人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
三菱自動車工業(3)
明日への布石 品質の源流は人なり 企業活動の原点に返る
2006年7月26日 フジサンケイビジネスアイ 朝刊 18面
記事概要
三菱自動車工業、水島製作所は、倉敷市への地域貢献として市内清掃ボランティア、ポイ捨て・交通違反撲滅キャンペーンに積極的に取り組んできた。倉敷市だけでなく岡山県との関係も良好だ。04年に三菱ふそうトラック・バスのリコール隠しなどが露呈し、各地方自治体で(三菱自動車への)指名停止が相次いだときも、岡山県はこうした措置をとらなかった。逆に激励の声を寄せた。社会人生活を水島一筋に生きてきた松本伸(現所長)は「品質には強い自信をもっていた。事実、製造に関するリコール案件は(ここでは)ほとんどなかった。今だから言えるが」と話す。一連の騒動で松本が痛感したのは、日常的な道徳やマナーを守ることの重要性である。「人を育てること。それが品質向上を導く」。トヨタ自動車のリコール問題を機に、あらためて自動車業界の品質への姿勢が問われている。「品質の源流は人なり」への水島製作所の挑戦はつづく。(伊藤俊祐記者)
文責:清水 佑三
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よい人がよいモノをつくる。
コメンテータ:清水 佑三
都市対抗野球が全盛のころ、中国地方から、三菱重工広島と並んで三菱重工水島というチームがよく本大会に出てきた。重工水島時代は記憶にないが、三菱自動車水島になってから本大会でベストフォーまで行っている。
野球好きにとってたまらないのは都市対抗野球である。プロと同等の技術をもった集団が一発勝負に出るところに無類のおもしろさがある。応援合戦もおもしろい。
東京ドームでの開催時期が夏のはじめになったり終わりになったりで、このイベントが近年冷たい扱いを受けているのがよくわかる。ドン山本英一郎が死去した今、もっとそうなるだろう。
「鐘紡」「大昭和製紙」「熊谷組」といった多くの名門チームの活躍が思い出される。東京六大学のあと、都市対抗で戦後の大衆は沸いた。死んだ藤田元司が最後の英雄か。
一昨年であるが、都市対抗の本大会出場を勝ち取ったすぐあと、親会社の不祥事を受け、三菱自動車水島はチーム名を「倉敷オーシャンズ」に変えざるを得なかった。関係者は悲しかったろう。
水島製作所で思いだすことをもうひとつ。太平洋戦争時に、海軍の一式陸攻(陸上攻撃機)として知られた戦闘機を作っていたのが三菱重工水島製作所だ。
一式陸攻といっても誰も知らない。マレーのクヮンタン沖でイギリス戦艦プリンス・オブ・ウエールズ、巡洋戦艦レパルスを撃沈させた名機である。攻撃機として極めて優秀だったのだ。
アメリカ軍はマレー沖海戦として有名になったこの戦闘をつぶさに研究し、航空機優先の空母戦略に切り替えた。日本海軍は緒戦の勝利の意味を分析せず、大艦巨砲主義を最後まで貫いた。
かつてクヮンタンを訪れ海に向かってしばしの瞑想をしたのは筆者のこの戦さへのこだわり。
もうひとつあげよう。ブーゲンビルで連合艦隊司令長官山本五十六が遭難したときの山本の乗機も一式陸攻だった。
機体、性能、操作が不安定な飛行機を司令官の前線視察に使わない。海軍が当時もっとも信頼していた航空機が一式陸攻だったということだ。それを作ったのが水島製作所なのである。
古い話ばかりする、というなかれ。この記事を書いた記者の気持ちには「伝統回帰」がある。デスクも大きな活字で「企業活動の原点に返る」という見出しをつけた。
企業活動の原点とは一体なにか。
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伊藤俊祐記者は倉敷紡績社長、大原孫三郎のことから記事を書き始めている。一番いいたいことを読み手の誰もがまず読む記事冒頭にもってくるのは記者だましいのようなもの。
大原孫三郎を引いて何を伝えたかったのか。記事は次のように書き出される。
明治13(1880)年生まれの大原孫三郎は一体何をした人か。フリー百科事典の「ウィキペディア・大原孫三郎」には次のような伝記的事跡が紹介されている。( )は現在の名称である。
書いてゆくとキリがない。大原孫三郎が残したものでは巷間、大原美術館がもっとも有名であるが、彼の視線はもっと広く、深い。社会問題研究所、労働科学研究所の設立などによって、ある時期、大原は特高警察の監視を受けた。
大原孫三郎の考え方は、入社以来水島製作所一筋で、ついに6700人のトップに上り詰めた松本伸に影響を与えていると筆者はみる。記事中の松本の声に耳を傾けよう。
…「人を育てること。それが(結果として)品質向上を導く」
…「(社員である前に社会人であり)社会人としての質の向上に磨きをかけることが先だ」
…「(誰に対しても)笑顔での挨拶をこころがけよう。(それができれば大丈夫だ)」
生産性をあげるための施策や利益創出のアイデアではない。製作所で働くものたちが「よき市民であってほしい」という切実な訴えが聞こえる。
水島製作所では溶接や塗装技術などの向上を図るため、若手従業員を対象にした「ものづくり道場」の運営に乗り出した。そこで若手従業員に道徳やマナーを徹底的に教える。
「なによりもまずよき企業市民たれ」という大原の哲学が三菱自動車の松本伸を通して時を隔てて実践されているとみる。
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「アウトランダー」も「アイ」もいまヒットしている。04年度は人材流出もあり火が消えたようになっていたが、現在は製作所内は活気に満ち溢れている。操業率があがり、生産量が当時の1.7倍に届くからだ。
二つの車種のヒットでよき伝統が蘇った。スーパードライという酵母菌の発見でアサヒビールが蘇ったのとよく似ている。母体になる社員がしっかりしていたからだ。
ピンチになったときにそのまま沈む部隊もあれば、逆にそれをバネにしてV字型に復活する部隊もある。そこにいる人たちのレベルがそれを左右するとみる。
じゅっぱひとからげに三菱自動車工業は…といってはいけない。戦争中に一式陸攻を五百機つくった技術と製造の伝統は今も死んでいないのだ。
その技術と製造の伝統に大原の説く企業メセナの精神が掛け算されるしよう。恐るべき集団になるのは間違いない。
よき市民としての個人の成長と、企業の社会における長期的な発展とは実は同じものなのである。
三菱自動車工業は水島製作所が今のようである限り決して死なないだろう。