人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

愛知製鋼
中堅層に「社内MBA」“生きた知恵”学ぶ場も

2006年08月16日 日刊工業新聞 朝刊4面

記事概要

 (特殊鋼、鋳造品大手の)愛知製鋼は、トヨタ自動車の生産拡大等で、国外の仕事量が増え、世界で活躍できる人材育成が急務となっている。仕事はどんどんグローバル化しているが、それを担う(海外用)人材が払底しているのが実情。海外だけでなく、日本国内でも急速に「職場力」が落ちているのでは、と危機感を募らせている。社内で実施したアンケートでも「職場で助け合う雰囲気が薄れた」という指摘があがる。非正社員の構成比率も高まり、職場が以前と比べ余裕を失ってきた感じがある。この結果「管理職が部下を指導したり、相談にのったりすることが少なくなった」と伊藤隆幸人事部長はいう。こうした事態に対応するため、今年から係長昇格前の層に対してのチームマネジメント教育に着手した。早い時点からマネジメントの基礎を叩き込むのが狙い。現場力を高めるのに加えて、「海外でマネジメントできる人を育てるのは急務」(同部長)と考えたためだ。

文責:清水 佑三

職場力アップに“MBA”研修は役立たない

 愛知製鋼のこのところの業績の伸びは著しい。04年3月期を100とした場合、06年3月期は売上が137、営業利益は実に383である。8月18日時点での株価収益率でもトヨタ15倍に対して、愛知製鋼は21倍と将来に対する評価も高い。力を入れている磁性部品への市場の期待の反映か。

 人の数はそれほど変わらないのに、仕事量がどんどん拡大する。量だけでなく、今までやったことがない海外でのマネジメントのように難度が高い仕事が増えるとしよう。

 誰もが猫の手を借りたいくらいに忙しくなる。また難しい仕事を抱えてどうしていいかわからなくなる。次のような症状が出てくる。いずれも記事中の愛知製鋼について書かれたものだ。

  1. 管理職が部下を指導したり、相談にのったりする機会が少なくなった。
  2. 職場で助け合う雰囲気が薄れた。
  3. 全体として職場に余裕がなくなった。

 …職場力が落ちているのではないか。愛知製鋼は、こうした危機感から、係長・課長にあたる現場のリーダー層の育成強化に乗り出した。以上がこの記事のイントロである。

 育成強化の具体案は、30代後半を対象とした次世代リーダー研修である。愛知製鋼版MBA=経営学修士=と位置づけているもの。カリキュラムには以下の内容が含まれる。

  1. 論理的思考力訓練
  2. ファイナンスの基礎知識
  3. 部下の管理手法
  4. 他社の事例を用いたケーススタディ
  5. 経営戦略を立案させるシミュレーション

 さて、中堅層への「自社版MBA」によって職場力を復元できるか。筆者の意見はノーである。どうしてノーなのか、次に述べたい。

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 議論の混乱を避けるために、「職場力」なるものを定義しておく。職場力とは、職場が過去に蓄積してきたパワーをいう。その職場がもつ固有の力であり、誰がマネジャーとして赴任してきても、それには影響を受けない。

 職場の「よき伝統」のようなもの。長い期間、多くの先輩たちが積み重ねてきた努力が、よき習慣として組織に定着したようなものと考えればよい。愛知製鋼でいえば、職場の余裕のある空気、先輩が後輩の面倒をみる、お互いに困ったときに助け合うようなかつて潤沢にあった組織風土をいう。

 一方、MBA研修を通して、受講者に植え付けようとしている能力は「マネジメント力」である。マネジメント力とは、映画、演劇のプロデュース力と同じ。スポンサーをみつけ、聴衆、観衆が求めるよいシナリオとそれにあった役者をみつけてきて最大限にうまく運用して、映画、演劇というソフトを生み出す力を指す。

 「マネジメント力」は、どこまでいっても個人に帰属する能力であり、渡り職人がもつワザのように流通性がある。

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 愛知製鋼に限らず、日本の多くの企業は、よき「職場力」をもっていた。職場がそこにトランジット(一時滞在)する人を育ててゆくシステムをもっていた。

 先輩が後輩の面倒をつねにみる。まだ一人前でない人間が犯したミスは上司が泥をかぶる。上司に借りを作ったシンマイは恩返しを心に誓い、精進する。忙しいときは、田植えのときのようにお互いが助け合う。まさによい植生につながる気候、土壌のようなものである。

 こうしたよき組織が固有にもつ「価値」と、個人が固有にもつ「能力」を混同してはならない。二つの間の関係性を整理しておく。

 職場力はよき伝統の創造とその承継によってなされる。マネジメント力は優れた「資質」が「機会」をえて、個人において爆発することで発揮される。訓練、調教によって獲得されるものではない。もともとの資質の開花である。

 「職場力(良き伝統)」をもつ組織に優れた「マネジメント力」をもつ個人が赴任した場合、その組織の生産物は他を圧するものとなる。

 早稲田大学ラグビー部が、01年からサントリーの清宮克幸氏を得て、5年間の対抗戦無敗という快挙をなしとげたことがわかりやすい例だ。

 80年余の部のよき伝統があったがゆえに、清宮采配が成果を生んだ。新設校の新設ラグビー部に彼が赴任したと仮定しよう。その部が5年間無敗を続けることはありえない。

 いずれにしろ、経営のトップは、よき組織の伝統をつくる課題と、そこにエネルギーを点火できる優れた「マネジャー」をつくる課題と、その二つの難題のみが目の前にあると思えばよい。

 具体的な戦略は「時の運」によって左右される。その部分の始末は天に委ねるしかない。

コメンテータ:清水 佑三