人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
日本ヒューレット・パッカード社長
小田晋吾氏
合併後は「現場の声」大切に
2006年12月8日 日経産業新聞 朝刊 19面
記事概要
2002年にコンパックコンピュータと合併した後、順調に事業を拡大している日本ヒューレット・パッカード(日本HP)の社長小田晋吾氏に、2社の企業文化の融合に成功させた秘訣を聞いた。(聞き手榊原健)小田氏は(1)合併当時は両社の社員はいずれも疑心暗鬼だった。『協力会社や顧客とは今までどおりでやってくれ』と説明し、不安を最小限にとどめたことが功を奏した、(2)社員応募によって今年の1月に日本HPのビジョンを策定した。(現場と話し合いながら)ビジョンを一本化したことがよかった、(3)労働組合のないコンパック側社員に日本HPの労組に加入してもらったのも大きい、(4)従業員サーベイを毎年1回実施している。1200人からコメント回答があった。休日を返上して全部読んだ。経営陣や管理職が現場の声に虚心に耳を傾けることが大事だ、(5)企業も(学生時代に熱中した)ラグビーも、連係力の戦いという点では同じようなところがある。ラグビーは『トライ』が目標だが、日本HPは『いい製品を届けること』が目標だ。社内各部門がその目標意識で統一できたら強い会社になれる、などと語った。
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
従業員サーベイの活用法の見本がここにある
コメンテータ:清水 佑三
企業の合併・買収が日常化するなかで、合併効果を確実に出すことの難しさが指摘されている。そうしたなかで、日本HPは、主力であるサーバー事業において着実に合併効果をあげている。その秘密は何か?
筆者は横河電機と米ヒューレット・パッカードの合弁でうまれた横河ヒューレット・パッカード時代の先輩たちの経験が日本HPとコンパックとの合併に陰に陽にいかされていると考える。
横河ヒューレット・パッカードは、51%を横河電機、49%を(米)ヒューレット・パッカード社という資本構成で出発した日米大企業による合弁である。父が日本人、母がアメリカ人の国際結婚であるが、2社の共通点は意外と多い。その一端を紹介しよう。
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横河電機は大正4(1915)年に、建築家・工学博士横河民輔が、東京府渋谷町に設立したベンチャー企業である。研究所組織として出発したが、5年後に株式会社組織とし、名前を横河電機製作所とした。大戦後ほどなく株式公開を果たした。
創業者の横河民輔は、(Wikipediaによれば)医師の息子として生まれ、東京帝国大学で建築学を学んだ。卒業後、三井財閥の三井元方に入社し、三井系企業の建築物の設計を行なった。その後、独立して横河建築設計事務所を開設した。
横河建築設計事務所の主な作品として、三越日本橋本店、(旧)三井本館、帝国劇場、日本工業倶楽部等多数がある。(現存する)国会議事堂が建設された時に横河民輔は設計委員を勤めた。
横河電機の創業者が大正、昭和初期の有能な建築デザイナーだったことは覚えておいてよい。橋梁の横河ブリッジ、計測・制御の横河電機はいずれも建築家民輔が生み出したもの。建築事務所を含めすべて今に至るまで命脈を保っている。
横河ヒューレット・パッカードを経て日本HPにまでその創業精神が引き継がれているようだ。
横河民輔の創業精神を形容すれば、高い次元での「知と美」の融合であろうか。その精神が人間という対象に働くとき、「社員一人ひとりを育てる」思想となる。それはイコール、個々人に対する“成長、発展にむけたR&D”思想にほかならない。
ヒューレット・パッカード社の起原は、昭和14(1939)年、スタンフォード大学電気工学科を卒業したビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが共同して作った庭先のガレッジベンチャーである。その経緯もまたおもしろい。
創業5年前のこと、デイブ・パッカードとビル・ヒューレットはコロラド州の山に2週間の予定でキャンプと釣りに行った。そこで意気投合したことから2人の物語がはじまる。
創業1年前、パッカード夫妻はカリフォルニア州パロアルト、アディソン通り364の家に引っ越す。ビル・ヒューレットはその家の裏にあるコテージを借り、ビルとデイブはそのガレージで運転資金538ドルを元手に負帰還(フィードバック)の研究事業に入る。
彼らのフィードバック研究は、音声装置をテストするためのオーディオ発振器として結実する。以後、高調波の各種アナライザなど設立初期のHP製品のすべての基礎にこの技術が応用されている。
ビルとデイブの538ドルの元手をもってなされた初心を、ヒューレット・パッカード社では『ガレッジ・スピリット』として社是の一つに掲げ、今なお称揚し続けている。
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小田晋吾社長が記事中でいう「我が社の伝統である社員一人ひとりを育てる気風」は、日本HPとおつきあいさせて頂いている筆者の立場で、至るところに窺うことができる。たとえばメンタル疾患者問題への取り組みにおいて顕著だ。
多くの大企業は「メンタル疾患者予備軍」といってよい人を採用時に忌避しようとする。それを助言する有力な適性テスト会社も現にある。
日本HPは全く異なるスタンスをとる。むしろ、そういう人たちを積極的に取り込み、会社を強くするための運動展開につなげることを考える。天下万民、衆生救済、一人ひとりを育てる気風の発露である。
ちなみにHPではメンタル疾患という言葉は使わない。ストレス関連疾患とよぶ。日本HPのこの問題への考え方を要約すれば次のようになる。
(以下は2006年7月28日における日本HP採用マネジャーの日本エス・エイチ・エルでの講演要旨。この講演は出席された多くの会社の共感を呼んだ)
ストレス疾患対象者において顕著な性格的特徴をもつ人が、仮に応募し選考に残った場合、次のように考えたい。
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小田晋吾社長の「1200人が書いた従業員サーベイ上のコメントを休日返上で読む」は、上に書いた日本HPの「社員の安寧を願う」気持ちの実践である。
筆者の持論であるが、従業員サーベイは書いてくるコメントに意味がある。項目別のデジタル集計を否定するわけではないが、経営トップが傾聴しなければならないのは心ある社員の直訴だ。次のような場合、コメントをきりとってボードメンバーが読みあうべきだ。
ボードメンバーがそれを真に受けて「虎穴に入って虎子を得る」勇気をもてるかどうか。会社発展の分岐点である。
横河民輔、ヒューレット、パッカード。彼らの「高貴な人性」は、日本HPにおいてまぎれもなく生き続けていると筆者は思う。この記事はそのことをあらためて感じさせてくれた。