人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

三井物産
昇格試験 企業理念も問う
新人事制度 成果主義を修正

2006年5月19日 日経産業新聞 朝刊 23面

記事概要

 三井物産は、過去にディーゼル車の排ガス浄化装置のデータ捏造や、国後島のディーゼル発電設備工事を巡る不正入札等の相次ぐ不祥事を起こしたことへの反省から、「フェアに」「謙虚に」「社会の信頼に応える」行動を社員に求めるべく「倫理行動基準=三井物産能力開発基準」を新たに設けた。この基準にもとづき、本社総合職6000人に対して、入社後3年ごとに、同基準を「どれだけ理解し」「実行に移しているか」を会社(人事総務部)がチェックする。管理職の昇格試験についても見直しに入り、同倫理基準の実践度合いを「面接」や「論文」によって評価する案が検討されている。同社はこれまで、部長と本部長の承認によって「スタッフ裁量型」職務従事者から、管理職が登用されていたが、昇進の道筋がはっきりと示されておらず、社内から「客観的な昇進基準を示して欲しい」という指摘も出ていた。

文責:清水 佑三

新会社法が人事制度を変えようとしている

 平成18年5月1日に施行されたいわゆる新会社法では、会社業務の適法、適正を確保する体制(内部統制システム)の決議と決議事項の事業報告への記載、開示が定められている。(362条5,6項)

 新法の求むるところを箇条書きすれば、次のようになろうか。

・企業倫理に関する行動方針の明確化

 行動方針を定めるだけでなく、法令や定款違反行為を未然に防止するために、取締役・使用人とも、相互監視を義務づける。行動方針に背く行動を発見した場合は、ただちに取締役会への報告および監査役への報告等がなされねばならない。

・社内通報システムの構築とその活用

 取締役・使用人が法令や定款違法行為をとっていると判断した企業内部者は、ただちに社内通報システムを使ってそれを取締役会および監査役等に通報しなければならない。会社はこうした内部通報を行ったものが不利益を蒙らないように保護しなければならない。

・グループ(系列子)会社も親会社を監視する

 グループ会社は、親会社と同等の内部統制システムをもち、運用しなければならない。また、それとは別に、親会社が強い立場、地位を利用して、法令に違反している指示、指導を自社に対して行っていると判断した場合、親会社のグループ管理部署を通して、親会社の監査役に報告を行うとともに意見を述べなければならない。

・監査役を行動指針(遵守)のモニター機関と位置づける

 監査役は必要と認めた場合、監査役補助者の提供を会社に求め、自らの職務執行体制をもたなければならない。監査役補助者は組合専従と同じような感じで会社の業務執行を兼務してはならない。補助者の任命、解任、異動、賃金等の取り扱いは監査役会の同意を得たうえで取締役会(機関)がきめる。

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 個人情報保護法が施行されたあとに巷にみられた混乱と同様の混乱が、この法律の施行によって巻き起こされる可能性がある。ハラスメント事件の大量生産である。以下、予想される混乱のうちの典型的なものをあげておく。

・「正当な内部告発」と「私怨を晴らす」が混同される

 新法が想定している重大な法令違反事実とは何をさすか。グループ会社の末端で働くアルバイトの学生にはわからない。一言の上司の注意を逆恨みして、あいつを社会的に葬ってやる、という逆意、逆心をもつ場合もありうる。アルバイト仲間と語りあって、複数のハラスメント事実を特定の上司を名指して波状的に監査役に告発する。なかに法律の知識があり、ストーリーテラーとしての才をもつものがいたとする。上司のまた上司が親会社の取締役、監査役に呼び出される。

・司法警察権がなければ「事実の究明」は不可能

 被害者を装うアルバイトの学生が涙ながらに上司の不適切行動を訴えるとする。誰も見たものがいない。その上司は「天地神明に誓ってそういう行動はとっていない」と言い張る。言った言わない、したしない、の水掛け論が延々と続く。被害者を装うアルバイトの学生の演技が上手であれば、上司の立場はどうしても悪くならざるをえない。ひそひそ話が職場の至るところでなされ、仕事が手につかなくなる。職場の風紀維持において落ち度があったという理由で(加害者とされた)上司は立場を失う。

・第二、第三の「春木事件」が起こる

 石川達三が書いた『七人の敵が居た』は青山学院大学法学部の春木猛教授をモデルにしているといわれる。春木猛教授は、自分の大学の女子学生から猥褻・暴行容疑で東京地裁に起訴された。今でいうセクハラ事件であるが石川の(小説での)見方は加害者と被害者が逆転する美人局事件。30年以上の前の事件だ。冤罪の主張がとおらなかった春木元教授は、(実刑が確定し八王子の医療刑務所で服役中)失意のうちにこの世を去った。こうした事件が大小とわず新法を契機に頻発しない保障はない。

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 三井物産(物産)の新人事制度の記事に戻る。この記事の見出しの一つに「成果主義を修正」がある。不適切な見出しといってよい。過剰な成果主義=相次ぐ不祥事という主張は、記事のどこをどのように読んでも、みあたらない。

 筆者の興味は、物産がこの制度で狙っていることも、新法の立法の趣旨も同じなのではないか、ということだ。適法、適正な行動をとる企業づくりだ。

 同じ頂上を目指すのでも登山口が違う。

 新会社法が求める「内部通報システム」は、物産の新人事制度とはまったく逆の発想をとる。経営・管理の人たちは監視しないと脱法行為をとる可能性があるから、法律によって監視制度を強化しようである。

 物産の新制度は異なる視点をもつ。高い理想をめざせば、次元の低い行動は影を潜める。不断に高い理想を求めつづけようという考えの言葉化、制度化である。

 「(すべからく)志高く、目線を正しく、顧客・社会に貢献すべし」という管理職行動のチェック項目の定義の仕方に注目すればそれがいえる。

 これをやってはいけない、やった人をいいつけなさい、という指導と、こんな楽しく崇高な世界があるんだからみんなでそれをしようよ、というのとでは現出される風景がまったく違う。

 物産の説明は、「相次ぐ不祥事への反省から」であるが、それは表向きであろう。

 「志高く、目線を正しく」理想の不断の確認・点検・称呼を行えば、新法がいうところの法令および定款に定める会社職務の遂行を担保できる、という不抜の確信があるとみるべきだ。

 明快な(日本型の)新法遵守への道筋の提示である。いいつけぐち社会は、人を卑しく、暗くしてゆく。

 『国家の品格』は物産のゆきかたの延長線上にある。

コメンテータ:清水 佑三