人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

三井住友海上火災保険 「課」廃止効果じわり

2006年4月30日 産経新聞 朝刊 4面

記事概要

 三井住友海上火災保険(三井住友海上)は、この4月から経理部、秘書室を除く約1000人の本社機構で「課」制を廃止し、(課長という身分は残すが)1人の部員が複数のプロジェクトにかかわれるフラットな(文鎮型)組織に衣替えした。部長→次長→課長→課員という明確な階層をもつ金融機関では極めて珍しいこの取り組みについて、同社人事部の津田卓也課長は「年齢構成のひずみや仕事の複雑化により、組織を超えて共同で対応できる仕組みづくりが必要だった」と語った。文鎮の摘(つま)みにあたるのは部長で、部長が必要に応じて随時、比較的小さなサイズの「仕事別チーム」を編成し、部員を配置する。人事部の場合でいえば定期採用の期間は、研修担当者なども含め、部員全員が役割を分担して採用業務に就く。従来の固定的、階層的な組織と比べ、意思決定のスピードアップと一人ひとりの能力向上が図れる。(納富優香記者)

文責:清水 佑三

モルトケ組織論の終焉が金融にまで及び始めた

 2005年3月31日づけの日経産業新聞に日本テレコム「課・グループ撤廃 プロジェクト型組織へ」という記事が載り、この欄で「モルトケ組織論の終焉を日本テレコムにみる」と題して取り上げた。

 ヘルムート・フォン・モルトケは、同姓同名で叔父甥にあたる二人(いずれも軍人)がいる。甥のフォン・モルトケは第一次世界大戦時のドイツ参謀総長。負け戦を率いて更迭された。

 彼の叔父にあたるフォン・モルトケは、プロイセンの軍人(参謀総長)で、対オーストリア、対フランスの二つの戦争においてプロイセン軍を大勝に導いた。戦争において勝利を呼び込んだ理論として「モルトケ組織論」は後の産業社会に大きな影響を与えた。

 モルトケ組織論のエッセンスとして前稿で、筆者は次のように書いた。再掲する。

  • 数万の新兵を徴兵し即戦力とするためには、彼らを単純な手足としてみる見方が不可欠である。
  • (軍を人体になぞらえれば)前線の徴兵兵士は手足の「筋肉」にあたる。参謀本部は「頭脳」にあたり、通信技術が「神経」にあたる。
  • 「頭脳」「神経」「筋肉」をそれぞれ強化し、バランスをよくしてゆけば百戦しても必ず勝てる。

…企業でいえば、モルトケのいう参謀本部にあたるのがトップ、前線の兵士にあたるのが一般社員、伝達中枢にあたるのが部、課長である。

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 モルトケ(中央集権的)組織論の弱点を以下に書く。企業という場を意識しながら書く。

  • 一握りのエリートの思考が、数万の普通人を大量殺戮(解雇)しかねない図式がもつ生物学的、社会学的な意味での「?」
  • 直属の上司の命令だけを聞き、直属の部下だけにそれを伝えなければならない部、課長の役割の歪(いびつ)性、人間性からの乖離。トップからの命令が複雑になればなるほど、伝達のスピードを要求されればされるほど、伝達機関としての部、課長の性能差が、致命的な全軍の敗北の契機ともなりうる。
  • 前線の全プレーヤーは「求められたことを正確に速くやる」役割。「やってみなはれ、やらせてみなはれ」がもたらす「面白宇宙」の時間、空間に入ることが許されない。何びとも幸福追求の権利をもつという憲法理念に抵触する。ひとつのいわゆる人権問題?
  • 仮に独創的な発想、思考ができる大タレントがプレーヤーの中にいたとしても、発表の機会すら与えられない。機会利益の損失という意味で測り知れないマイナス。
  • ユーザー、消費者において、好みやクレームの多様化、きまぐれ化が進み、一つの製品、サービスの賞味期限がどんどん短くなってゆく。売れる商品づくりという意味で、参謀本部を消費者に接する前線に置かないと企業の存続すら危ぶまれる。

 付加価値の提供者と受益者間で、直接取引きの機会の数を増やせば増やすほど、双方の満足は増進するというごく単純な事実が、モルトケ組織論の終焉の背景にあるとみる。

 ほしいものを、ほしいときに、ほしい値段で、ほしい場所で手にいれられる。そのような時代環境のもとではサービス供給者側の中央集権システムは陳腐化せざるを得ない。

 政治でいえば、一党独裁から民主主義への道筋を肯定する議論にそのまま対応する。

 中央集権システムに代替する組織論への数々の挑戦が生まれはじめている。日本テレコム(コンサル営業)の次なる事例がこの三井住友海上(本社機構)の事例である。二つの事例で共通する部分をあげておく。

