人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
ブックオフコーポレーション社長
橋本真由美さん 現場主義に徹し、パートから社長に
2006年8月19日 朝日新聞 朝刊 21面
記事概要
中古本販売のブックオフ(東証1部)でパートから社長になった、として時の人になった橋本真由美氏は、1949年福井県生まれ、愛知県一宮女子短大卒業後、栄養士として病院に勤務した。それが社会人としてのスタート。以後、23歳で結婚し、それを機に退職、41歳まで2女の育児に専念する専業主婦を続けた。「誰でもできます お好きな時間で 時給600円」という一枚のパート募集のチラシが転機となる。ブックオフ1号店にパートとして勤務を開始、1年4ヶ月で、働きぶりが認められ、正社員に昇格した。3年後に取締役、12年を経て社長となった。ブックオフを創業した坂本孝会長は「現場で一心不乱に稼ぎ、人を育て、社員を魅了できる」をトップの3条件として掲げ、橋本真由美氏をおいて他にいないとして社長に登用した。古本市場で6割のシェアを持った。もう安泰ですね、というと「一番のリスクは社内の慢心や安心です。04年に東証2部に上場した後、社内が伸びきったゴムのようになった。自ら刺激を作って“仮想危機感”を抱き、人材育成にお金と時間をどんどん費やす。立ち止まる踊り場はない」と答えた。
(伊藤裕香子記者)
文責:清水 佑三
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稲盛和夫の心学が橋本真由美に結実した
コメンテータ:清水 佑三
パートから正社員になる1年4ヶ月の間の橋本真由美の働きぶりを伝える挿話が彼女の本質をなす「何か」を語る。記事中、次のような記述がある。
…古本屋というと、昔の質屋のようでイメージが古く、若い女性は店に入りづらい。そう思って、蛍光灯を増やし、店内を明るくしてみた。
…文庫本も作者別に並べてみた。
…「本、買います」というキャッチコピーは「読み終わった本、お売りください」に変えた。
与えられた仕事を与えられた指示どおりにこなす、視点は皆無だ。パートたちが自由に発想をだしあい一から(自分たちが)理想と思う店をつくっていく。
ブックオフスタイルの発展は社会運動の形成過程と相似している。
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坂本孝会長の社長選任3条件を、記事中から拾ってみる。
(1)現場で一心不乱に稼ぎ、
…7月、開店日を迎えたブックオフ平塚豊田店。(橋本が)店に着くと、店の中をずんずん突き進み、本や棚の並べ方、ポスターの貼り方、レジの対応など次々に指示を飛ばす。社員は小走りになり、ついてゆくのに必死。磨かれた「気づき」の鋭さに(記者は)圧倒されそうになる。
…「レジの用意はきちんとできてる?」「道路の落ち葉は掃いて」。口調は厳しい。パートの主婦には「主婦だからこそ頑張って。あなたたちにかかっている」と、さりげなく言葉をかけ、店を後にした。
(2)人を育て、
…(店を切り盛りしている人は若い人ばかりだが心配はないか?)ともかく信じることです。ある加盟店さんですが、店のレジが信用できず、閉店前の精算に経理担当の(本社の)社員さんが来て、レジを閉めていた。それでは人は育たない。モチベーションもあがらない。人育ては子育てと同じです。
…(店員向けの200ページのマニュアルは橋本さんが作られたそうですが)あれは2号店のときから手書きで一つ一つまとめたものが元になっています。マニュアルが競合にわたったらと心配する人がいますが、マニュアルは氷山でいえば水面上の部分。海の中に沈んでいるものがすごく大事。マニュアルだけを真似をしても店の活気はつくれません。
(3)社員を魅了できる。
…店で働く若者の橋本評。「厳しいけどきさく」「ちょっとした発言で(言われたとおりにやってみようと)みんな動く」
…(ある学生バイトは)大学よりもハマるから、気をつけるのよ、と言われた。
…(社長だから)いい人でなくていい。うるさいおばさん、でいい。会社のために、鬼になる。
…(店をまわって指示をだすときは)口調はいつも厳しい。でも、必ず、どこかに励ましの言葉をさりげなく織り込んでいる。
…厳しさとやさしさの(絶妙な)バランス、それが多くの人を魅了する。
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橋本を抜擢した坂本孝の考え方を知る必要があろう。ブックオフのホームページに「創業者の言葉」と題するコーナーがある。次のような言葉が目に飛び込む。
…私は社員に「第一にお客様のことを考えなさい」といったことはありません。だって社員が“自分がこうなりたい”という目標をもたずに働いていて毎日の仕事が楽しくないのであれば、どうしてお客様のことを先に考えられるでしょうか。
…ラクだから楽しいというのではなくて、本当の意味で仕事が楽しいと思う従業員がそこにいれば、その気持ちは自然とお客様に伝わるはずなのです。
…良い人を採用しましたね、と社員を褒められても、そうじゃない、(良い人を)集めたんじゃないんです。育てたのです。先輩社員が真剣に思いを伝えてぶつかってと、答えます。
…心の底から人を叱ることができなければ、人を育てることはできない。
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筆者には、橋本真由美、坂本孝の延長線上に稲盛和夫の思想が見え隠れする。ちなみに江戸初期の中江藤樹の「藤樹書院」と稲盛和夫の「盛和塾」はよく似ている。
筆者に言わせれば、学問の用語を使わず、平易な言葉と通俗な喩えを使って、農・工・商の日々の営みにいそしむ庶民に「心のありかた」を説くのが心学だ。
中江藤樹の陽明学を普通、心学とはいわないが、「親への孝養」を倦まずたゆまず説いた、藤樹の姿勢はその後の心学に通じるものがある。
平成心学者として、稲盛和夫を違った角度から評価することもありうる。稲盛和夫の説くところ(日経ビジネス06年4月3日号、特別インタビュー)をきいてみよう。
稲盛は水野博康編集委員の問いに次のように答える。
…(不祥事や法令違反が次々と発覚しているが、背後に何があるか)根底にあるのは、際限がなくて抑制することができない欲望です。言い換えると、「足るを知る」という謙虚さを見失ってしまったことです。
…成功したとしても、それは一人の努力の結果ではない。多くの人の助けがあってこその成功です。そのことについて心から感謝する。
…こんなに会社がうまくいっていいものだろうか、これでいいんだろうか、行き過ぎていないだろうかと顧みる心、日本人特有の「もったいない」という気持ちが生まれて少しブレーキを踏む。そうした謙虚さをもつことが成功を持続させる条件だと思います。
…(ブレーキを踏めなくなったのは?)人間としてのあるべき姿、人間としてやっていいこと、悪いことという、非常にベーシックな倫理観、道徳観を教わる機会がどんどん少なくなっているからだと思います。
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稲盛、坂本、橋本を貫く縦の一本線は何か。「仕事への姿勢」を最初にもってくることだ。もっといえば「心のありかた」「人は何で生きるか」を最重要とみる考え方である。宗教マインドに限りなく近い。
石門心学は柴田鳩翁にいたって、全国149の講舎をもつ、一大教育ビジネスになった。運動がビジネスにいつのまにか姿を変えた。
ひところの企業戦士を思わせる橋本真由美氏のパッションは、私の趣味と違うが、上に紹介したような言動には「心のなかの忘れもの」を思い出させる何かがある。
彼女を育てた坂本孝、彼を育てた稲盛和夫の系譜をもっとよく調べたい。
ネット社会における労働集約産業再構築のヒントが隠されているとみる。