人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

寝屋川市
IT化リーダー公募、任期限定、高給処遇、やりがい保証

2006年5月8日 朝日新聞(大阪) 朝刊 32面

記事概要

 寝屋川市は、情報通信技術を生かした行政サービスの推進を図るために、課長級職員1人を公募することを決めた。06年7月から09年3月まで、任期を限定し、課長級としては最高額の年収約900万円を用意する。携帯電話やパソコンから住民票などの発行を申請できるようにする、携帯電話向けの寝屋川市のホームページをつくる、そのほか、職員用のパソコンの調達やセキュリティ・システムへのアドバイスなど、(採用後の)期待は大きい。民間企業で10年以上IT実務に携わり、管理職経験をもつ40〜58歳が公募条件。選考にあたっては(1)寝屋川市の情報化推進に(自分の)経験をどう生かすか、(2)市の情報化推進計画の基本目標をいかに実現するか、のどちらかのテーマで2000字以内の論文提出を求める。市はIT化のリーダー役として大きな期待を寄せている。

文責:清水 佑三

マネジャー採用の典型例を寝屋川市にみる

 (シンガポールの試み)

 行政サービスのIT化推進でしばしば引き合いに出されるのは、シンガポール政府の積極果敢な国民皆PCホルダー化プロジェクトである。その先に行政のスリム化、国家から市民への情報伝達の効率化が狙われている。(シンガポールは)1党独裁に近い政体をとるが、欧米からの批判が少ないのは国家施策と市民の利益に比較的矛盾が少ないからだろう。

 99年4月にオンライン行政サービスの入り口として“eCitizen”を開設した。7年余を経過した今、(シンガポール在住の友人の言によれば)“eCitizen”は、「市民にとって欠かすことができない情報のライフラインとして市民に定着している。

 寝屋川市が取り組むべき課題を、シンガポール政府が過去にやってきたことを例に整理してみよう。行政サービスの合理化を考えるすべての組織にとって参考になる「事例」だろう。記述の中の「パソコン」を(寝屋川市の場合)携帯電話と置き換えてよめばよい。

1)中古パソコンの無償提供

 コンピュータは苦手、という多くの市民に対して、コンピュータくらい便利なものはないといわせるように仕向ける「運動」推進である。コンピュータを否定しないが買えない層にねらいをしぼった。中古パソコンの無償提供作戦をとった。欲しかったパソコンを手にできた人たちの中から行政IT化推進の「伝道師」がうまれる。じわじわと水が布地に沁みてゆくように「パソコンを使える市民」の輪が広がってゆく。

2)インセンティブの導入

 損得勘定に人一倍敏感なシンガポール市民に対して「パソコンを使って行政手続きを行ったほうが得するよ」キャンペーンはきわめて有効だった。場所、時間の拘束を受けない行政サービスは、忙しい人にとってこの上なくありがたい。しかも申請などの手数料が安くなるとなれば「鴨がネギをしょってくる」ような話だ。かくて燎原の火のように行政サービスのオンライン化が推進された。

3)ヘルプデスクの設置

 淡路島ほどの広さの島に400万人余の人が住むのがシンガポール(国)である。100箇所あるコミュニティセンターに“eCitizen”のヘルプデスクをおいた。無償提供した中古パソコンの修理を無償で行う、パソコンの扱いに不慣れな人に手取り足取り使い方を教える、などがヘルプデスクの役割である。そのほか、やはり無償でインターネットの使い方教室をこの場所を使って頻繁に開いた。

4)街頭キャンペーン

 どんなおまけでもおまけをくれるなら行列に並ぼう、はシンガポールの人だけの心理ではない。ミニサイズのシャンプー・リンスに“eCitizen”と刷りこんだものの配布は長い行列をつくった。子供たちにはキャンディー、ドリンクを配る。“eCitizen”をやりとげようとする並々ならぬ国家意志はこうしたキャンペーンを通じてあまねく市民に浸透した。

***

 筆者が住むA市は「市長への手紙」という目安箱制度を行っている。

 町内会長をやっていて辟易するのが、月一回の「市の広報資料」の配布である。160世帯からなる町内会員に市の広報誌からはじまって何種類もの配布資料を毎月配る。ほとんど全部の部署が全戸配布の小冊子またはチラシのようなものを作っているからだ。あまりに馬鹿馬鹿しいので、オンライン化したらどうかと「市長への手紙」に書いたら、次のような返事がきた。できない理由である。

