人類史上例をみない「13億人国家の良質な統治」に向いている証拠であろう。

 素材の早期発見、彼らを各国のトップクラスの人材の中において揉む。彼らに「事実、データに基づく筋の通った提言」を出させる。トップはその提言の推進機関として自らを位置づける。

 企業のサバイバルという問題を考えるときに、(中国の)党と中央党校の相互作用メカニズムは研究に値いしよう。

 暗愚のリーダーの思いつきに依拠する一党独裁には明日がない。

コメンテータ:清水 佑三