人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

横浜市
社説 係長試験離れ 幹部は範を示しているか

2006年8月3日 神奈川新聞 朝刊 3面

記事概要

 横浜市の係長昇任試験の受験希望者の長期低落傾向に歯止めがかからない。統計をとりはじめた9年前に比べて今年の希望者数は半分に満たない。立身出世の考えは過去のもの、横浜市だけの傾向ではないとの見方はありうる。しかし360万市民の舵取りを担う横浜市として座視するわけにはいかない。本腰をいれた対策が必要だ。受験する人の割合は、(有資格者の)6人に1人だという。職員の多くは「仕事量や責任の増大に見合う見返りが少ない」ことが理由だとみる。横浜市人事委員会事務局は「給与を含めた改革はもちろん、係長が仕事を一人で抱え込むのではなく、ベテラン職員がサポートする職場にする必要がある」と話す。中田宏市長は前港北区長の政治資金パーティ事件にからみ「何人かの職員から疑義が呈されていたが蓋をしてしまった。意見を交し合う組織風土が欠けていた」と語った。こうした組織風土への失望も、係長試験離れと無関係とは決して言い切れまい。

文責:清水 佑三

管理職を外部公募制にきりかえよ

 最初に私事から入る。お許しを願いたい。以下に引くのは鴎外森林太郎作詞の横浜市歌(しいか)の一、二番である。開港50周年を記念し明治42(1909)年に作られたものだ。

わが日の本は島国よ
朝日かがよう海に
つらなりそばだつ島々なれど
あらゆる国より舟こそ通え

されば港の数多かれど
この横浜にまさるあらめや
むかし思えば とま屋の煙
ちらりほらりと立てりしところ

 筆者はこの歌が好きで、ついつい、自著(『心の中の忘れもの』)にもこの歌詞を書き付けてしまった。おつきあいを願いたい。

…「わが日の本は島国よ朝日かがよう海に」で始まる横浜市歌を、今も横浜人は歌っているでしょうか。明治の文豪、鴎外森林太郎の詩です。私は、今の横浜駅の西口に近い、平沼高校(県立第一高等女学校)と向き合う場所で生まれ、金沢文庫のすぐ近くで育った生粋の横浜人です。そのことを誇りに思っていましたので、小学校の式典でこの歌を歌うときに「されば港の数多かれど、この横浜にまさるあらめや」という箇所までくると、自然に気持ちがしゃんとして、背中の筋がぴんと伸びる姿勢になりました。日本一の交易港で生まれたことが嬉しくてならなかったのです。

 これから書こうとすることは、社説子が説く正論とはアベコベの「係長昇任拒否症候群」の人たちへの心からなるエールである。自ら死地に赴くなかれ、と書きたい。

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 社説子は、かかる上位志向の衰退は、ゆゆしきことであり、360万市民の舵取りをする横浜市の行く末が心配だと書いている。余計なお世話だ。

 「舵取りをする」と社説子はいうが、納税者である私は自分の舵取りを(居住する市に)してほしいと思ったことは一度もない。

 主権在民主義をとる日本国憲法は、「行政官は市民からの受託者であり、かつ公僕であって、常に市民に対して適切なサービスを提供する責任を負う」という理念を掲げたのではなかったのか。

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 このことで思い出すのは昨年3月に死去した丹下健三である

 丹下健三の名を一躍有名にしたのは彼が昭和33(1958)年に設計した香川県庁東館だといわれる。丹下は主権在民センターとしての県庁舎を作ろうとした。建築界におけるコペルニクス的転回である。

 昭和30年、丹下が作った新県庁の設計図を見せられた香川県議および県幹部職員はその設計プランに強い抵抗を示した。

 丹下の下で当時働いていた建築家、神谷宏治氏によれば、丹下プランの根底に潜む何かが彼らの怯えを引き出したという。

 「県庁舎は市民のもの、市民が気軽に相談にゆき、さらに憩いの場を提供する場所」という基本的な考え方が現実に形態になって出てきたからだという。

 戦前に竣工された全国の府・県庁舎はすべて帝冠様式といわれる「お上の威厳を顕す重厚な様式」に特徴があった。いかめしい構えの建物に入ってゆくには勇気がいる。「お上の権威」への畏怖を求めたのが旧来の府・県庁舎の建物だった。

 丹下はその考え方を真っ向から否定した。「役所に呼び出されてゆくのではなく、自分たちのものだから用があれば自然に足が向かうところ。用がなくても憩いにゆくところ」。

 県庁舎を、納税者の持ち物と定義したのである。丹下は著作『現実と創造』のなかで、香川県庁に賭けた自らのパッションを説明する。

…役所に用があるとなると誰でも憂鬱な気分に落ち込んでしまう。陰気ないかめしい玄関、雑踏する廊下、杓子定規な職員との応対、思い返しただけでも二の足を踏んでしまうのである。戦後、公務員は国民の公僕であるということが民主主義の合言葉で繰り返されている。しかし、これが果たして建築的空間に反映されているだろうか。最も重視した点は市庁舎に用を足しにくる市民ばかりではなく、直接用がない市民を気安く導き入れる空間を作ることであった。

 「形態は機能を啓示する」という不遇の建築家ルイ・カーンの言葉が思い出される。丹下が作った県庁舎では、気軽に相談にのる県庁職員たちが市民と同じ目線を共有する。困っている市民と一緒に困るのが彼らの仕事だ。

 「係長」「課長」「部長」等が次々と登場して「法律、規則、前例、職務権限、予算の限度…」等をを盾にして、時によっては意識的に「たらいまわし」の手を使って、困っている市民を遠ざける思考様式を、丹下は建物(器)がつくりだす「力」によって退けたかったのだ。

