人事改革、各社の試み

HR領域のプロフェッショナルが独自の視点で新聞記事を読み解いたコラムです。元記事のジャンルにより、各社の改革事例紹介である「人事改革事例」編、改革のキーマンに焦点を当てる「ひと」編があります。2008年更新終了。

キッセイ薬品工業
劇画で会社案内 提携交渉の様子など紹介

2006年4月18日 日経産業新聞 朝刊 11面

記事概要

 キッセイ薬品工業は、健康関係のイベント会場などで配る会社案内『創薬にかける夢』を「劇画」形式(=写真=)のものに一新した。冊子はA5版、56ページ、3章の構成からなる。医薬品の研究開発に自分の全てを賭ける研究者の姿を描いた「第1章 研究開発なくして製薬企業にあらず」、知的財産権を犯そうとする他社との激しい攻防をとりあげた「第2章 明日の新薬のために技術を守りたい」、海外の製薬大手との提携交渉物語「第3章 世界に羽ばたく医薬品メーカーへ」がその内容である。劇画のモデルになった社員10人が写真付きで登場し、自分の仕事を語ったページも添えられている。2万部を作成し、新卒採用にも使う予定。「一般にはわかりにくい事業内容を多くの人に知ってほしいと思って作成した」(広報部)という。

文責:清水 佑三

「劇画」形式の会社案内は芸術になりうる

 キッセイ薬品は、一般にはなじみが薄い製薬メーカーである。ただし、耳鼻・婦人科系に特化すればその世界ではよく知られている。最近では、成長余地の大きい生活習慣病系の市場にR&Dパワーを媒介にして果敢に挑戦している。

 東証1部企業。連結ベースで1700人余の社員を擁するが製薬では中堅の範疇に入る。長野県松本に本社がある。

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 人目につきにくい場所で事業展開をしている企業に共通する悩みがある。「自己紹介」の難しさだ。筆者も同じで、親戚筋が集まる法事などで、お前のところ(日本エス・エイチ・エル)は何をやっている会社かと尋ねられ、その度に四苦八苦してきた。

 機関投資家へのロードショーでも同じ苦労がつきまとう。聡明そうな若いファンド・マネジャーから「御社の事業を簡潔に教えてくれませんか」といわれると冷や汗がでる。うまく説明できたタメシがない。自己嫌悪に陥る。「自己紹介」はつくづく難しいと思う。

 競争が苛烈であればあるほど、「自己紹介」のうまい下手が、成長力を規定してしまうものだ。何とかよい「自己紹介」ツールはないものか。いずこも同じ秋の夕暮れ、の風景だろう。

 そういう問題意識があるがゆえに自然に目に飛び込んできた記事。そうか、劇画か、と思った次第。

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 従来の「写真+文章」形式の会社案内と比べて劇画形式はどこが優れているのか。誰か教えてくれる人はいないか。

 漫画ばかり読んでいる20代、女性、美貌、知性派のAさんが思い当たった。早速、どうしてそんなに漫画が好きなんですかと尋ねた。

 もらった回答を紹介しよう。筆者の感想も添えておく。キッセイ薬品の記事を読み解くヒントがあるかもしれない。

 (Aさんが漫画が好きな理由)

・絵と文字の両方で表現するのでイメージがすっと入ってくる

 絵と文字の両方がかけあわされる、というところがミソなのだろう。漫画は、「イメージを形成する」「イメージを運ぶ」ことにたけた媒体なのだ。漫画に比べれば、写真やチャートを載せた冊子は、どうしても説明的になる。漫画の特質がよくわかる。

・登場人物の表情(喜怒哀楽)がわかるので感情移入しやすい

 読み手が目の前の媒体に求めているのは、正確な物事の理解ではなく「感情移入」なのかもしれない。百科事典を読むわけではないのだから。自分との間で安全距離をもつ「登場人物」がいて、安全距離があるがゆえに、ひとときの感情移入を許す。小学校にあがる前、毎夕心待ちして見た紙芝居の世界か。

・現実世界をペンと紙だけでうまくデフォルメしている

 現実世界は、そのままでは面白くもつまらなくもない。意図されたデフォルメの妙によって「自然は芸術を模倣する」となる。業務日誌を考えるとわかる。粉飾された業務日誌は噴飯ものだが、読み手を引き込むストーリー性があるそれは必ず読まれる。「写真+文章」形式は現実世界をデフォルメしにくいのだ。

・単純なのに深い

 Aさんの知性が透けて見えるような言葉。単純なのに深い人になりたいと長い間苦労してきたが、挑戦に失敗して、ただのシンプルバカになってしまった。自分のこと。それゆえにこの言葉の意味あいはよくわかる。単純なのに深い会社案内を作ることができたら、作り手としてさぞかし本望だろう。縁をつくれる。

・絵とストーリーの両方を1人の作者が作っているところに才能を感じる(芸術だと思う)

 芸術とは、美的価値の創造・表現をいう。漫画を「芸術」といいきった点がすごい。自らがプロデュースした会社案内が後世に残る芸術となったら嬉しい。全宇宙・全時間と同等の重みをもつ芸術は、たった一人の作者の「狂」を媒介にしている。複数の関係者がどんなに合議しても芸術は生まれない。

・絵や文字の細かいところまでみて楽しめる

 登場人物の表情(喜怒哀楽)がわかりそれに感情移入するのが漫画の楽しみ、という認識に対応している。小さな小さな部分にすべてを込める、がここでの言い分だろう。秘密のようにして埋め込んだ暗号を読み解ける自分が嬉しい。一人の作者の「工房」に入り込むスリルに秘密がある。

・手軽に手に入る。早く読める。移動中の時間つぶしになる

 されど漫画、がここまでの指摘だとすれば、たかが漫画、にあたる指摘がここにあるものだ。英語の“convenience”にあたる効用を説いている。セブンイレブンいい気分、に共通する。確かにAさんは電車に乗るとすぐ漫画を読みはじめる。時間つぶしの顔で読んでいない。真剣そのもの。

・漫画によってストーリーも絵のタッチも全く違うので飽きない

 ある世界で一流になった人は同種同効の指摘をよくする。ネスレは大昔、違いが分かる人、というテレビコマーシャルのコピーまでつくった。違いが分かる人はカッコヨイのである。ジャック・レモンが演じた『モリー先生との火曜日』のモリー先生を彷彿させる。漫画道、免許皆伝といってよいコメント。

 Aさんが添えてくれたオマケがある。

 (漫画以外のメディアが好きではない理由)

 <本>

  • 文字ばかりで頭を使わないと読めない
  • 色や表情がなくてつまらない
  • 重い(ハードカバーだと)

 <映画>

  • 観るために時間と場所を拘束される
  • たくさんのお金と人手をかけて作っているわりにたいしたことがないものが多い

 まったく同感だ。すぐれた漫画(劇画)作者を起用すれば、多くの読み手を感情移入させることができるし、歴史に残る「会社案内」を残せる。

 作者起用については、学校が校歌や応援歌の作成を高名な作曲家に委託するのと同じやりかたでよい。

 学校ではないが、タイガースもジャイアンツも応援歌の作曲を古関裕而に頼んだ。彼の力量がそうさせたのだが、敵味方の応援歌の作曲を引き受けた古関裕而は節操がないとある落語家が高座で笑いながらいっていた。

 小さな記事であったが、様々な思考につながった。多謝。

コメンテータ:清水 佑三