人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
この人=三菱地所社長に就任した 木村恵司氏
従業員とともに風土改革
2005年7月5日 フジサンケイビジネスアイ 朝刊 9面
記事概要
6月に三菱地所の社長に就任した木村恵司氏は、大阪での土壌汚染問題(筆者注、大阪アメニティパークの土壌汚染隠蔽事件)の背景を「顧客よりも日常の業務や社内の論理、上司の指示を優先する風土があった。社会の変化、顧客や社会の視線が分からなくなっていた」と分析する。就任後の課題は明確である。不祥事を起こさない企業風土の改革を強力に進めることだ。そのためには、現場の従業員以上に、管理職や経営トップの意識改革が必要。「現場の意見や提案を管理職が聞かないと、現場はそのうち言っても無駄だと思うようになる」。風土改革とあわせて、不採算部門からの撤退を織り込んだ中期成長計画も打ち出す考えだ。(青山博美記者)
文責:清水 佑三
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他者感覚の無さの習慣化が諸悪の根源
コメンテータ:清水 佑三
平成8(1996)年11月19日に放送されたETV特集『丸山真男と戦後民主主義』(NHK)の番組冒頭で、丸山真男の生前のメッセージ(肉声テープ)が紹介されている。
前年12月3日に、東京新宿の三井クラブで開かれた「丸山ゼミ有志の会」でのスピーチの録音である。このスピーチをしたあと、わずか半年で丸山真男は逝った。
…何か日本はおかしいところがある。(最近)世間を一番騒がしたのはオウム、オウム真理教ですねえ。ただ、あれが、なんか非常に変わったものとかね、自分達と縁がない、どうしてあんなのが生まれたのかと思う方が少なくないようですけど、私はひとごとと思いません。
…えー、一言にしていえばですね、私の青年時代を思います。日本中がオウム真理教だったんじゃないかと。そうとしか思えない。そうすると非常によく思い当たる。一歩外へ出れば、一歩日本の外へ出れば全然通じない理屈が通用して、それ以外の議論は見もしないし、全然、問題にしない。
…理屈をいうとすればですね、他者感覚の無さ、ですね。他者がいないんです。おんなじ仲間とばっかり話ししますから。そこに非常な問題があるんじゃないかと。その怖さですね。
…最後に申し上げたいことは、こうやって見回しますと実に優秀な人が違った分野にいるでしょ。どうしてこういう人たちが横にですねえ、お互いに丸山という関係なしにですね、もっとつきあい、もっと話しする機会を持たないのかと。
…どうかもっとつきあっていただきたい。違った職場の方とですよ。もったいないですよ。
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三菱地所新社長、木村恵司氏の言葉を重ねてみよう。
「日常の業務や社内の論理、上司の指示を優先する風土があった。社会の変化、顧客や社会の視線が分からなくなっていた」
まさに他者感覚の無さ、の指摘である。どうしてそういうことになるのか。
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福沢諭吉『文明論之概略』巻之二、第五章に次のような表現がある。
…近来我日本に行はるる諸方の会社なるものをみるに、其会社いよいよ大なれば、其不始末いよいよ甚だしき。
…そもそも方今にて結社の商売を企つる者は、大抵、皆世間の才子にて、かの古風なる頑物が祖先の遺法を守りてつめに火を灯す者に比すれば、其智力の相違もとより同日の論に非ず。
…しかるに其才子、相会して事を謀るに至れば、たちまち其の性を変じて抱腹に堪えざる失策を行い、世間に笑はるるのみならず、其会社の才子も自ら其のしかるべき所以を知らずして憮然たるものあり。
…今、其しかる所以の源因を尋ぬるに、ただ、習慣の二字あるのみ。習慣久しきに至れば、第二の天然となり、識らず知らずして事をなすべし。
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喫煙とガン罹病の関係を思い起こしてよい。ある研究者の言によれば、肺がんについては、喫煙習慣がなければ、そのほぼ90%は防げたのでは、という。
同じことが企業の起こす社会的不祥事についてもいえるかもしれない。他者感覚の無さ、が習慣になっていなければ、ほぼ90%の社会的不祥事の発生は防げたのではないか、という仮説だ。
どうやれば他者感覚が身につくか。福沢諭吉も丸山真男も同じ指摘をしている。活発なる他者(異なる価値観をもつ者)との交際である。目を内に向けさせるから、交際相手がうちに限られる。目を外に向けさせれば、交際相手はそとに向かう。
目を外に向けさせるための具体案を出してこの稿をおわろう。会社が度胸を据えないと実行できない具体案である。
こうした過程を通して、世間と会社と自分について、一人ひとりの社員が何かを学ぶ。
これが福沢諭吉のいう「習慣化」をくいとめる方法だ。丸山真男のいう他者感覚を身につける方法である。
ただ、言うは易く、行うは難し、であることは言をまたない。