人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
旭化成
会社と家庭理解深める試み 「職場参観日」広がる
2006年10月3日 日経産業新聞 朝刊 26面
記事概要
8月下旬のある日、午前10時、東京都千代田区の旭化成東京本社には、子供たちの姿が目立った。旭化成が東京本社で働く社員を対象に初めて実施した職場参観日に集まった、社員の子供たちである。職場参観をしたのは(呼んだ社員を含めて)280人。参加者は、人事部が主催した会議室での昼食会を挟んで夕方6時まで、親が働く職場見学や7つの事業会社ごとの展示ブースでの様々な趣向を楽しんだ。「こんなに反応があるとは」。旭化成でコンプライアンス担当を勤める渋川賢一取締役は驚きを隠せない。同社が職場参観日の実施を決めた背景には社員の「ワーク・ライフ・バランス」の意識の高まりがある。職場参観日を通して、家族に仕事への理解を深めるとともに、職場仲間にも同僚が「家庭人」であることを気付かせる効果が期待できる。社員と家庭の相互理解のバランスがとれれば、社員は残業に打ち込める一方、家族のために心おきなく有給休暇をとるような好循環が生まれる。一方、運用次第では本来の狙いと逆の効果を生む恐れもある。家族の仕事への理解を求めるだけで、社員の仕事偏重の免罪符になりかねない。(当麻千晶記者)
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
仕事と家庭の両立は押し付けるものではない
コメンテータ:清水 佑三
「職場参観日」のアイデアはどこからどのようにして生まれたのか。厚生労働省(厚労省)の次世代法(昨年施行された次世代育成支援対策推進法)の施行が契機となっている。厚労省が、法律が定める行動計画の重要項目として「子ども(の親の職場)参観日」の実施を掲げたのである。
次世代法が求める企業の行動計画とは何か。厚労省のホームページの該当ページの記述を紹介しよう。発信者は厚生労働省 雇用均等・児童家庭局 職業家庭両立課 啓発援助係である。
(次世代法、一般事業主行動計画の策定と届出)
次代の社会を担う子どもが健やかに生まれ、育成される環境整備を進めるため、平成15年7月、「次世代育成支援対策推進法」が成立しました。この法律に基づき事業主にも労働者が仕事と子育てを両立させ、少子化の流れを変えるための次世代育成支援対策のための行動計画を策定していただくことになりました。行動計画には、(1)計画期間、(2)目標、(3)目標を達成するための対策とその実施時期の3つを定めてください。少子化の急速な進行は、我が国の経済社会に深刻な影響を与えます。そのため、政府・地方公共団体・企業等は一体となって対策を進めていかねばなりません。301人以上の労働者を雇用する事業主は、平成16年度末までに「一般事業主行動計画」(以下「行動計画」といいます。)を策定し、平成17年4月1日以降、速やかに届け出なければなりません。
行政の意思を要約すれば、次のようになろう。
行政の要望に沿って、行動計画として「職場参観日」を選び早速実施に移した企業に東京電力と並び旭化成があるが、両社の実施のあらましと予想される問題点は何だろうか、というのがこの記事の読み解き方である。
***
ワーク・ライフ・バランスは、ダイバーシティと並び、人事部において「呪縛」のひとつになりつつある新概念である。
企業においてワーク・ライフ・バランスが取り上げられる背景事情は、国家施策としての少子化問題とは視点が異なる。
社員の福祉問題、特に急激に増加しつつある社内のメンタル疾患者問題への取り組みの一環としてとりあげられることが多い。その原因に負荷問題、過残業放置の実態がある。
過残業問題のモデルとして次のような図式が成り立とう。
視点を転じて、たかが仕事、されど仕事という生き方を紹介しよう。ワーク・ライフ・バランスのひとつの解があるように思う。
***
城山三郎が昭和50年に上梓した『官僚たちの夏』には、さまざまな官僚の生き様が描かれている。主人公風越信吾は、通産天皇、佐橋滋をモデルにしているといわれた。佐橋は、ホンダの四輪車への進出を認めず、本田宗一郎と激論したことで有名な伝説の通産事務次官である。
その風越が扱いに苦慮したのが「マイペース」型官僚の片山泰介である。
ちなみに、この小説は週刊朝日に連載されていた。最初は『通産官僚たちの夏』という題だったと記憶する。
都心のテニスコートで土曜日の正午前、テニスに余念がない片山泰介と、主人公風越信吾が出くわすシーンがある。
童顔で、常ににこにこしていて愛想がいい、まるで呉服屋の番頭のようである、と城山三郎は風越の視線を借りて片山泰介を描いている。
…片山は五つも六つも若く見えた。東京生まれ東京育ち、小学校五年から飛び級で中学に合格、さらに飛び級で中学四年から一高へ。そしてストレートで東大法学部と最短コースをさらに二年もカットした秀才中の秀才であった。通産省をあげての注目を浴びて入省してきたわけだが、その後は必ずしもパッとしない。
風越は、投げつけるようにいった。
「そんなにテニスが好きか」
質問に嫌味が感じられたはずなのに、片山は首をすくめながらも、ぬけぬけと答えた。
「テニスだけじゃありません。サッカーも、ゴルフも、ヨットも」(初版、23ページ)
片山が頭角を現し、大臣秘書官となってからの場面が面白い。佐藤栄作を彷彿させる須藤通産相とゴルフに興じている場面である。
…「大臣、わたしは働き足りないんでしょうか」
須藤は、風の中に立ち止まった。
「どうして、そんなことをいうんだ」
「実はある人に、秘書官は無定量、無制限に働け、と忠告されたんですが、どうもこれまでの調子では、とても、そんな風に働いているとは思えませんので」
須藤は笑った。狐色に枯れ始めた芝生をふんで、また悠然と歩きだしながら、
「ばかな忠告だな。人間きまったことをやればいいんだ。つまり定量をきちんとやりさえすればいい。きみはそれをやっている」(同、138ページ)
まさに、小説中の片山は、ワーク・ライフ・バランスそのものと形容したい人生を送っている。ワークもライフも高い標高でバランスしているのがすごい。
筆者は、この小説本を初版で読み、作中の片山に強い印象を受けた。『総会屋錦城』『落日燃ゆ』とともに城山さんの作品の中では最も好きなものだ。
***
社会に出て間もない頃であったが、城山三郎の『官僚たちの夏』の片山泰介にであい、彼をなぞって生きようと思った。それから、ノー残業、ノー休日出勤を意識して、仕事よりも地域活動と趣味に生きた。感慨を禁じ得ない。
1冊の小説との出会いによって期せずしてワーク・ライフ・バランスを実践してきたといえる。一人ひとりの生き方は官製、会社製によらず、私製がよい。
官製の「職場参観日」がワーク・ライフ・バランスという点でどこまでの効用をもつのか、筆者にはよくわからない。記事を書いた当麻千晶さんも、筆致から筆者と同じ疑問をもっているように感じる。