  • パソコンをもっていない市民が多い。
  • もっていてもインターネットをつかいこなせない市民が多い。
  • 個人情報保護法との関係がある(理由不明)。
  • セキュリティの問題がある(理由不明)。
  • 多くの市民が行政との直接対話を求めている。
  • 多くの市民が行政と電話での対話を求めている。
  • やりぬく予算がない。人がいない。

 寝屋川市ができて、A市ができないのはなにゆえか。わからない。会社の社長をやっていて事務手続きに辟易することがあり、オンライン化したらどうか、とボードメンバーに相談する。そのときに返ってくる返事と同じ返事が返ってきた印象。人は面倒なことを好まない、という単純明快な話である。

***

 寝屋川市の情報化推進計画の青写真がうまくつくられているとしよう。さて、誰に推進役をお願いしようか、という話になる。それに対する回答がこの記事だ。有期限の管理職の公募、委任プロジェクトである。

 部署内外の「できない理由」をあげるグループとの対決が事前予約され、セットされているような3年間の仕事である。課長級として最高額の年収を用意する、はその仕事の負荷が半端ではないゆえ当然である。

 筆者が仮に公募にあたっての人事委員会から選考委員の委嘱を受けたとしよう。次のような点に注意して論文審査と面接評価を行うだろう。その理由も添えておく。参考になれば幸いである。

***

 論文審査…「寝屋川市の情報化推進に(自分の)経験をどう生かすか」

1)筆跡を眺める。書いた文字に「発酵によるうまみのようなもの」が感じとれるかどうかをみる。そのためには手書きによる小論文提出を求めないと駄目だ。マネジャーの暖簾をはる上で最重要なのは人格の成熟だからである。書き文字の「味」にそれがでる。

2)寝屋川市の情報化推進計画をどう受け止めているかを審査する。何も言及がない場合は×である。どんなファミレスでもアルバイトの学生に「お客様のご注文の確認をさせていただきます」と言わせている。簡単なことでもそうするのだ。言及されているがピントが違う場合もその時点で×である。

3)自分の経験をどう生かすか、の角度で書かれた内容は、論文審査上の最重要ポイントである。抵抗勢力との戦いのドラマがかかれていない人は×。どんなに高度、専門的な内容を書いてきてもドラマが語られない限り駄目。戦いのドラマが書いてあっても「涙と笑い」が滲んでいないのも駄目。嘘が書いてある可能性が高い。

 面接選考…「これからの3年間にあなたが求めているものは何ですか?」

1)顔を眺める。表情に「発酵によるうまみのようなもの」が感じとれるかどうかをみる。表情には過去生きてきた時間の「感情史」が凝縮されている。感情には「劣情」に近いものから、その反対まで多様な種類がある。「劣情」に近い種類の感情を多くもって生きてきた人は表情の卑しさにそれがでる。人が懐かないので×。

2)自分の未来を語るときの「話し方」をみる。映画『ネバーランド』でジョニー・デップがデイヴィス家の子供にやってみせたような話し方が基準になる。それに近いものを感じ取れた場合は○。そうでない場合は×。空想の世界で遊ぶことの楽しさを知らない人は未来を切り拓くことができない。良質の市民運動を展開できる人の本質は「純粋無垢さ」である。

3)抵抗勢力との壮絶な戦いを語るときの語り口に注意する。敵を慈しむように語れる人は○。反対に唾棄すべき者のように語る人は×。敵味方双方ともに「信じるがゆえに戦っている」からだ。価値観が違っても、戦うものどうしは「誠実さ」を共有する。戦いが終われば戦友になれる。事を成す人の条件は敵を尊敬できる、である。

 あるレベル以上の職位の人の採用手順は上のような色彩を帯びざるを得ない。スキル要件が満たされる事はほんの片隅のプラス材料でしかない。

 人を動かすのは人であり、全人格の力が「同志」による「運動」をつくる。全人格をよく見ないと(この手の採用は)失敗する。

コメンテータ:清水 佑三