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 本題に戻ろう。係長承認試験受験者の長期低落傾向は何によるか。昨年4月の東京都職員、昇任試験にソッポの記事のところに書いたことと重なるが、筆者の考えを率直に書く。

 1)係長になると「過労死・自殺」の切符を渡される

 7月28日の毎日新聞に《過労死・自殺》6割以上が労働時間を自己管理労災認定、という見出しの記事が載った。東京労働局管内の労働基準監督署が05年に「過労死・過労自殺」で労災認定をした48人を調査した結果、その6割が「労働時間を自己管理する側の人たち」だった。「上司の目の届かないところで納期に追われるなどの形で長時間労働を重ねるケースが目立つ」と労働局は分析する。そのとおりだろう。誰だってそんな切符はほしくない。係長職が「死地」と映る。

 2)係長になると「上」と「下」の板ばさみになる

 横浜市が掲げる理想の「職員像」は、(採用広報誌によれば)「ヨコハマを愛し、市民に信頼され、自ら考え行動する職員」である。具体的な場面を想定して、その職員の行動を示そう。かりに、横浜市が諸般の事情を理由に一部区域の「住居表示変更(町名番地変更)」方針を打ち出したとする。前線の区役所職員は、住民の理解を得るために多様な機会を捉えて、表示変更をしたい理由を区民に説明してゆく。土地・建物等不動産所有者の表示変更登記等で多大の負担を強いられる多くの区民は、その政策の白紙撤廃を求める。ヨコハマを愛し、市民に信頼されようとする職員は自ら考え「市民の言い分が正しい」と結論づけ、上司の係長に白紙撤回すべく動きましょうと提言する。「係長」は下の要請を受けて上に「訴え」をあげるか。あげない。上が嫌がることを知っているからだ。これが日常茶飯になるとしよう。そんな「窮地」に自ら行こうと考えるバカはいまい。

 3)係長になるためには難関を突破しないといけない

 昇任、昇格試験は、大学入試と同じく「知識チェック」と「人物チェック」の二つからなることが多い。職位が高くなるほど、後者を目的とする「面接」の比重が高くなる。最下位の「係長」昇任試験はそうではない。「知識」試験が主体になる。大学入試のときは、勉強に集中できる環境があった。今は、家に帰れば手狭な場所で家事を手伝い、子供の遊びにつきあわないといけない。地域からの駆り出しにも何回かに一回はでないといけない。仕事は忙しく、頭はさび付くばかりで問題集と向き合うたびに頭が痛くなる。試験のことを考えるだけでプレッシャーとなる。そんなに自分を苦しめるのなら受けるのをやめよう。

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 『始動』と題された平成18年度「横浜市職員採用案内」の「昇任」の項で横浜市人事委員会(事務局)は次のように書く。

…意欲と能力のある人が昇任できるように、機会均等、能力主義に基づいた「係長昇任試験」を実施しています。受験資格には、年齢や在職年数などの要件がありますが、最も早い人は29歳で係長に昇任します。その後、局・区長までの昇任は、業績、能力、適性等を総合的に勘案して行っています。昇任にかかる必要最低在級年数は、課長補佐(係長6年)、課長(課長補佐2年)、部次長(課長4年)、部長(部次長2年)、局・区長(部長3年)。

 横浜市は、係長昇任試験の有資格者を、大卒相当事務I(28〜39歳)、高卒相当事務II(40歳以上)と分けている。もともとの採用試験の応募区分がそれに対応している。応募要項には、「大卒程度等」と「高卒程度、医療技術など」に二分して受験方法を案内している。この区分が事務I、IIという区分となってゆく。

 高卒だと40歳、大卒だと28歳で(係長への)受験資格が与えられるわけだ。わずか4年の学歴差が市庁に入ると12年の差に拡大される。

 ほんとうにこれが、機会均等、能力主義にもとづいた考え方かどうか。国家公務員のI、II、III種の試験区分をコピーしているだけではないのか。こうした身分的な採用・昇進システムによって「ヨコハマを愛し、市民に信頼される職員」が輩出するのか。ノンである。

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 それではどうすればよいか。単純明快である。

 主権在民主義のもとでの公務員職は、全員が市民からの相談機能をもてばよい。カウンセラー、サポートスタッフである。まず警察だ。相談に来た市民の訴えをきくと面倒だ。何とか返してしまう方法はないか。かかる「面倒なことを引き受けたくない」という非公僕主義が悲劇を生む。

 カウンセラー、サポートスタッフを預かる管理職についてはどうするか。マネジメントのプロを外部から公募すればよい。

 すでにオーストラリアの各州で実施されていることだ。公募条件、任期制限等が明確にされ、選考プロセスの透明性、合理性が担保され、かつ、責任に見合った高い報酬を保障すれば、マネジメント経験が豊かな民間の俊秀が集まる。

 学校選択制と同じで国民サイドによる市町村選択制が施行され、全国の市町村がサービスの卓越性を競い合い、地方税の引き下げ競争をする風景がやがて現出しよう。(痴呆議会と揶揄される地方分権下での立法機能についての意見はここでは述べない)

 職員が申し合わせてもっともっと受験率を下げてゆくことだ。その先に予想もしなかった新天地が開けてくる。ヨコハマと慶応は何事においても先鞭をつけるところに存在意義があったはず。

 ともかく、神奈新の社説子の言い分は筆者にはいまいち、よくわからない。

 「知と血が騒ぐ」スリルが文章にひとつもない。

 ※丹下健三に関する記述部分は、以下の番組内容を参考にしています。

 2006年8月1日 BShi放映 「ハイビジョン特集 シリーズNIPPONの巨人− 丹下健三 いにしえから天へ地平へ−」

コメンテータ:清水 佑三