  • 従来の固定的な課制度を廃止する。
  • 必要なつど、必要なチームを作り、必要がなくなれば解散する。
  • 一人の社員が複数のチームに入ることを認める。

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 アメリカに同じような挑戦の先進事例がある。テネシー州メンフィスに本社をおくバックマン ラボラトリーズ社である。従業員1300人。世界21カ国に拠点があり、顧客である世界の多くの製紙会社から研究開発を受託している。

 この会社では、新しいR&Dのアイデアが浮かんだり、あるいは挫折したりすると、フォーラムというネット上の「広場」にアクセスするシステムが世界全拠点で実践されている。

 世界21カ国で働くスタッフは、自分の興味、関心で自由に「広場」に集まり、対話を行う。国境、セクション、専門性を超えて同志が集まり、自主的なプロジェクトを立ち上げる。同志それぞれが自分の知識、経験をもちより、意見交換しながら「自らの意志で参加したプロジェクト」にさまざまな角度から貢献しようとする。

 バックマン ラボラトリーズでは、毎年20を超える「画期的な新技術」を産みだしている。業界水準を遥かに超えるペースである。

 段ボール製品の開発プロジェクトの具体例がある。以下はチャット上のやりとりだ。

 (イギリス拠点の営業マンからの悩み相談)
取引先の製紙会社が困っていることがある。澱粉をうまく使えないで「強さ」が望むレベルで安定的に出てこない。同じような悩みを経験した人はいないか。

 (カナダ拠点の研究担当副社長)
澱粉は紙の強化剤としてはよい部材だ。ただ効果が長続きしない不安定問題がつきまとう。われわれの経験では薬品のピボット911を使うといいことがわかった。

 (カナダ拠点の営業主任)
澱粉を加えても効果が出ないのはシステム全体がプラスイオンになっているせいだと思う。

 (アメリカ拠点のエンジニア)
使っている澱粉自体に問題があるんだ。この問題は全拠点で使えるから、プロジェクトを立ち上げないか。みんなで問題を解決しようよ。

 プロジェクトが立ち上がったあと、思うとおりにゆかない中で、ドイツ拠点のエンジニアが画期的な指摘をする。

 瞬時に澱粉を分解してしまう微生物の混入についての指摘とそれに対する問題解決策だった。指摘が正しかったことが各国拠点のプロジェクト参加者の間で実験を通して確認され、澱粉を分解してしまう微生物の活動を抑える化学薬品が新しく共同開発された。1ヶ月の悪戦苦闘ののちのハッピーエンディングである。

 5カ国から立場が違う8人が参加したこのフォーラムプロジェクトの結果、売れ筋の高級ダンボールの製品開発に成功。同社では個人プレーでの高い成果よりも、フォーラムを通じてなされた高い成果の方をより高く評価する制度をとっている。次々と新しいフォーラム経由の開発成果が続く。

 従来の中央集権的なシステムでは各国の研究者たちは独立して動き、せいぜい世界大会での成果の発表交換会ぐらいでお茶を濁してきたことを考えると隔世の感がある。

 医療の世界で起こっているチーム治療方式を彷彿させる。未熟な医師の個人的な誤診を再生産し続ける仕組みはすでに終わろうとしている。知恵と勇気の機動的な結集メカニズムである。

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 バックマン ラボラトリーズの事例と日本テレコム、三井住友海上とでは、業態、業容、環境が異なる。しかし、組織論として向いている方向は同じだ。

 この記事を書いた産経の納富優香記者は、向いている方向の明るい側面を、記事の最初と最後に、次のような印象的なコメントを添えて語っている。かすかなる幸福の予感である。

…「課」がなくなって業務成績は「優」?

…社員が部内の全業務に積極的にかかわることで「可」もなく「不可」もない社員が「優良」社員に“変身”なるか。

 固定、硬直的な組織のありかたが、個や部署の発展の阻害要因になりうることをうまく示唆している。巧妙な比喩に思わず拍手した次第。

 注: この稿は、NHKスペシャル「変革の世紀、第2回、情報革命が組織を変える」(2002.5.12放映)を参考にしました。

コメンテータ:清水 佑三