人事改革、各社の試み
HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。
文化庁
認識甘く不手際連鎖
高松塚壁画で調査委報告書案 縦割りの弊害指摘
2006年6月16日 日本経済新聞 朝刊 39面
記事概要
奈良県明日香村の国宝、高松塚古墳で起きた壁画損傷事故について、文化庁の調査委員会(石沢良昭上智大学長、以下調査委)は、(6月)15日、「情報公開の認識などが甘く、不手際の連鎖を生んだ」などと批判する報告書案を公表した。この報告書案は、19日に開く予定の調査委の会合で議論され、最終報告としてまとめられる。調査報告書案をまとめた石沢委員長は、「文化財行政そのものが社会の在り方とともに変わっている」と指摘し、文化庁が直轄している保存体制そのものの抜本的な見直しを求めた。また、一連の問題の背景に「庁内の縦割りやセクショナリズムの存在」があると総括し、「公表せずに済ませたいとの潜在意識」が無責任な判断(の連鎖)につながったと結論づけている。文化庁は、高松塚古墳だけにとどまらず、文化財全体の保存・管理体制の立て直しを求められている。
文責:清水 佑三
HRプロならこう読む!
思考停止、無責任、セクショナリズムを断ち切るには
コメンテータ:清水 佑三
文化財保存・修復に詳しい増田勝彦昭和女子大教授のコメントが記事の最後に添えられている。次のような内容。
ことは急ぐのである。
***
長く保存されてきた大切な文化財を(お金を使ってもよいので)よい状態で後世に残してください、は考古学ファンに限らず、納税者の自然な願いであろう。
その願いを受けて、調査委は、カビ発生・壁画損傷問題について、文化庁(の体質)に対して厳しい批判を展開した。
問題を(他紙報道を含めて)整理すると大略次のようになる。
1)防護服を着用しないで狭い石室に入って修理工事をした。このことがカビの大量発生につながったと思われる。
2)防護服未着用で狭い石室内工事をするような「仕事のさせ方」は、どのようにして習慣化されていったのか。責任の所在はどこにあるのか。長い年月かけて醸成されていった組織の淀みではないか。
3)暗い石室内で電気スタンドを使って工事したのはやむをえない。電気スタンドが壁画と接触して壁画の一部が損傷したのもやむをえない。いずれも、石室解体を決めたことに伴うリスクである。損傷事故そのものは非難の対象にはならない。
4)しかし損傷を泥で補修(隠蔽)した経緯には「?」がつく。意思決定には特定の個人が主導的役割を果たした。しかし、個人の責任に転嫁できるのか。誰がその立場にあっても同じ判断をしたように思われる。
5)国宝の損傷事故の発生と対処を、現場レベルで「非公表」と決めたことはより悪質。それを決めた人たちには「ことを隠蔽する」という自覚さえなかったと思われる。
6)思考停止、無責任の日常化、セクショナリズムなど、文化庁の腐敗した体質が問題を生み、大きくした。
***
組織は個人を模倣する。
組織はフラクタル幾何学がいう「自己相似性」をもっている。組織の一部をとりだし、拡大すると組織全体と相似している構造になっている、それが自己相似性である。
損傷を泥で補修する行動をとった一個人と文化庁という組織は、自己相似の関係にあると思うべきだ。個人で起きていることを調べれば、組織健全化への処方が見えてくるだろう。
一個人における「思考停止」「無責任感覚」「セクショナリズム」とは何をいうのか、なにゆえにそういう言動が生まれるのか。参考までに記しておく。
(思考停止)
(無責任感覚)
(セクショナリズム)
***
高松塚古墳の保存問題は、数学でいう「不能」タイプの問題である。よい解がない。現実的なアプローチしかない。
高松塚古墳の保存問題で、5つの選択肢が検討された段階で、「石室解体」論を文化庁がかなり無理して選択したことに問題の遠因があったと筆者はみる。
1300年間、カビが発生していなかった部位にカビを大量発生させてしまったのは、何かのバチがあたったとしか思えない。地球温暖化のせいにしたい気持ちはわかるが責任転嫁である。
特別史跡(墳丘)を扱う記念物課、国宝壁画を扱う美術学芸課が共同して高松塚古墳の保存にあたっているときに、それぞれの課長が何を視野において考えるかが今後のポイントだ。
壁画、墳丘は自分の領域の問題ではない、という態度を記念物課長、美術学芸課長がそれぞれとる限り、同じような問題が起こり続けるだろう。
長官(河合隼雄)は、組織全体が自己概念を喪失した時のために存在する。長官の指導性にすべてがかかっている。専門家任せにしてきたツケがまわっているのである。健全な常識の出番である。